見出し画像

【郷土館】長野・駒ケ根市の「駒ケ根市郷土館」。洋風建築の駒ヶ根市役所の旧庁舎を訪れる!

長野県内にも数少ない大正期の洋風建築で駒ヶ根市役所の旧庁舎「駒ケ根市郷土館」。昭和46年秋に庁舎新築に伴い、庁舎の代表的な部分(延面積410.113m²)を現在地に移築し、郷土館として保存するとともに民俗文化財等を陳列しています。

この日はこちらのドライブマップでたみドライブを満喫しておりましたので、こちらの記事の「光前寺」からの次の目的地として「駒ケ根市郷土館」を訪れました。

画像1

なにやら瀟洒な建物が目の前に突如現れたではありませんか。早速その資料館に入ってみたいと思います。

画像2

この郷土館では、生活用具などの民俗資料、市内の遺跡で出土した土器などの考古資料、周辺に生息する動植物の標本などの自然資料を展示してされています。

画像3

早速、周辺に生息する動植物の標本を見ていたいと思います。

「カモシカ」も生息しているんですね。

画像4

日本アルプスには「カモシカ」が多く生息しています。カモシカの中でも「ニホンカモシカ」は日本の固有種で、北海道と中国地方を除いた本州、四国、九州の山地や丘陵地帯に生息しています。「氷河期からの生き残り」とされ、岩場や急斜面のある森林に棲み、低木の葉、芽、小枝、花、実を食べています。

実は、二ホンカモシカはウシ科の動物でシカ科のニホンジカ等とは別種で、生態なども異なるんです。知っていました?

ニホンカモシカはなわばりを作り、単独で行動、4頭程度以上の群れを作ることはありません。一方のニホンジカはオスは群れで行動するんですね。どう見ても二ホンカモシカの見た目はシカにしか見えませんよね・

市内の遺跡で出土した土器などの考古資料も展示されています。

画像5

「熊」の標本もありました。

画像6

で、でかい。日本国内には2種類の熊が生息しています。ツキノワグマ(ニホンツキノワグマ)とヒグマ(エゾヒグマ)です。ツキノワグマは、本州および四国に生息し、九州では絶滅したとされています。

ツキノワグマの生態については、基本的には臆病な性格で、人間の気配を感じれば、逃げていくのが普通です。ただし視界の悪いところでバッタリと出会ってしまったり、子どもを連れた母熊が子どもを守ろうとして、人間に対して危害を加える場合があります。食べ物の匂いに非常に敏感で、食べ残しの匂いにつられて近づいてくることもあります。

画像7

一方のヒグマ(エゾヒグマ)は、北海道の森林など。知床の生息密度は、世界でも有数の高い密度で生息しているとされます。

ヒグマの生態ですが、陸上に住む動物としては日本最大で時速50kmほどで走るほか、泳ぐことも、木登りをすることもできます。人よりも身体能力が高いですが、普通は人との接触は避けて暮らしています。ただし、残飯などの食べものの匂いにつられて、人の生活圏に侵入することはあります。人を見たら必ず襲ってくるような攻撃的な動物ではありませんが、遭遇したときは慎重な対応が必要とされます。

実際に熊に出会ったときは、以下のことを行うと良いようです。登山者の方は注意されてください。

・驚いて大声を出さない・・・突然大きな音をたてると熊も驚き、逆に身を守ろうと襲いかかってくることがあります。悲鳴は“ぐっ”と我慢して冷静に
・走って逃げない・・・熊は逃げるものを追いかける習性があります。熊が本気を出せば人間よりも足が速いので、走ってもかないません。熊の方を向きながらゆっくりと後ずさりしてその場を離れてください。
・死んだふりをしない・・・雑食性の熊は死んだ魚や動物を食べることがあります。倒れて死んだふりをしていると、かえって熊が興味を持って近づいてきてしまう可能性があります。
・熊撃退スプレー・・・熊と遭遇してしまった場合の撃退用として、「熊撃退スプレー」というのが市販されています。万が一遭遇した場合、風向きに注意して、熊の顔に向けて吹きかけます。

画像8

市内の遺跡で出土した土器などの考古資料も展示されていました。

画像9

旧庁舎は大正11年10月に、旧赤穂村役場として、当市出身、伊藤文四郎工学博士の設計により建築されました。

画像10

「生活資料室」。ちょっと覗いてみましょう。

画像11

昔の主電動ミシンや蓄音機、ラジオなどが展示されていました。

画像12

「掛時計」も古き良き時代を思わせます。大きなのっぽの古時計~♪おじいさんの時計♪

画像13

「表玄関」。

画像14

駒ヶ根市は昭和 29 年に赤穂町、宮田町、中沢村、伊那村の二町二村が合併して生まれたものです。駒ヶ根市は昭和 29 年に赤穂町、宮田町、中沢村、伊那村の二町二村が合併して生まれたものです。そして「駒ヶ根」はその際、一般住民の意向を基に命名された新しい地名です。

画像15

合併前の「赤穂村」は明治 8 年に赤須村と上穂村が合併し、両村から「赤」と「穂」をとって赤穂村が生まれています。「赤須」は赤土のこと、「上穂」は段丘の高いところの意味ともいわれています。

画像16

「腕用ポンプ」が展示されていました。

画像17

大正8年以来、下平消防組が愛用し消火活動に威力を発揮しポンプです。

画像18

腕用ポンプは、火災の際にこれを運んで行き、手動で放水して使いました。左右にホースを付ける個所があり、それぞれ水を吸い上げる側、放水する側に分かれています。

郷土館の2階にも行ってみましょう。

画像19

旧庁舎は、開拓期の米国で発達した近世コロニアル様式を取り入れ、内部の装飾に近世ルネッサンス式を加味し、当時の役場としては斬新的で豪華なものでした。

画像21

工費は5.4万円位で、当時の村の総予算が19万円余でしたから、かなりの大工事となりました。2階は村議会議事堂という洋館役場となっています。郷土館で挙式も上げることができます。

画像21

左右へ屋根が低くなるに従い手前に張り出してくるという、アメリカ独特のスタイルが取り入れられており、地元出身でアメリカへ留学した伊藤文四郎のこだわりが現れています。

画像22

駒ヶ根市役所として使われた後、郊外へ移築されました。

画像23

如何でしょうか。長野県駒ヶ根市赤穂の大沼湖畔にある「駒ヶ根市郷土館」。大正11年(1922)に、同市の前身のひとつである赤穂(あかほ)村役場庁舎として建てられ、昭和46年(1971)に現在地に正面部分が移築され、郷土館として保存・公開されています。

地方自治確立に力を注いだ村長福沢泰江氏米国帰りの設計者・伊藤文四郎氏の意気込みが伝わる建物に訪れてみては如何でしょうか。

written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?