育児と仕事の「両立」って実際の所...

妊娠中、育休中、私が恐れおののいていた「育児と仕事の両立」について、3カ月くらいやってみての現時点での感想を書いてみようと思う。

と書いてみてまず「両立」という言葉に違和感を覚える。この3カ月間、私は確かに「仕事人」であり「母」でもある。でも、所謂「両立」をしている、ジャグリングをしている、やることが二倍になった、時間が足りない・・・そういった実感は特にない。半年前くらいの自分に、「大丈夫、大丈夫。たいして変わらんよ。」と言ってあげたい。むしろ、自分の得意分野に戻るんだから、楽になるよ、と。

でも、たぶん世の中にはやることが倍になってしまって息も絶え絶えにジャグリングしまくってるワーママたちが大量にいるのだと思う。だからあちらこちらから悲鳴が聞こえてきて、育児と仕事の両立が聳え立つ壁となって、本当は働きたい女性たちの躍進を阻んでいるのだろう。

というわけで、何が私の気を楽にしているのか考えてみた。

「自分は子育ての素人だと認識する」「自分は仕事の天才でもないと認識する」

日本には社会的なプレッシャーがまだまだたくさん残っているとはいえ、母親が感じるストレス、責任感、自己嫌悪、そういったものは、大概母親自身が作り出していることがめちゃくちゃ多い。メスというのは、子を産んだ瞬間に子育ては自分の一番大事な仕事だと思い込むように、おそらく生物学的にデザインされている。よって、子育てド初心者なのにも拘わらず、「私がすべてやるべきだ」と思い込む。右も左もわからない新卒ちゃんが巨大プロジェクトの陣頭指揮をいきなり執る。仕事に置き換えてみると、これがいかに不思議な状態かわかる。
我が家ではデイケアとナニーにウィークデーのほとんどの時間をお世話になっているけれど、彼らを、「私の代打」と思ったことはない。私よりよっぽど経験豊かなアドバイザーに近い。今朝も、ストローでまだうまく飲んでくれないから、デイケアの先生に「教えてやってください」と丸投げ、おススメの育児グッズはナニーからすべて教わり、私がやることと言えば、根本的に娘をどういう人間に育てたいか、きちんと自分の頭で考え、コミュニケーションをとり、思いやりを持って、自立して生きていける子であってほしい。そういうコアの指針だけをぶらさず示すこと。そして娘に愛していると伝えまくり、抱きしめまくり、良いところをたくさん見つけ褒めてあげること。
「子育て」というものを、ハードとソフトに分けて考えてみたのだ。おむつを替える、お風呂に入れる、離乳食を作り食べさせる、そういったハードスキルの部分と、コミュニケーションや環境づくりといったソフトスキルの部分。私は、ハードはアウトソース、ソフトは決して手を抜かない、という方針で、自分の「子育て」を割り切った。ハードも全部自分でやってたら秒でパンクする。苦手なものは苦手、できないものはできない。自分より得意な人が世の中にはたくさんいるのだ。認めようよ、頼ろうよ。

私も、「~~さんは毎日三食ご飯作って家で子供見ながら仕事してるらしいよ」みたいな話聞くと、心のどこかにチクッと棘がささったような気持ちになる。「両立」するお母さんから、「子供ができると帰らないといけないから仕事が効率的になるよ」とよく言われてたけど、これも私にはプレッシャーだった。私はこれでも最大限効率的に仕事してるつもりだし、これ以上仕事のクオリティあげなきゃサバイブできないなら、それがきっと私の限界だ、と。そう、いきなり仕事の効率が上がるわけがない。なら最初からやれよって話であって。(笑)私の場合仕事は育児よりちょびっと得意だけど、それにしたって天才なわけじゃない。必死に、全力で、一生懸命働いてなんとかここにいるのだ。涼しい顔して「もっと効率的にできるよ」なんて言わないでくれよ。

だから、結論、母になったからと言っていきなり育児がプロになって仕事の天才になるわけがない。できないまんまなのだ。アップアップしたまんまなのだ。だから、自分の得手不得手を知り、「何を頼るか」「誰に頼るか」をよーく考えればいい。


「助けてあげたいと思ってもらえる人間に」

私は一人っ子だからか、元来何事も自力でやるべきだ、という感覚が強かった。人に頼るのも得意ではなく、シェアの精神にも欠けるところがあって、シェアリングイズケアリングな夫はよく、私が自分で買ってきたお菓子を一口も彼にオファーせず食べ切るのを見てショックを受けている。(欲しかったの?ならもう一個買えばよかったのに。)
そんな感じのメンタリティは独身生活にはとてもよく合っていた。自己責任で自由に生きていくのは最高だ。
娘を産んで日本に一時帰国した折、中学の同級生で10代で母となり、今は息子は高校生となり最高に楽しそうな人生を謳歌している友人と、娘を連れて遊びにいったときのこと。彼女は高級車をバチーンとうちの実家の目の前までつけて、子供いると大変でしょう?と言って送り迎えまでしてくれた。車にはブランケットやら何やら有難いものが揃えられ、レストランではずーっと子供をあやしてくれた。「タクシーで自分で行くからいいのに!」「必要なものは全部持ってくから大丈夫なのに!」という私に、彼女はこういった。「私はね、10代で子供を産んで、その後ずっと、本当に色んな人に助けてもらって生きてきた。母親になると、いかに人の助けが有難いかがよくわかる。だからね、今度は私の番なの。」思わず目頭が熱くなった私を見て彼女は、「なんでも自分でできると思ってるバリキャリが、母になって初めて、頼り、助けられることを学ぶんだよ!」と笑い飛ばした。

まさに、である。

なんでも自分でやるということが物理的に不可能になった今、頼ること、任せること、感謝することの大事さを何よりも実感する。デイケアの先生にもナニーにも、とにかく感謝と、頼りにしてるぜ!というメッセージを伝え続ける。彼らと良い信頼関係を築き、娘を愛し可愛がってくれる大人をできる限り周りに増やすこと。これが私のとても大事なミッションのひとつだったりもする。「あのお母さんは仕事ばっかりであんまり子供のこと見てあげられないんだろうね。」とか揶揄する人もいるのかもしれない。「両立」するお母さんと比べられて眉をひそめられるのかもしれない。でも私のアドバイザーたちは、満面の笑顔で "That's what I am here for!" と言ってくれる。そして我が娘は大好きな人たちに囲まれて最高に幸せそうに毎日笑っている。ママは「ちょっと危なっかしいから助けてあげなきゃいけないお母さん」で構わない。そうやってみんなが娘を慈しんでくれるなら、こんなに嬉しいことはない。

「変えたくないところは変えない」

頼れ頼れと言われたって頼りたくないことだってある。変わった方がいいと言われたって変われないこともある。私にとってそれは仕事だった。もっと同僚や上司や部下に頼って、いいバランスを見つけていけばいい、そういうロールモデルがいっぱいいるよと何度アドバイスされただろう。でも私にはそれがストレスに感じられた。そりゃあ自分にかかる負荷を減らしてなお最高のパフォーマンスが出せるなら最高だ。でも、別の働き方に挑戦しながら同じ評価を得ろというハードルは私には高すぎたし、一時的に評価が下がるのを一笑に付すことのできるハートの強さも持ち合わせてない。だから私は働き方は変えないという選択をした。得意なことを続け、自己肯定感を守る。そうやっていく中で、徐々に徐々に、必要に応じて勝手にアジャストされていくだろう。だから無理にワークライフバランス系女子になろうとするのは早々に諦めた。どうせうまくできないんだから。(笑)

「アウトソースによる出費には意味がある」

就業時間以外も育児を他人にアウトソースすることを前提とした話をしていると、「稼いでいるからできること」と思うのが自然な発想なのだと思う。ただ、少なくともこれまでフルタイムで仕事をしてきて、これからも変わらず働きたいと思っている親にとって、アウトソースによる出費は「仕事をするため」以上の大きな意義のある出費だと思う。もちろん、許容できる出費のレベルは当然収入によって変わってくるだろうし、ハリウッド女優のように住み込みナニー3人とか雇えるわけではないけれど、一定の時間であっても、親が「育児」も「仕事」もしていない時間を持つことの重要性は、馬鹿にできないと思うのだ。「両立」のトラップはここにあって、皆、これまで「仕事」と「休み」で構成されていた24時間の中に「仕事」と「育児」を押し込めようとする。結果、「休み」が消えて疲弊してオーバーヒートする。仕事がゆっくりな日、ナニーに子供を見ていてもらって、私は紅茶飲んでテレビを見ている、そんな時間もある。友達と飲んで帰ってくることだってある。それは怠けているのだろうか?否、独身時代なら当たり前にやっていたことだ。「仕事」も「育児」も、「休み」を代替することは不可能だ。「休み」上手が結局いちばん仕事上手であり育児上手であると思う。そうやってキープされる健全な精神状態で親が毎日過ごすことは、長い目で見て家族関係にも良い影響を及ぼす。母になろうがなんだろうが、変わらず自分でい続ければいい。そのために必要なお金は使っていいじゃない。そしてまた頑張って稼ごうよ。収支トントンならやる意味あると思うよ。


つくづく、世の中は、「結婚」とか「出産」とかの事象で物事を区切りすぎなのだ。そのイベントがあったからまるで人生のステージが変わり、新たなスキルが要求されるように語られる。だからそれをまだ経験していない人は、人生が進んでいないかのような気持ちにさせられ焦り、経験した人は、自分ではない何かにならなければいけないような気がして焦る。
結婚しようが子供が生まれようが根本の自分は何も変わらないし、レベルアップもスキルアップも大してしないのだ。ただ環境が少し変わるからちょっとしたアジャストメントが必要になり、そこで少しつっかえたりするのもごくごく自然なことだ。
だから自分のことをそのまま受け入れて、得意なことを続け、苦手なことは人に頼って、失敗したらやり直せばいい。

そういう親の失敗に付き合うくらいの懐の深さが、意外と子供にはあるもんなんじゃないかと思うのだ。買いかぶりすぎだと将来怒られるかもしれない。でもきっと娘はそれでも笑ってくれるはず。わずか9ヶ月の娘を眺めながら、私はそんな気がしてならないのだ。

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