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【還暦のメロス】㉔中学二年の冬の出会い

私の人生の初めての転機は、中学2年の冬だった。
恋愛とか、友との出会いが、転機になることもあるだろう。

しかしぼくの場合は、人生の師匠との出会いが大きな転機となった。
「人生の師匠」、、などというと大げさかもしれないが、私にとってはその後の人生も含めて、常に師匠との邂逅が、その時々の時代で、生き方を変革していった出来事になっていった。

1970年の冬、地元石巻市内に、音楽隊が結成された。
音楽隊と言っても、中学生、高校生に、大人が数名参加した
15名ほどの小さなバンド仲間であった。楽器をすでに吹きなれていた数名を
除いて、皆楽器演奏は初めてのド素人楽団であった。
宮城県の中心地の仙台市にはすでに音楽隊があった。
さらに、第二の都市石巻市に音楽隊が結成されたのは、翌年の2月末に、東北全体の文化祭が開催されることになり、アトラクションのほかに本格的な吹奏楽団の演奏種目も計画されており、それに出場する隊員を急遽増員するためであった。

僕たち石巻の音楽隊員はほぼ初心者ばかりのメンバーだったから、舞台演奏に参加することは見込まれておらず、あくまでも演目のバックミュージック演奏の担当が結成の目的であった。

それでも、初の東北全体の文化祭に参加できるかもしれないということで、僕たち中学生隊員も必死になって練習に励んだ。
僕はトランペットを吹き始めた。もちろん初めて吹く楽器だった。
それも、両親がわざわざ買ってくれた貴重な楽器だった。
その値段が22000円だったことは今でも忘れない。
我が家の家計にとっては、大きな出費であったに違いない。
今でも音楽との出会いをさせてくれた両親に感謝の心は忘れたことはない。

すべてはここから始まったのであった。

翌年、1971年2月27日、28日の二日間、仙台市のレジャーセンターにて
東北の伝統芸能や祭りなどをモチーフにした文化祭は開催された。

その文化祭の主催団体は創価学会。
2日目の28日には、創価学会第三代会長池田大作先生が、鑑賞されて
激励のスピーチをされた。私にとっては、創価学会(のちのSGI)会長との出会いは初めてであった。

終了後、音楽隊メンバーが残って打ち合わせをしていると、池田会長より、音楽隊のメンバーに書籍の激励があった。
中学生の代表として私も頂戴した。
詩集「青年の譜」の文庫版を頂いた。

その詩集が、やがて僕の文学熱の目覚めになる契機の本となった。
長編詩、短編詩のまとめられたその文庫本が、やがて学生時代に
私自身の人生の転換点の本となっていくのは、後年の話である。

        ~㉕へと続く~~

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