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自己中心的な言動なのか、自己主張の範囲なのかを“客観視“と“俯瞰“どちらも使って考えてみる。

こんにちは!RENです。

今回は「自分は自己中心的な考え方をしてしまっているのか、それともただの自己主張なのか」という事をテーマに書いていこうと思います。

自己中心的な考え方や行動なのか、そうではないのかの違いはとても難しいと思います。私も人間関係のトラブルが多かった過去において、このテーマはずっと自分の中でも持っていましたし、ひたすらに考え続けたテーマでもあります。

2つが大きく違うところについて

自己中心的な考え方や行動は、根本的に“妥協できるところなのに、妥協しない“ということがあります。さらに“相手を制御したり、強制させる・自分の意見に無理やり同調させようとする“ということも。

例えば「週末に、特別なライブを見に行きたいから埼玉から東京に行きたい」と思っているAさん。
だけれど、車を運転することができないので、車を運転できるBさんにお願いをします。
Bさんは快く了承してくれます。

AさんはBさんに「東京に一泊して、明日一緒にライブに行ってほしい」と提案します。
Bさんはライブには興味はありませんが、Aさんがライブに来てほしいというので、了承します。

ですが、Bさんは、お金がないため「お金がないからホテル代は勿体無いし、ライブは一緒にいってもいいけれど、自分は一度家に帰りたい」と言います。

すると、Aさんは怒り出しました。

Aさんは「Bさんは自己中だ!」だと言います。

Bさんは何が悪かったのか分からず、自分は泊まりたくないけれど、ライブには一緒に行くと言いますが、Aさんはそれに納得出来ず怒ったまま。Bさんは逆にAさんを「その主張は自己中だ!」と言います。

その結果、2人は喧嘩という形になってしまいました。

これは、どちらが自己中心的な考え方をしているでしょうか。

Aさんは、ライブには行きたいけれど、車は出せないので、Bさんに出してもらいたい。そして一緒にライブにも来てほしいし、ホテルに泊まってほしいという譲れない主張。

Bさんの譲れないところは「お金がないからホテルには泊まれない」ということ。

Aさんの主張について“本当に妥協できないところがあるのか“を客観的に見てみましょう。
客観視とは、Aさんの気持ちを抜きにして状況だけを判断することです。

◆Aさんは車を運転できません。ですが、埼玉から東京であれば、電車やバス・タクシーなどを使えばホテルにもライブ会場にも行けます。

◆Aさんはライブ会場に一緒にBさんもきてほしいと言っています。けれど、ライブを楽しむのは客観的に見れば1人で出来ることですし、Bさんはそもそもライブに興味がないので、一緒に行く必要性はありません。

◆AさんはBさんに一緒にホテルに泊まってほしいと言います。けれど、こちらもホテルには1人で泊まることが可能です。

それでは次に、Bさんの主張について“本当に妥協できないところがあるのか“を客観的に見てみましょう。

◆Bさんはお金がないので、ホテルには泊まりたくない。
物質的に出せるものがないということ。

つまり本来譲れないのは、どちらかといえばBさんの状況だと思います。

では、ここから俯瞰的に2人の状況を見ていきます。
※俯瞰的にみるということは、AさんBさんどちらの感情も合わせて、状況も見て、考えることです。

この時、Aさんにはもしかすると“ライブやホテルに1人で行くこと、泊まることが不安だ“という気持ちがあったのかも知れません。
そして“電車だと迷いそうで不安だ・人混み酔いする“という理由があったかも知れません。

車を運転することにも、ライブ会場について行くことにもOKを出してくれたBさんだったので、Aさんが本来の不安な気持ちを開示すれば、ホテルに一緒に泊まることもOKをしてくれたかも知れませんし、AさんがBさんの分までお金を出すといえば、了承してくれたかも知れません。

これが俯瞰的に一度物事を見てみるということです。

ですが上記のような理由がなかった場合は、どうでしょう。
これは自己主張だけではなく、相手の承諾してくれた思いやりの部分を無視して、さらに傷つけるような言葉も一緒に吐いてしまったAさんの“自己中心的な言動“として受け取れるのではないでしょうか。

何が本当に譲れなくて、何が本当は譲れるのか。ここに根本的なヒントは隠されていると思います。

例えば、子どもに食べ物の好き嫌いがあり、ピーマンを食べたら吐いてしまうというようなことがあります。アレルギーなどはないものの、吐くということは、脳が拒否反応を起こしているということです。それを無理やり食べさせるということは「大きな怪我はしないのだから、叩いてもいい」と言っているようなものなのです。

時がきたら食べられることはありますが、工夫をするのはいいけれど、今無理やりその物事を完遂させる必要はない。ということです。

けれど、上記のAさんとBさんの話は、それだけでは終わりません。
喧嘩という形にならないようにするためには、Aさんが自分の本当の気持ちを開示する。もしくはBさんが聞いてあげることで喧嘩という形にはならないかも知れません。

けれど、これらはたられば話です。喧嘩になってしまえば、喧嘩をした後の対処法を考えなければいけないので、どちらかが話し合いに持ち直す。もしくはそのまま関係性を断つことが必要になるでしょう。

こういう結果にならないためにも、客観視と俯瞰的に物事を考えることの必要性が見えてきますし、自分の行動が自己中心的な行動なのか、ただの自己主張なのかもよく見えてくると思います。

物事をそのままの状態で放置しないことも大事なこと

大切な物事であるはずなのに“放置する“というのも良くない事の一つです。

例えば、飲まなければいけない薬だけれど、錠剤が飲めないAさんがいるとします。その場合は粉末状にする必要があります。けれど、粉末状にしても苦くて飲めないという場合もあります。
その場合は、ゼリーに混ぜたり、飲み物に溶かしたりして飲むということで、必要な要素を取り入れることが出来ます。

上記は、自分にも相手にも“視点変更“や“多角的に考える“という方法を使って、必要な事を最低限の状態で取り入れることができるという“妥協案“に近いと思います。

こういう風に、人は少しずつ“その人に合った方法“を考えることで“自己中心的な言動“がそうではなくなったり“ただの自己主張“に変換してもらうことも可能なのです。

“自己中心的な言動“は、相手の感情を考えずに酷い言葉を意図的に言ってしまったり、相手の“譲れないこと“に関して“対処する・譲歩する“ということもせずに“押し通す“ことや“強制させること“をしてしまうということです。

ざっくりと今回は分かりやすく書かせていただきました。
また他の記事と合わせて書くこともあると思います。

REN


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