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好きな服を着ることの意味ー「自分は自分でいいのだ」と思わせてくれる魔法ー

25歳の今の僕は、服が大好きだ。

高校生の時も服が好きだった。僕が好きな服を着ていると時々笑われた。

それのどこかいいの?そんな声が時々聞こえてきた。

僕はいいと思っているんだ。君がそう思おうが、その事実は変わらない。
なぜそんなことを言うんだ?

と、そんな強気でいられる強さは、その時の僕は持っていなかった

その時服が少し、嫌いになった。好きな服を着たときに何か言われるのが、怖くなった。

そして僕は、他人からそういう風に言われないように、自分の好きから少しだけ離れた服を着るようになった。

たくさんの人との出会いを経て学んだこと

大学生になった僕は変わらず服が好きだった。けれど、お金を服に沢山使っていたわけでもないし、見た感じ服が好きそうな人には見えない。
いたって普通の服装だった。

そんな僕は大学生になって、たくさんの人と出会い、話をした。

別の大学の人東京出身ではない人、たくさんの大人、たくさんの高校生

自分のやりたいことを突き詰めていく過程で結果的にいろんな世代の人たちを会いまくった。

いろんな人と話して、夢を語り、いろんな人が見ている世界を覗いて僕は思った

『僕は僕らしく生きていいんだよね』
『他者を否定しても何もいいことはない。君も、君だ。』

当たり前のことに思えるが僕は心の底からそう思うことができた。

そして、大好きな服に戻ってきた。

「僕は僕でいいんだよな。」心の底からそう思えたときに、ふと思い出した。

『僕は服が好きだったんだ。』

その時僕は自由になった。
誰かの目を気にして服を選ぶ必要なんてなかったのだ。僕は僕のためにこの服を作ってくれた方々に感謝して、好きな服を着ればいい

そんな当たり前のことを僕は忘れていた。
『かっこいい!』と服を見て初めて思った時の
あの新鮮な感情を、忘れていた。

その感情に従って、少ないお金のほとんどを使って、たくさん、いろんな服を着た

そしてKa na taとBishoolに出会った。

今僕のクローゼットの服たちはほとんどこの二つのブランドの服だ。

もう一生この服を着ていたいと想うぐらい大好きだ。新しい服が出るたびに「いいなあ。」と思いながら眺めている

今はこれだけ好きだけど、来年には全く違う服を着ているかもしれない。
でもそれでいいのだと想う。僕が好きだと想う服なら、なんでもいいのだと想う

「好き」という感情は、本来自由なものなのだと、たくさんの人が教えてくれたから

好きな服を着ることの、自分にとっての意味

好きな服を着るたびに、『僕は僕でいいのだ』と思うことができる。

僕の好きな服が僕の心と体を優しく包み込んでくれる

服が僕に常に思い出させてくれる。

『君は君でいいんだよ。』悲しい時、いつも僕にそうやって語りかけてくれる

たくさんの人に出会って得たあの学びを、服が僕に接続してくれたのだろう

僕は自分のことが好きだ。そうおもえる自分が好きだ。

それは僕と話してくれたたくさんの人と、僕の大好きな服たちのおかげなのだろう

きっとどちらか一つだけでは足りなかった。

好きという感情の否定を、受け入れる必要はない

好きという感情は自由だ。その美しさは人間は誰もが知っている

人はたくさんの好きを持っている。
ある人は服かもしれない
ある人は文房具かもしれない
ある人はアーティストかもしれない
ある人はアイドルなのかもしれない

人それぞれの好きがある。

何かを深く好きになった人は誰でも知っている
その自由さを、そしてその尊さを。

それが他人と同じわけがない。

それでいいのだ。

そうおもえるから、そしてその好きを否定された時の悲しさを知っているから
他者の好きに寄り添うことができるのだろう

好きを否定する権利は誰にもない。勝手に好きを否定してくる人がまた現れたら、きっと好きという感情の意味を知らない人なのだろう。そうやって自分を守ってあげようと思う。

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先月も好きな服を買ってしまいました!!!
今月は自粛しようと思います。
好きを飼い慣らすのは難しいなあ。
だからいいんだけど。
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