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言葉のパワー聳え立ったタワー

こんにちは、言葉の力を比較的信じている人です。
soul'd out、カラオケで歌えないわい。

年が明けて、仕事もまた始まり、いろいろ考えつつも目の前のことに必死で、言葉と疎遠になっている日常。
一回ここでどどん!と、何か世界に打ち落としておきたくて、書いています。

本はどうにか読む。
けど文章が俺の心に入り込んでくる、もっと手前らへんで消えてしまう。

noteを書こうとする。
自分の言葉が出てこない。
借り物の言葉がふわふわとしてて、俺の感情が言葉にならない。

このもどかしさで何もかけず、書かないと、という謎の義務感に苛まれ、時が過ぎてた。
そんで今書いてるのがこの、なんか書けねえよ!ていう文章なんで、素直さが1番なんだなって思う。
意外とこれはしっくりときている。

文章って

嘘は書ける。
みんなも就活とかで書いたこともあるでしょう。
でもさあ、自分の中にあるものを言語化する以上の文章は書けない。

例えば、小説でも歌詞でも、
自分の中にある世界観を言語化していたり、
思想を代わりに登場人物に伝えてもらったり。
それは、確かに現実にいる人とか、ある状況ではないけど、嘘ではないんだよ。

これが嘘かどうか、本物かどうかが、人の心に刺さるかどうかを決めると思う。
そんで、そうじゃなければ、趣味で書く文章であれば書いても意味ねえよな!

いやこれは俺の主観です。
嘘つく人は嫌いだし、偽物には価値を感じない。
作り物は作り物として振り切って見させてくれという気持ち。

リアルに勝るサプライズはない

俺の大好きな言葉。
昔会社の先輩と、好きな小説の話から始まり、コンテンツ制作について話す機会があり、いただいた言葉がこれだ。
大事に大事によしよししている言葉。

俺が本当に面白いと思うコンテンツはリアルだと思う。
コンテンツというコンテンツが飽和した現代社会において、作り物のハードルはバカみたいに上がってる。

ベタなストーリーラインとか、ベタな言い回しは誰でもどこでも簡単に見られちゃう。

「リアルさ」を追求するくらいなら、まじもんの「リアル」でいいと思う。
逆にめっちゃ非リアルは、今でも夢を人に与えていると思う。

人の人生を聞くYouTubeとかやっぱ面白いし、
YouTubeのコメント欄にはヤラセ警察みたいのがたくさんいるし。
現代社会でそうゆうのが求められるのは
微妙な偽物への飽きと、不信感なんじゃないかなって。
なんならもうそれがスタンダードになるまでもある。

リアルを見たいんだよ、求めてるんだよ。
それってもしかしたら、偽物で夢を見て裏切られるのが怖いのかもしれません。

夢を見られない時代なんですか?

でもプロは、そんなんお構い無しに、人の心に刺さるものを量産することを求めらるわけでしょ。

これはもう共感力というか、想像力が半端ねえんだろうな!!
自分の枠組みはみ出して生きてかないと、ヒット作生み出してられないだろうし、それってかなりしんどいんだろうなって同情する。
(書きたい放題だな。)

それか嘘にならないほど、人生経験が死ぬほど多いんだろう。ボキャブラリーが俺らとは違うんだな。

◆◆◆

これも好きな言葉。
なんでだろうか、ハッピーエンドの小説なんて読みたくない。
漫画ならいいと思うけど、小説でハッピーに終わられても、何を得ればいいんだよ、とすら思う。

文豪たちの文章はやっぱり心の限界状態を感じる。だけど、だから美しい。
その時にしか書けない文章がそこにある。
泣きそうになりながら書いた文章に、勝てるわけないだろ。その人たちの生き様なめんなよ!!

ふう。
先日読んだ岡本太郎の「自分の中に毒を持て」では、真の芸術は見て良い気分になるものじゃない。的なことを書いていた。
俺は文章にそうゆうものを求めているだけではあるから、それだけではある。

俺は幸せであるし、幸せでありたい。
けど、幸せなことからは、「幸せである」というもの以上のことは得られない。
だけど幸せであることがこの世で最高級に尊いものだからそれはそれで良い。

一方、不幸せな経験は辛いけど、色々な感情を生むし、それも生きてるってことだと思う。
俺はその芸術も人生に欲しいて思うし、
逆に文章が心に入ってこない時はやっぱり孤独じゃないんだと思う。
心は正直だ。

◆◆◆

伝えるというお仕事

仕事では文章を書く仕事が多く、大きく括ると「人に伝える」という仕事を1.2年してきた。

大学2年の終わりにインターンを始めてぴよぴよだった俺に、本が好きならと文章を書く仕事を与えてくれた当時の部長には感謝をしてもしきれない。心からのビッグラブを送りたい。

俺が仕事でも文章を書く上で意識してるのは共通していて、

お客様を裏切らないこと。

まあ単純に言えば嘘つかないこと。
こちらとしても伝えたいことがあって、
企業・ブランドをこう見て欲しい、てことがあるんだけど、
その上でリアルを伝えること。は忘れちゃならん。

もしここで、リアルを伝えずに期待値のズレがあったらそりゃあ顧客体験最悪だし、ブランドのこと好きではなくなるよね。

文章で夢を見させることはすごく大事。

だけど、夢と嘘は違う。

リアルを伝えるマーケティング手法は俺は今後推してていきたいと思っている。
だってそれがお客様からも嘘をつかない安心感につながるでしょう。

夢は夢のままじゃ終われない

大層な話になってきましたな。
前半で、夢を見れない時代なのだろうかと書いた。

いやもちろん見られますよ。

12歳の時は
修二と彰の彰に
NANAの蓮に
憧れて夢見てたから。
一丁前に現実見始めたて節もあるだろうね。

でも色んなストーリーラインへのアクセスも簡単な世の中で、多種多様なリアルな他人の人生に面白さと夢を見る人が多いのも、事実かなって俺は思う。

俺もリアルを追求して人に夢を見させられるような人間になりたい。
そんな言葉を吐き出していきたい。
死ぬまで夢を持って生きたい。
そして夢は夢で終わらせない人生を生き続けたい。

じゃあまたね。


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