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陸奥国・常陸国 夏の旅〜出雲の龍蛇神との邂逅

今年の夏は初めての福島の旅に出かけました。途中、群馬の那須高原「南が丘牧場」に立ち寄り、アーチェリーと40年ぶりの乗馬を楽しみました。ユーラシア大陸の西の端から東の果てまで世界の民族の歴史を書き換え、日本の支配層も公家から武家へと大きく転換させた騎馬民族にでもなったように、まるで関東武士を支配した平将門か弓矢の名手那須与一の気分で旅をスタート。

阿武隈山地から臨む雄大な景色

そして、ここから初の福島入り。昼食は「元祖輪箱飯 田季野」という、わっぱ飯発祥の会津懐石の店に入りました。暖簾をくぐると目の前に古いお札が何枚も貼られた大きな男根柱が立っていました。新潟の「ほだれ祭り」や静岡の「どんつく祭り」のように、この地域にも子孫繁栄を願い夫婦和合を重んじた古代出雲国のサイノカミ(幸の神)信仰が偲ばれる古く歴史ある土地柄が感じられました。江戸時代から続く名家のお屋敷のようなとても広い店内で落ち着いた雰囲気の中、海の幸、山の幸をふんだんに使った贅沢なわっぱ飯を堪能しました。

巨大な男根柱はその土地の太古の信仰を偲ばせます

昼食後は戊辰戦争で新政府軍と旧幕府軍の会津戦争が行なわれた、新撰組・白虎隊の悲劇の舞台、会津若松城(鶴ヶ城)を訪れました。明治政府に解体され、後の時代に観光用に再構築された天守内部の不自然なモダンさは気になりましたが、城内の会津戦争の説明書きに、最後の会津城主松平容保は孝明天皇に重用されていたとありました。西洋からの最新兵器を備えた新政府軍に多くの藩があっさり投降した中で、孝明天皇暗殺説南朝天皇擁立説の噂の絶えない明治新政府の官軍に対し、孝明天皇に恩義ある容保が最後まで従えなかった会津の歴史に合点がゆきました。

赤瓦が映える白虎隊の悲劇の舞台会津若松城(鶴ヶ城)

ここから福島のシンボル猪苗代湖の北岸を巡って郡山の磐梯熱海の宿を目指します。途中、湖畔の「磐梯朝日国立公園」で猪苗代湖の景色を楽しみました。その時スマホで写真を撮ろうとしたところ、どこからともなく一匹のトンボが飛んできて手に持っていたスマホに止まりました。こちらが動いても全く逃げる様子もなく、おとなしく写真に収まってくれました。古代出雲の朝日崇拝由来のような名前の朝日公園に現れたトンボの英語名はDragonfly(竜の飛翔)、またはFlying Adder(空飛ぶ蛇)。出雲ゆかりの龍蛇神の化身だったのでしょうか。

磐梯の朝日公園に現れた出雲ゆかりの龍蛇神の化身?

会津若松から猪苗代湖の反対側まで来ると、この日の宿、磐梯熱海の「萩姫の湯・栄楽館」に到着。熱海という地名はかつてこの地を治めた伊東氏が故郷の伊豆半島の熱海からとって名づけたそうです。伊豆という地名の語源も歴史を古代まで遡れば伊豆(イズ)を開拓した出雲(イズモ)族由来。今回その伊豆(出雲)に因んだ熱海という名の地を訪れたのも出雲の遠い祖先に導かれたからでしょうか。ちなみに泊まった部屋の名前は、出雲の散家大彦一族(アベ一族)の先祖同様に新興勢力に追われた会津の白虎隊、青龍隊、玄武隊、朱雀隊の主力部隊に因んだ「朱雀の間」でした。

「朱雀の間」は美しい庭園付きのため1階でした

翌朝、宿を立って向かったのは小野町の夏井諏訪神社。長野県の諏訪地方は太古の昔に出雲族が開拓した土地で、サイノカミ信仰や信州蕎麦など出雲族の痕跡がいたるところに見られます。ここ福島にも諏訪神社が密集している地域がありました。夏井諏訪神社のご祭神も出雲ゆかりの大国主命の御子の建御名方命(たけみなかた)とその妃の下照比売命(したてるひめ)。鳥居をくぐると樹齢1200年を超える巨大な杉の大木「翁杉・媼杉」が並んで立っていました。夫婦神木というのも古代出雲で夫婦神を祀った古い幸の神信仰を彷彿とさせます。千年杉の幹周りはゆうに8メートルを超える大迫力でした。

幸の神信仰の面影遺す「翁杉・媼杉」の夫婦神木

この旅の目的地はパートナーの思いつきで阿武隈山地の「あぶくま洞」。阿武隈という地名は大阪の阿武山、静岡の安倍川、岩手の安比高原などと同じく、この土地も太古の昔に出雲を追われたアベ一族の通り道として開拓されたことを物語ります。出雲を追われ信州から伊豆方面や関東に落ち延び、東日本から東北一帯に第二の出雲王国(日高見国)を築いた出雲族。その痕跡は地名や信仰のみならず方言にも現れます。出雲地方の方言(出雲弁)は、東北訛りと同じで「西のズーズー弁」と言われます。お店や宿で耳にした純朴な東北訛りは、民族の移動に伴って北関東から東北地方まで出雲の言葉が広がったものでした。8000年の地球の胎動を感じさせるあぶくま洞内は年間を通じて15℃と冷んやり。外の猛暑を忘れて楽しい探検気分を味わいました。

8000年の時が創った洞内の鍾乳石の数と種類は東洋一

帰路は運転担当のパートナーに頼んでここから私の趣味の神社2ヶ所を巡ります。日立経由で茨城まで足を伸ばし、まず日の出が美しい荒磯の鳥居が有名な大洗磯前神社へ。一度訪れてみたかった神社なのですが、自分では運転しないため電車とバスの乗り継ぎが不便でなかなか機会がありませんでした。西陽の眩しい時刻だったので美しい鳥居越しの朝日は拝めませんが、台風余波の波しぶき砕け散る神磯に立つ鳥居と海は絶景でした。この神社のご祭神も出雲国の大国主命と少彦名命なので、境内には大黒天と恵比寿天の木彫りの像が仲良く並んでいました。

波しぶき散る大洗の荒磯に立つ神々しい鳥居

そして、今回の旅の最後に訪れたのが鹿島神宮の一之鳥居である水中大鳥居。鹿島神宮は以前平将門ゆかりの神社を巡るツアーで一度訪れていたのですが、この水中一之鳥居は内陸部の本殿から距離があるため観ることができませんでした。水中鳥居と言えば広島の厳島神社が有名ですが、ここ茨城県鹿島神宮の水中鳥居は、厳島神社の鳥居を凌ぐ日本一の大きさを誇ります。鹿島神宮と言えば古代出雲族のアベ一族が東日本に築いた日高見国の都のシンボルとも言える古代より格式高い神宮。一度は見てみたかったその水中大鳥居。美しい紺碧の空と海に映える朱塗りの鳥居を感慨深く見上げました。この水中鳥居は旅を共にしたパートナーもいたく気に入ってくれたようで、すぐにLINEの待受画面に設定していました。

鹿島神宮の一之鳥居は水中鳥居としては日本一の大きさ

古代の騎馬民族の真似ごとに始まり、昼食に入った店で太古のサイノカミ信仰のシンボルと出逢い、都を追われたアベ一族のように会津城を追われた悲劇の白虎隊に想いを馳せ、猪苗代湖で古代出雲の龍蛇神(トンボ)に出逢い、諏訪神社の千年杉の夫婦神木にも触れ、一族ゆかりの阿武隈山地の鍾乳洞を探検し、出雲の神の降臨した荒磯に立ち、最後に日高見国の都に辿り着いた…1泊2日にしてはとても充実した夏の旅になりました。

大洗磯前神社の大黒天(=大国主)と恵比寿天(=事代主)

帰宅後、自宅のマンションのエントランス天井に、普段見かけることのないオニヤンマが止まっていました😳パートナーは「きっと夏休みに田舎に帰ったマンションの子供が持ち帰ったトンボが逃げたのでしょう」と至極現実的な分析をしてましたが、私には磐梯朝日公園で出逢った時空を超えた出雲の守り神が、私たちの旅を自宅まで見守ってくれていたとしか思えませんでした゚・:,。☆

帰宅後マンションの天井に止まっていた龍蛇神

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