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夜更けの餃子、それをエモいと言わずして。

「まだ帰りたくない」が告白になるなら、「小腹が空いたね」でも気持ちが伝わればいい。

夜更かしは今日に満足していない証だ、と誰かは言ったけど。それは「独りだったら」を書き連ね忘れただけでしょう、とわたしは思う。

六本木交差点から二つ先の路地裏。
古びたビルの階段をひとつ分のぼれば、ぼんやりと照らされた木製の扉に出逢う。

引き戸のようなのに押さねば開かず、それもまたこの街そのもの、などと思うほどには夜も更けて。

店主は将吾(しょうご)さん、接客は浩二(こうじ)さん。二人の名前の漢字を繋いで店の名は『52』と、知らされたのは一つ目の秘密だった。

壁は飾り気のないコンクリート、厨房はIHのオール電化。文字にすればこそ冷たいけれど、世界はまるで真逆の温度。

少しだけ背の高いそのカウンター席で、子供のようにぶらつかせた足は飛び込んできた景色のせいだ。

迷いなく上下する角ばった包丁、次々と放たれて光を帯びる米粒、大きな鍋から舞い上がる湯気を見る頃にはもう、小腹どころか空腹の絶頂。

「春巻き」

「焼売」

「餃子」

今夜は点心祭りだね、などと笑いあうほどに、大きな黒板に首を傾け目につく限りに白い文字を読み上げた。


「餃子は注文を受けてから作るんです」と、丸まった皮の原石をひと押し。

やわらかな手で華麗に包まれていく餡を見て、それになりたい、などとおかしなことを思う。

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少量多皿、リスク分散、パラレルキャリアが囃される時代に、そんなの知るかと言わんばかりのむっちりフォルム。その艶めかしさと、焦げ茶色をした焼き目の潔さが堪らなく眩しかった。

ならばこちらも、と頬張り火傷をしたのは誤算だったけれど。

言わんこっちゃない、と笑い飛ばす声に、「熱いものを熱いと言って食べるのが好きなの」と言い訳したのは本当で。

ショウガ、ネギ、ニラ、ああいや主役はこっちじゃなかったね、なんて。
ひとつ、ふたつ、みっつと子供の頃に数えたかくれんぼみたいに。

モチモチの優しさに守られた荒々しい肉の奔放さに、「醤油など無用、ほんの少しの酢で十分」と、またひとつ秘密を教えられて、思う。


その真っ直ぐさの前では、もう無抵抗。

隣席から聞こえる駆け引きめいた口説き文句も、後方で繰り返される山手線ゲームも、誰かが広めたくだらぬ噂話も、「ジューシー」なんて言葉と一緒にどこかへ消えてしまえ。

わたしはそんな事よりあなたの事が知りたいし、「昔の話を聴きたいと思ったら恋のはじまり」、なんて言葉を思い出して降参する。

10年物の紹興酒より、10年前に好きだった唄のことを教えて欲しいし。
生まれ年のワインよりも、よく描いていたという絵で生まれ故郷を見せて欲しい。

火傷でヒリつく舌にはレモンサワーがぴったりで、慣れないハイボールの氷をカランと鳴らすあなたを、わたしはもっと好きになってしまうから。

夜更けの餃子、それをエモいと言わずして
この気持ちはきっと、wikipediaにだって説明できないんだ。


"エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「うまく説明できないけど、良い」ときなどに用いられる。"  :wikipedia 




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