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【いつか来る春のために】➓ 三人の家族編 ⑨ 黒田 勇吾

「みっちゃん、ぼくは震災のことはほとんど人に話したことがないんだ。まだ心の整理がついてない部分もあったし、家族のことを話すと、なんというか自分の心がじりじりして痛くなる。自分を責めてしまうんだ、あの時どうして家族を助けてやれなかったのかなぁって。その思いが自分を責め立ててまともに話せなくなった時期があったんです。でも変な言い方だけど、牡蠣鍋とお酒に心がほどけたというか、みっちゃんたちの優しさに甘えられるかなぁ、と今思ってる。今は心の整理もある程度ついたので話せるかなぁって」そう言って鈴ちゃんは震災の時の状況を静かに話はじめた。

        【鈴ちゃんの話】

⁂津波のシーンが出てきます。あくまでフィクションですが
問題ない方のみ、読み続けて下さいませ。


 僕の家族は妻と一人娘の優衣の三人でした。渡山の住宅地に家があって、私は個人経営の学習塾をしていました。生徒は中学生が32人。そんなに大きな規模ではないけれど何とか家族が生活していける程度はほどほどに頑張っていました。私は子供が好きだからこれが天職だと思って一生懸命自分なりに仕事していましたが、家のローンがまだ残っていたので妻はパートで水産加工場に働きに行ってました。今思えばもっと経営をしっかりしてもう少し生徒数を増やして塾が成長して収益が増えていたらばって、今でも後悔しています。そうすれば妻も働かないで、あの日は家で一緒に居れたんじゃないかって思います。
 あの地震はとても微妙な時間帯に起きました。金曜日の午後二時四十六分。家族がバラバラでいた時間。私は自宅の一階でその日の授業のプリントを作っていて、妻はパート先で三時までの勤務。中学二年の娘の優衣はその日は学校に行ったけど、風邪をひいていて卒業式の準備の途中で早退したんです。午後二時過ぎに学校を出たらしいというのは後でわかりましたけど。
 話を戻すとその日の朝、優衣が咳をしているのを見て僕は娘に言いました。学校休んだらって。妻も一緒に休みなさいと止めたんですが、どうしても今日は卒業式の予行練習があるからやっぱり行くと言って家を出ました。でも優衣が無理に学校に行ったのにはもう一つ理由があったんです。それは私たち夫婦の為に学校帰りにケーキを買うという目的です。つまり三月十一日は私たち夫婦の結婚記念日。優衣は前の年も私たちの為にケーキ屋さんでケーキを買ってきてくれたんです。優しい心の娘でした。その娘心になぜあの日気付いてやれなかったんだろうと今でも時折悔しくてやるせないです。私は馬鹿な父親だった。自分たちの結婚記念日さえ忘れていたんだから。

           ~~⓫へつづく~~


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