金持ちが貧乏人のコスプレをしてる

今、思い出せば、まさぼーちゃんのこの発言こそが、今の日本のロックへの痛烈な批評であり、最大の違和感なんだよな、と思う。

つい、先年亡くなった、東京工芸大学で教鞭をとられていた酒井孝彦(通称せんせい)という方と、何度かその事について話をしたことがある。写真家なのだが、やっぱり音楽が好きで。本人も何度か、私の出ていた新宿URGAでライブをやっていて、そのご縁で何度か話をする機会があった。

その時に、彼が若い頃、海外を放浪した時、ロックが好きだ、というと、怪訝そうな顔をされたそうだ。

「何で、日本人たちのような何不自由ない生活環境にいる金持ちが、ロックに興味を持つのか不思議だ、って思われてるみたいだよ。」

「ああ、それ、分かりますね。自分が違和感あるとすると、ロックを名乗りながら、ビンテージの高額な機材を買い漁ってる人達とか。

自分が聞いた話だと、学生が趣味とはいえ、20万とか30万のピカピカの新品の楽器とか持ってロックを演奏してるだけで、怪訝そうな顔をされた、と。

『そんな高い楽器を持って、お前はプロなのか?』

みたいな。」

今の海外は、どうかは知りませんけどね。

海外つーても色々あるので。ちなみに、せんせいがそれを言われたのは、フランスでの出来事だったそうだが。

彼はもう一つ、面白い事を言っていた。

海外の人間からすれば、日本ってのは不思議な国で、金持ちと貧乏人が同じエリアに住んでいる、っていう事。

それが海外ではとても珍しいことのようで、さぞかし開明的な国だと勘違いして来ていたらしい。

だって、海外の多くでは貧乏人と金持ちは、いがみ合いのもとになるから、同じエリアなどに住まない。金持ちと分かったら、犯罪に巻き込まれて金奪われるんだから、そういう所を歩く時は、金持ってるようなそぶりは見せないんだそうで。

日本人が、実は、それで陰では壮絶ないがみ合いをやっているんだが、目に見えて、金持ちが街を歩いていて金を奪われるような事が無かった、ってだけなんだけどね。反感が暴力の形を取って出る所までには至っていなかった、ってだけなんだよね。

金持ってると見られただけで犯罪に巻き込まれる
と言えば、そうだね。

Lushの来日時の前座を務めた友人が、そこで気に入られて、イギリスのツアーに帯同して行った時にも、似たような話があったらしいが。

「下手にピカピカの新品とかいい楽器を置いておくと、すぐ盗まれるから気を付けろって言われた。楽屋だろうと油断できない。」

と。そりゃ、そうだろうなぁ、と思う。

だから、海外では、高額のビンテージ楽器だの、ビンテージ機材なんか使わないのにね。ボロボロの安楽器で、いつ壊れてもいいような機材だけで、あれを弾いてるんだ、と言われても、容易に納得はしない。そもそも、この話をXでポストした時も、壮絶にいろいろ言われたものだけど。

当たり前が違い過ぎる、ってことを、殆どの日本人が知らないのだ。

海外の場末のライブハウス、つーて、吊り下げ機材(ぶらさげとも言うが、レンタル用のドラムセットやアンプを置くこと)の無いライブハウスと言い、何から何まで面食らったようで。

そんなのが当たり前だよ、って言っても。

常設の機材があるのが当たり前で、PAや店員が親切に君たちに接してくれて、そこに高額の楽器を繋いで「俺らは貧乏人!」みたいな歌を歌っても、何の説得力も無いんだよね、って事を、多くの人間は悟れない。

下手すれば自分が好きだと言ってる、その曲の歌詞が、他ならぬ自分みたいな人間への壮絶な皮肉であることも理解できずに「音楽がカッコいい!」と言いながら、何も考えずにそれを弾いている。それこそが、日本のロックの限界だったんだろうな、と思う。

何で、こういうずれが起こるんだろうか、と考えてみるに。

恐らく、日本でそのバンドが紹介されるタイミングの差、というものがあるんだけどね。そのバンドが、本当に無名だった頃の活動がどうだったか、なんてことを日本人の多くは知らないのだ、っていう落とし穴があって、その落とし穴に気づいてないんだろうと思うのだ。

例えば、そうだねぇ。

「アーティストは金の事なんか気にしない!」

って平気で言ってる人がいるんだけど。これってのも、聞く人によっては2つの受け取り方ができるんだよね。

・たとえ、貧乏だろうが、後先考えないで、高額な機材を見ちゃうと、或いはいい音出す楽器見ると、ポンと金出して買っちゃって「やっちゃいました、てへぺろ」みたいな事をやらかす。だって自分はアーティストなんだから、金の事なんか気にしないんだもん!

こういう人、周りにいると思うけどね。何か、それが日本では、アーティストっぽい行動だと思われている様なんだよな。

この、っぽい行動、こそが、最大の曲者なんだけど。

そんな、ローンを組んで、様々な楽器買い漁れる段階で、海外では「その生活に何の不満があるんだ」っていうレベルなんであって。貧乏人とは言わないのである。十分、遊ぶ金、持ってるじゃないか、と。

それでいて、本当に食うや食わずの生活をしているとか、生活保護受けてます、なんて話になると、途端にそれを蔑む。

ロックなんて、ナイナイづくしで自分の腕だけで這い上がってきたような人が、金のないところを、知恵で何とかしてきたようなものであって。そこで作られた音楽が、色んな人の共感を得るようになって、ようやく手にした金で、一張羅のいい楽器を買って、人前に出てくるようになった。

ところが、ここに、日本人が気づけない、壮大な落とし穴がある。

つまり、海外の人間が日本で紹介される辺り、ってのは、この「貧乏から抜け出した直後当たりの、ニューカマー辺りの時期」なのであって。どんな貧乏ミュージシャンだろうが、それなりにプロとしてのキッチリした機材を揃えだした辺りしか見ていない、ってことなのである。だって、そんな本当に無名も無名の時期から、日本に紹介されたのなんて、正直、80年代のハノイ・ロックスとか、ジャパンとか位しかいないんだよね。

だから、日本のミュージシャンの中には「良い音を出すのはいい楽器だ。それを買ってこそだ!」みたいな壮絶な勘違いをしている人が未だに多いのだろうと思う。本当の無名の頃からなんか見てないのに、彼らが「自分たちは貧困層から抜け出してきたんだ」という言葉だけを真に受けて、貧乏なうちから「楽器は金に糸目をつけない!」みたいな訳の分からん事を言い出すオッサンオバハンを増加させてきた。

そんなん満たせる条件の人なんてのは、よっぽどの生活に何不自由ないお坊ちゃんお嬢ちゃんなのであって、そんな土壌に最初から、ロックなんかが根差すわけがなかったんだよね。

何か、その光景が、新手の新興宗教団体のやってる事に見えてしまう。アーティストというものを、おかしな形で神棚に祭って、日夜それを崇め奉り、ストイックで音楽に専心する姿こそ、アーティストのあるべき姿、みたいなステレオタイプなイメージに落とし込もうとする。

その人たちからしてみたら、多分、僕なんかは、間違いなく音楽やっちゃいけない人だったんだろうね。東北の片田舎に生まれて、

ハ~、楽器屋ねぇ!
教師もねぇ!
書店に楽譜も何にもねぇ!
リハスタねぇ!
メンバーねぇ!
ハコの代わりは公民館!
じーさんとばーさんが
楽器弾いたら怒鳴り込む!

みたいな場所から出てきて、ホンマ、今までよく生き残れた
もんですよ。

イギリスの貧困層なんて、じーちゃんの辺りから生活保護受けてて、生活保護3代目とかで、カウンシル・フラット(公営住宅)から抜け出せず、家にはテレビくらいしかしかない、みたいな状況で。

だから、学校に行っても、友達と話がサッパリ合わないから、家に引きこもって、外に出なくなる。そうやって、壁に向かってサッカーボールを蹴ったり、なけなしの金で手に入れた中古のギターを手に入れては、日がな一日、ずーっとそれを弾きまくって、音楽の勉強する位しかやることがない。

だから、日本の温室育ちの「若き天才」と持て囃されてるようなのとは、まったく真逆の環境「演奏マシーン」と化したような馬鹿テクな人間が生み出されて来るんだ、ということさえも、どうやら、分かってないらしい。

だって、それしないと、その貧困生活から抜け出せないほど、チャンスなんか無い、って事なんだよね。高等教育を受けたくても、受けるだけの余地がない。

その事が、本当の ニート ってこと。これ、下手すれば、日本では東北や北海道など、東京以外の地域に生まれて、行政の手の届かない所にいる家庭に生まれた子供たちなんかでは、既に起こっている現実なのである。

下手すれば、今の日本は、パンクの頃の英国よりも、ひどい歪みを抱えているのかもしれないけどね。だって、貧困者向けの低所得住宅なんてのが、今は昔、みたいになるような所まで、英国の福祉事情は変わっている。

なのに、日本は、アメリカに追いつき追い越せ、とばかりに、旧時代の化石みたいな新自由主義者たち「格差を広げろ!金持ちが一生懸命稼いだ金を何で貧乏人なんかに分け与えなきゃいけないんだ!」みたいな浅はかさで躍起になって行動してるのを見るにつけ。

えーと。あんたら、何周回遅れで、そんなことやってるの?

どうやら日本は、世界で初「新自由主義者が反対もされずに好き勝手やらかしたおかげで、世界の潮流から取り残されるどころか、原始時代の力こそ正義、に戻りつつある」ことを理解できないまま崩壊していくのかもしれない。

何か、格差がある方が、自分の優越感や虚栄心を満たせる人たちだらけな気がしてるんだよね。「俺、頑張ってる!ザマーミロ!」みたいな感じで。

ま、だから、いきなり、ポスト・ロックから入っちゃったんだろうけどさ。
日本の音楽業界は。

でも、そのターンを30年間続けてたら、そりゃいい加減ダメになるだろうね。でも、もう、自力では変われないんだと思う。

今、それを飯にしてる人達は、自分たちが安泰であることの方を望むわけですよ。例え、その先に破綻しか無いと分かっていても、自分がその口火を切って変革するほどの力はないし、できれば黙ってやり過ごしたいのだろう。

そんな感じで30年間ほど、冷めた目でシーンを眺めている。

そして、
30年ぶりにシーンを眺めた「海外の無名のバンドを発掘して、その恐ろしい手腕とプロデュース能力で日本でそこそこ売り出すことができた唯一の人物」がたった一言。

「金持ちが貧乏人のコスプレしてる」

と一言で片づけた事、ってのは、ああ、やっぱり見る人は見てるんだな、としか思えないのである。

そして、自分の気になってる点と言えば。

もし、そんな所まで海外水準に合わせるようなことになった時に、間違いなく日本人ってのは、世界から一番取り残された兎かヒヨコみたいなか弱い存在でしかなく。

間違いなく、未来に向かえば向かうほど、東京には海外のスラムを超えるような、巨大なスラムが出来上がるんじゃないかと思っている。そこではおむすび一個を奪い合って、人が死ぬような世界が繰り広げられている訳で。

正直、今、楽器弾いてる人達も、そのほとんどは、そこに住むことになるんだろうって事を真剣に考えてない、ってことなんだけど。

素知らぬふりして音楽に逃げたって、世界が変わっていくのは止められない。まあ、僕は、別にどんな形でも、音楽続けられるって自信があるからこそ、黙って見てるんだけどね。

音楽を仕事にしてない、ってのは、そういう事も考えての事であって。

僕は、究極で言ってしまえば、他に誰もいなくても音楽は作れるからなんだけど。


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