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この世界を観察する者

皆さん、こんにちは!
絵描きのRemiです🌸

本日は“この世界を観察する者”について
お話したいと思います。

前回は
”ありのままでいいよ”
“頑張らなくていいよ”
についての私が疑問に思ったこと

そしてそうすることについての
魂磨きはどうなるんだろうということについて
書いていきました。

すごくぶっ飛んだ話になるのですが
(そして昨日と伝えていることが逆かもしれませんが)

究極、私たちは頑張ってもいいし
頑張らなくてもいい。

ありのままでもいいし、
変化していってもいい。

魂も磨かなくていいし
(とういうか勝手に磨かれるし成長する)
磨いてもいい(意識的に)

本当はそんな優しい世界に住んでいるわけですが

大いなる存在から(元々一つでありそして元に戻るところ)
私たちは細かく分かれ

この地球というフィールドで
エゴ(自我)、肉体、意識が三位一体となって
この世界を遊んでいるとき、どんなことが
起こっているのかということを観察している
存在が意識の奥にいるんですよね。

究極は本当に何をしても大丈夫な
この世界なのですが

不思議と・・・

エゴも、肉体も、意識も(観察している意識も)
喜ぶ中間点みたいな生き方、考え方が
どうやらある気がしていて

それは人(個性やDNA)によって違ったり
その道を辿るルートも違ったりするのですが
そこの域に入ると
エゴも肉体も意識も平然と人生を「観察」する
モードに入れる気がしているんです。

どうしても私たちは肉体とエゴを持っている関係で
エゴ(思考と思い込みによる世界)を整えないと、
その世界に振り回され

自分の意識と観察している意識(これをハイヤーセルフと
呼ぶのでしょうか)が

「おー、エゴと肉体はこんな風に感じて動くんだなぁ」と
客観的に見ていて

もちろんそれすらも楽しんでるわけですが

エゴや肉体からすると何も面白くもないし
つまらない世界のように感じるし
世界が敵のように感じるし
他人ばかりに目がいくし
なんか楽しくない

そして慌てふためくという世界を体験してしまうんですよね。

これも一経験としてはいいんですけどね。

でも、じゃあ、そのハイヤーセルフ(観察している意識)の
状態で生きることができないのか?

これが最近、多くの指導者が悩める人たちに向けて
いつも伝えているメッセージのような気がしていますが

やっぱり昨日の記事のように「何もしない」となると
エゴの思い込みが邪魔をして中間点に辿り着くことは
どうしても厳しくて

それもOKというのが観察者(ハイヤーセルフ)の意見ですが

どうせなら楽しく生きたくない?笑
が私のエゴ代表としての意見です。笑
(でも、それもある意味
エゴから外れた私の中間点な気も・・・。)

ハイヤーセルフはいつも自分たちを
見ているけれども、エゴはハイヤーセルフは見えない。

だから意識がエゴを認識し、エゴと体と意識を
「中間点」に戻すことで
より観察者視点(ハイヤーセルフ)の状態に
戻るんだろうなと感じていますが

その中間点とはなんぞや?ということを
生きている間中、自分の魂と意識と体と対話をして
向き合うことで自然と見つかっていくんだろうなぁと思います。

要は心地よさ、楽しさ、幸せを感じ続けられる
自分も他人も心地よい”中間点”

究極に言えば、人の間だけでない
植物、動物、地域、国、世界、宇宙の中で
調和が存在する中間点。

少なくとも人々はこれを無意識でそこに近づいているのか
意識的に近づいているのかの違いでしかなくて
同じ道を通っているな〜と。

私たちが中間点に戻り
それぞれの経験や人生をより楽しむ。

それが究極のこの人生の楽しみ方なんだろうなぁと
感じます🎶

ただ感じていることをつらつらと書き記した記事に
なりましたが☺️✨

私の日々のアウトプットだと思って
ご覧いただけたら嬉しいです。笑

それでは!今日も皆さんにとって
愛と光溢れる素敵な1日になりますように!

愛を込めて

Remi

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