Quiet Life / Japan

あ、これ、曲のタイトル書いてありますけど、ググってどんな曲か調べたいみたいな人は、回れ右でお願いします。これは、その曲を元に、ちょっとした思いをつづった『戯作(つれづれなる文章)』でございます。聞いた感想文でもございません。

さて。

激しい双極性障害の鬱転で、全く身動きが取れなくなった後で。

ようやく思考能力と行動が通常レベルに戻った時に、この全く身動きが取れない1週間近くの仕事の大穴を埋めるのに2日使く徹夜仕事して、身体はズタボロのピークになっている、ということになり。

仕事は滑り込みセーフで仕上げたものも、取引先にも要らぬヒヤヒヤをさせてしまうという事になる。

『いつ暴発するか分からない時限爆弾を抱えた人間』みたいなもの、ってのは、そういう話。

サイクルがキッチリしてるなら、自分だって薬飲んだりで備えられるけど。こっちの体調次第で薬が効き目あったり無かったりとかするのが、どうにもならん。

当然、最初に『スタビライザー』というのを飲んで、その波を押さえてから、鬱が出た時だけ少し上げて、みたいな事になるんだが、その鬱が副作用の嵐で、自分の体に全く合わない挙句、全く感情だの情熱が無くなるっていう音楽人にとっては最悪の副作用があるんだよね。

音楽辞めて普通人として生きるか、というか。

躁人格も鬱人格もいなくなると、治療を続ければ Musu Boreが無くなるっていう話でいいですか? という、これ何なの、という深い悩みを抱えてるのですよ。 薬使って治療すれば”誰でもない普通の私”として静かに過ごしていくことはできますけどね。

”双極性障害が無くなって平和に過ごせる代わりに、Musu Boreを止めさせていただきます。”と言って、一体、何人の人が、それを真面目な話として受け止めることができるか、と、一度、聞いてみたいと思った。

世界初、こういう悩みかかえて、音楽活動を続けるか続けないかの究極の選択にぶち当たったw

このいい加減、不安定な体を必死に維持しながら、皆様に私の生き様と音楽自体を、一つのエンタメとして楽しんでいただくか。

それとも 薬で感情を喪って、それでもできるような新しい音楽をゼロから作りながら、残りの余生を人知れず静かに生きて行くか。

まー、そんな話を、長年、喜怒哀楽を共にし、ここまで必死になって積み上げてきたことをぶち壊しにしかねないような話を、メンバーや関係者は許してくれるかw

当然、自分の子供の頃には、そもそも、それを『どうもこういう症状があって』と病気として説明しても『馬鹿な(おかしな)事言うんじゃない!』の一言で片づけられてしまい、私の山形時代の『軍師』が必死に助けになってくれてたから、何とか維持できてただけの事。 こんな病気、山形で治療できんよ。

私の父親も、それで片足を無くしたのだ。 『劇症化膿性連鎖球菌症(人喰いウィルス)』なんていう、当時の日本に30症例しか無く、生還率が10症例なんていう、そんな奇怪な病気にかかっても、普通の医者ですら目の前にそんな患者が来るとか思ってもみないから、対処できる訳ない んだよ。

あれは誤診だったのじゃないか、と思って、自分の父の無念を晴らすために、検査会社に入ったが。 ああ、これは誤診とかどうのとかいうのでなくて、普段見た事のない、それほどの未知の存在に出逢った時、人は、それに対して、まともに対処できるわけがないのだ、と気づくのも早かった。

普通の対処出来る事
普通の対処出来る事
普通の対処出来る事
普通の対処出来る事
普通の対処出来る事
(見た事も聞いた事も無いような変なもの)


人ってのは、どうしても、それまでの発想や思考ルーチンや対処方法をいきなり変える事はできない。これまでの上手くいったやり方を、まず試そうとする。

これまでの知識や経験で得たものをフル動員して対処しようとするが。 もし、それが、それに対して、全く効果も無く、或いは、自分の想定をはるかに超える奇妙な動きを始めたり、或いは、それがかえって、逆効果だったりしたら、君は、どうするのか? という事。

私はそれを、このコロナで再び見た。

私は、何度もそういう『未知のもの』と戦いながら生きてきたんだから『あ、また変なの来た。』と、とりあえず何があってもいい様に、いざという時の棍棒かまえつつ、様子を眺めるのだけど。 そういう『自分の終わりなき日常に現を抜かす人々』は、さぞかし不安で怯えたことだろうな、と思うのだ。

君たちが、そうやって過ごした、この4年間が。
僕の音楽や小説への道の途中、24歳から28歳までの間に起こった出来事で。

全国津々浦々の人たちにとっては。

君が感じた、そのすべてが。 僕の24歳から28歳までの間の全ての出来事だったのだ。それが、自分の境遇に起こったと思えばいいんじゃないか。

んとさ。みんなで共通の問題に立ち向かっていただけ、まだマシだったと思うよ。もし、コロナが自分一人だけがかかるような病気だとしたら。その孤独と絶望に、君は本当に耐えられたのだろうか。

私、ネットの無い時代で、そういう事が起こって、調べようにも調べられない、誰かに相談しようにも、相談できない。したところで、その解決方法など持ってない、みたいな事ばかりの時代を生きてから、ここにいるから。

だから、こうも思うの。

『もし、明日、地震が来て、東京がズタボロになった時、ここの人たち、泣いて喚いて、絶望して、そこらで首吊っちゃったりするんじゃないだろうか。』

ってことも、ふと頭の中をよぎってしまう。
それほどに頼りなく、か弱き人達が、自然の猛威に耐えられるのかという事も含めて。

全く、人生で、何回、こんな過去の経験やら常識が全く通用しないような、未知の怪物と出会わなきゃいけないんだろうね。

まあ、自分も相当な『宇宙人』だけど、ネッシーに会ったかと思ったら、今度はオゴポゴにでも会ったような気分だ。空から神様でも来るか、それとも地震で日本が真っ二つに割れるかw

交通事故で、危うく死にかけたし。こないだの軽自動車が30cmまで潰されて中の人間ペッチャンコ、って。アレに近いほどの交通事故、マジで自分にもあったんだけどさ。その話も聞きたきゃしてやるけどw いやあ、ホントにガンダムのモビルスーツで、コクピット潰されるって、あれを人生で体験するとは。

現場に来た警官が、状況を見て一言。

『・・・何でアンタ、無傷でピンピンしてるんですか?』
『こっちが聞きたいくらいです。』

僕には、宝くじに当たるような幸運は無い。けれど、人生における危機を、それこそ紙一重で切り抜けるような事ばかりの人生の幸運はあるみたいだけどさ・・・

疲れるんです!
平穏無事な生活がしたいんです!

世界の中心で『普通の女の子に戻りたい!』を叫びたい!
こんな人生要らない!


僕だって、公園でのほほんと犬連れて散歩しながら『平和だねぇ。』って呟いて、本を読みふけってるような人生が欲しかった! つーても。

有名になりたいとか、お金欲しいとか、そういう想いで『自分は一度きりの存在!二度と無い自分の人生!』みたいに燃え上がって、音楽業界に突っ込んでくる若者たちを見て一言。

その人生、ハッキリ言って、孤独で疲れますよ。
しかも、自分で臨んだわけでもないような奇妙な事ばかりが、子供の事から自分の身に起こってるとね。。

メテオ(古っ!)つーか、流星雨とか隕石が次から次へと降ってくる中、紙一重でかわしながら、生きてきた人間としましてはね。


この曲しか頭に浮かびません。

『気を付けろ、また静かな生活がやってくる』

・・・人の気も知らんと。
たまにでいいから『静かな生活』来て欲しいわ。

中学生の時から、この曲に魅せられて、ずっと聞き続けてるにも。
それには、それなりの意味がある。

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