やる気あれば、何でもできるなんて、信じてないよ

"やる気があれば調べられる"とかいうのは大ウソだよ。

"調べる"ってのは、存在を一度でも見聞きして、疑問に思わなきゃ、起こせない行動なんだよ。

例え、ネットがあろうがなかろうが。

そんなものがある、なんて知らないものを、人はそんなに深く考えない。
ましてや、あるとは思ってないものを、調べようとは思わない。


東京や、神奈川、あるいは大阪や京都などに産まれながらに育ち、その光景を当たり前に眺めていた人が、気づきにくいことってのはそれ。

街の光景から学んだ事の情報量。
そこから生み出された自分の中の好奇心や興味。

これが地方になると、そこにあるのは、その人数に見合う最低限の必要だけ。売れ筋の音楽、売れ筋の本、売れ筋の服しか扱わない。

最初から、トランプの札は、限られて置かれている。
5枚の札から選んでいいよ、という世界と、せいぜい2枚の札しか置かれてない世界の違い。

情報格差とは、そういうものなのだ。

生まれた頃からの刺激や好奇心を育むに必要な、街の中から学んだことの情報量の格差も膨大になることに、多くの人は、中々、気づかない。

ライブハウスが、徒歩数分の場所にあって、気軽に音楽を子供の頃から楽しめて、楽器を持った友達が周りに数十人もいて。

街角で、楽器背負った男の子とすれ違う。あれは何だろ、子供心にふと思う。

そこですれ違って興味を持てば、そりゃ、あれは何だ?とか人に聞いたり、自力で調べるとか何でもやるだろうな。

けど、そんなものや人にすれ違う機会なんか、地方はぐんと減るんだよね。

町の看板、ショーウィンドウに並んだ品物、見るもの聞くものが全て、学びの機会になるのに、そんなものや存在さえ、あることを知らずに死ぬ人もいる。

それを本人の不勉強や怠惰とか、努力不足なんて軽々しく言うなって。

恵まれた場所に生まれた幸運に感謝こそすれ、人を蔑むネタに使う人間は、海外のアートスクールで、まず指導者にこっぴどく叱られるだろうよ。

街ってのは、人の営みが、その人の営みが作り出したものが、そこにあることを知らせる役割を果たしてた。

地方の小さな商店は、たとえ小さくても、扱う品物は少なくとも、そういう何かの入り口を担う、最初の教師だったのよ。

こないだ山形に帰って思ったこと。

いやいや、高校から大学に出て、楽器弾くこともろくにできない自分と、生まれながらの東京育ちの同期たちのスペックの違いに愕然とした思い出を考えつつ、行くたびに寂れていく生まれ故郷の街並みを眺めて思うんだけど。

いま、この町にあるのは、セブンイレブンと、ローソンと、ファミリーマート。家に帰れば、テレビとネット。

調べるためのきっかけが、これしかなきゃ。
ネットで検索する話すら、テレビから仕入れたネタになっちゃうわな。

俺、よくこの町に住んでて、レコード聴いたり楽器持とうとか思ったよな。

多分、自分がいま、この時代のこの町に生まれてたら、楽器なんか、一生、興味を持たなかったかもしんないな、と。

テレビに出てきたバンドでも見なきゃ、多分、音楽に触れる機会なんて、殆どないんだろうし。そこで流れてる音も、興味持てなきゃ聞かなかったろうね。

懐かしく思い出す。

昔、自分の生まれ育った町の駅前にあったレンタルレコード屋のおねーさんたち。

レコード借りにきた、クソ生意気な中学生に、

こういうのが好きなら、こんなのも好きかもね。

って、ガサガサと袋からビニール盤を取り出しては、店のプレイヤーでかけてくれた。

また、あんな人に会いたいよ。

私にとっては、あの人たちも、偉大なる音楽の教師だった。
外の世界への鍵をくれた人だった。

あんな人たちがいたから、自分がいま、ここに楽器を弾いて、曲を書くことが出来ている。それが、当たり前の行動として考えるようなきっかけの最初に存在してる。

そんなふとしたきっかけで、自分の背を押してくれた人たちがいた。
その人たちが生きていた、あの街角の光景を忘れたくはない。


あの人たちがいなきゃ、自分は日本盤が出る前に、The Smiths のWorld Won't Listen を聞くことはなかっただろうね。

当時のレンタル・レコード屋は、海外から直輸入盤を仕入れて、国内で販売する前にレンタルで取り扱ってたから、日本のレコード会社は大打撃を受けて、そうした行為を禁止してしまった。高校2年頃には、街からそういった先進的なレンタル・レコード屋は消えてしまい、日本のアーティストと、日本の会社が取り扱った「洋楽」とやらの音源しか置かなくなってしまった。

1984年、東北の田舎の片隅が、マンチェスターに直結してた。
ロンドンに直結してた。東京なんか遥かすっ飛ばした海の向こうへ。
僕は、その僅かな数年に、たくさんの海外の音楽に触れる機会を得た、最後の世代だった。

J-POPなんて言葉さえも無く、日本のバンドたちが表に出てくる前夜のこと。大体、日本のバンドの方が音源が無いんだから、聞けるわけないじゃん。

そんな、地方に音楽を根付かせていた人たちや、そんな人たちが住んでいた町の光景を、忘れちゃいけないのよ。

それを、さも、俺は一人で学んだ、自分一人で偉くなったなんて、思い上がるな。

君は、街にいた全ての人たちから世界という存在を、常に垣間見させてもらってたんだ。楽器を持った、見知らぬすれ違っただけの人からも、あれは何だ、って興味という機会を与えてもらったかもしれない。

そんな機会の積み重ねの中で、君が「自分で考えた。」と錯覚してるだけに過ぎない。膨大なヒントを与えてくれた人たちの存在を蔑ろにするなよ。


知らず知らずのうちに、色んな存在に学びの機会を与えてもらったから、勉強の大切さ、必要性を真剣に考えたろうし、そんな様々な機会の積み重ねの果てに、今の自分が存在している。

そのことを忘れちゃならないんだよね。

これから、僕らは、あの街を取り返しにいかなきゃね。
あの街に住んでた、見知らぬ人も含めて。

あの街角に佇んで、自分の知らない音楽を教えてくれた、あの時のおねーさんたちのような人たちに、また会いたいのだ。

その先に、多分、あの頃の僕らとよく似た姿をした、目をキラキラさせた子供たちはいるんだろう。

そんな子たちの姿に、あの頃の自分を思い出すような、一心不乱に何かを学ぼうとしてる姿を見ると。

何となく。

あの、何も知らなかった頃の気恥ずかしさも含めて、懐かしいあの頃を愛しく思い出す。


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