腐ったみかん

夢を見た。
僕は高校生だった。
夢の中の自分は、不登校だった。
なぜ高校に行けなくなっていたのかは分からない。
夢の中では、6歳離れた弟が同じ高校に通っていた。
僕は「学び直し」のために高校に入り直していた。

現実世界では、僕は不登校こそ経験してはいないが、高校2年生のときに化学IIや日本史B、世界史Bの授業をほとんど聞いていなかった。3年生では、勉強は皆無となった。だから、理系なのに数学IIIや数学C、物理IIも全く分からない。
浪人して文転し、受験でもセンター試験では2単位科目である「現代社会」を受け、予備校でゼロから始めた「地理B」を受け、理科は「物理I」を受けた(文系で物理選択は珍しい)。
それもあってか、この10年間、高校で勉強してこなかったことへの後ろ暗さと、コンプレックスのようなものをずっと引き摺ってきたように思う。
最近は便利な時代で、YouTubeには勉強の動画が山のように転がっている。それを観ては理解したような気になって、学問はむしろ高校で習う範囲から出発するのだなあとふんふん頷いている。
同時に湧いてくる、「なぜあのとき努力しなかったのだろう」が、最近の僕の悩みだ。
弟は「あのとき」、努力して、数学IIIで積分を勉強した。物理IIも習得した。その基礎をもとに、大学ではより高度に発展した数学や物理学を学び、研究している(以前研究内容を聞いたこともあったが、そもそも理解できなかった)。本当に尊敬している。
僕はどうだろう。努力をしてきただろうか。
自信をもってYesと言えない自分が情けない。

昨夜、現実の熊本市では初雪が観測されたが、夢の中は夏だった。
その日は定期テストだった。
しばらく学校に行けていなかった僕は、どの教科のテストがあるのかはおろか、テストが行われていること自体知らなかった。
学校に行けていないことは、毎朝早い時間に仕事に出る親には知らせていなかった。変な心配をかけたくなかったのか、何か言われるのが怖かったのか、はたまたその両方か。
その日は両親がたまたま遅い時間に出かける日だった。行き場のない僕はやっぱり家にいて、登校を渋っていることが両親にバレてしまった。
何かを言われた気がする。何かを言われ、傷ついたことだけ記憶している。

学校に渋々登校した。10時ごろだったと思う。手ぶらだった。
職場の上司(男性)が、なぜか担任をしていた。
「ああ、ちゃんと来られましたね。今は日本史の試験中なので、受けてくださいね。筆記用具はありますか」
「すみません、持ってません」
「ああ、そうですか」
学校に来るのに、なぜ筆記用具すら持っていないのか、という軽蔑を含んだ眼差しを一瞬僕に向けたことを、夢の中の僕は見逃さなかった。「担任の上司」はすぐ優しい顔になり、
「それなら貸すので、別室で受けてくださいね」
と僕を案内してくれたのだった。
日本史は高校の頃勉強しなかったからなあ、テスト受けてもほとんど白紙だろうなあ、そんなことを思いながら教室に向かっているところで目が覚めた。

前置きだけで1,000字を超えてしまった。
以前、推敲することを生業としていた自分としては、この1,000字は削っていい内容だ。
でも、僕が書くのは、書くことで自分の中身を整理したいからなのだ。
もしこんな焦点ブレブレの読みにくい文章に付き合ってくれる物好きがいるのなら、本当にありがたい限りだ。

これから僕は、僕自身の「現実世界の不登校」の話を書いていきたいと思う。

転職して9ヶ月

近況報告

福岡の会社を辞めたのが昨年のこと。地元熊本に戻り、試験を受けるなり学校で学習指導員を務めるなりして過ごし、今年の春からは公務員をして9ヶ月となる。
28歳だが、駆け出しは窓口対応で住民票を発行したり、マイナンバーカードの案内をしたり、そういった仕事だろうと勝手に思い込んでいた。
蓋を開けてみれば、児/童/相/談/所だった(検索を避けるために「/」を入れた)。
僕の武器は教員免許だけ。アクセシビリティリーダーという、武器にちょっとした特殊能力を付与するスキルを持ってはいるが、それが仕事にどれだけ役立っているかは未知数だ(アクセシビリティリーダーについてはこちらで解説してある)。

正直言って、仕事は激務だ。
QOLを上げること、仕事と生活のバランスをとることも転職の理由の一つだったはずなのに、気がつけば仕事中心に毎日が回っていた。
休日出勤、夜間呼び出しも日常茶飯事。
虐待相談や、虐待がなかったとしても育成相談に応じる日々。
守秘義務があるため内容については言えないが、身の回りで大きな事件が起きたのもあり、気がつけば心を病んでしまっていた。

僕は、「不登校」になった。

何も手につかない恐怖

初めての経験だった。
いざ仕事しようとパソコンに向かうと、全然文字が打てないのだ(この文章も、久々に触れるパソコンでカタカタ打っているが、カタカタ打つこと自体ができなくなるのである)。
公務員たるもの、記録が全てである。対応経過を単に打とうとしているだけなのに、頭にモヤがかかり始め、真っ白になって勝手に思考をやめてしまうのだ。恐怖だった。
保護者に対応しているときも、保護者と話している自分と、その自分を別のところから見ている自分が解離してしまっているような感覚が何度か起き始めた。
医学的な知識は皆無だが、「離人症」のようだな、と自覚があった。
「これはおかしい」が1ヶ月続いたため、早めに音を上げることにした。
産業医につながり、2度の診察を経て精神病院を紹介され、ようやく診断が出たのが先月のこと。
診断名は「急性ストレス症」と「抑うつ状態」。
主治医によれば、前者は、強いストレスと直面することで発症し、症状が長引けばPTSDとなる病気。後者は、うつ病とまでは言えなくとも、うつ病の症状が出だしている状態なのだそう。
診断書を書いてもらい、3ヶ月弱の病気休暇に入った。

このことは、両親に伝えていない。

腐ったみかん

時間を持て余す

何もすることがないというのは、幸せでもあり、逆に不幸でもあると気づいた。
とにかく、何もやる気がおきない。
ストリーミングサービスの動画を観まくるとか、積んでいたゲームを消化するとか、気分を変えて映画でも行くとかすればよいだろうに、どれもやる気が起きない。
特に平日の昼間は調子が悪い。
自分の抱えきれなかった仕事が全て、同僚に分配されているのだ。「火の車」を「加速」させてしまっているのは紛れもなく僕自身だ。
「そんなふうに思わなくていいよ」、と心優しい友人や恋人は声をかけてくれる。僕もそう思おうとはしている。だが、難しい。
だから、平日は日が暮れてから、そして土日はそこそこ調子がよく動くことができるのだと思う。

主治医には、規則正しい生活を送るように指導されている。
しかし現実には、昼夜逆転の生活がここにある。
太陽の光を浴びることがどれだけ大事かは理解しているつもりだが、心がついていかないのだ。

学生時代、不登校の友人らに対して、「日中何をしているんだろう」と思っていた答えがここにある。
正解は、何もしていない(人にもよるだろうけど)。正しく言うと、何もできないのだ、何もする気がおきないのだ。
とにかく時間を持て余し、平日は夜が来ることを祈るように過ごしている。

友人と遊んだ帰りに

こんな自分だが、人間関係には相当恵まれていると思う。
気の置けない友人には、状況をぼやかしながらも伝え、それぞれの言葉で言葉をくれ、「それじゃ暇なら今日遊ぼうや〜」と遊びに連れ出してくれる。
暇なのだ、遊びたいのだ、忘れたいのだ、約束が欲しいのだ。
恋人もずっと寄り添ってくれている。

もしかしたら、彼らの言葉は感情論を含んでいたり、逆に僕を依存させてしまう言葉掛けだったり、医学的な見地からは誤った部分を含んだ言動なのかもしれない。
でも、彼らの言動は本物だと思う。
本当にありがたい。そのありがたさを、素直に受け入れることができないことがあるのが歯痒いし、だからこそ今は病休なのだろうとは思うが。

ある日、友人と遊び、ワイワイやって家に帰ってきた。
恋人の地元で買ってきたみかんが、こたつの上で1つ、白く腐っていた。周囲のみかんにもその影響が出始めていた。

ああ、僕はこの腐ったみかんのようだな。

何かがストンと腑に落ちた。
腐ったみかんと周囲のみかんを袋に入れてそっと捨てた。
ずっと押し殺してきた自傷的な感情が久しぶりに顔を出した。
僕も、こうやって捨てられたらいいのに。

友人と遊ぶときは、とても楽しい時間を過ごせる。
同時に、ものすごい後ろ暗さと羨ましさが僕を襲う。
今この瞬間にも、苦しんでいる親子がいて職場に駆け込んでいるのに。
同僚は僕の分もかぶって仕事が増えて大変なのに。
友人もちゃんと仕事をして世のため人のため役に立っているのに。
もっと努力をすれば、時間を有効に使えば、何か価値を生み出せるはずなのに。
のに。のに。

こんな「のに、のに」はとても危険だという自覚はある。
突き詰めれば、「何も価値を生み出せない人は社会から排除すべき」という優生思想に繋がるからである。
人は誰しも支え合いだと思うし、その「支える側」の仕事をしていたはずだった。だからこそ、「支えられる」のもある意味当然の権利であるはずだ。
そうは言いつつも、僕は支えられ慣れていない。
ただただ「申し訳ない」がかなり深く根っこを張っている。
できることなら、せめて一人で勝手に藻掻き苦しんでいたい。僕が生み出す「負の価値」をぶつけることで周囲の「みかん」まで腐らせるくらいなら、その前に先に摘み出されて捨てられた方がいっそマシだと考えてしまう。

僕の歪んだ自傷感情を恋人に話したら、「馬鹿」と泣かせてしまった。
交際3年記念日は11月末に過ぎてしまった。本当に申し訳なさでいっぱいだ。
きっと、穴埋めするからね。その細やかな気持ちが、今を生きるモチベーションとなっている。

「来月にまた来てくださいね」の受診すらすっぽかしているような僕だ。今週中に行きたかったが、平日の日中になかなか布団を出られないまま土曜を迎えてしまった。
現状を正しく理解し、受け入れるところからなのだろう。
来週こそは受診して、現状を主治医に伝えようと思う。

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