二度目の職場復帰に思ふ

早起きしてシャワー済ませて、起きてきた子供たちギューと抱きしめて、夫と手分けして朝ごはん与えてオムツ変えて着替えさせて、夫にデイケアの持ち物準備してもらってる間に着替えてメイクして、子供たちをダブルストローラーに括り付けてバタバタと家を出る。こんなに可愛くて愛おしくて何よりも大切なキッズだけど、先生たちに引き渡して、ストローラーをポイして、身軽になってオフィスに向かう瞬間、水面からやっと顔を出せたような、酸素がたっぷりと肺の中に満ちるような感じがする。背筋を伸ばして深呼吸して、汚いNYの地下鉄に揺られてマンハッタンに繰り出す。そんな日々が始まった。

先日、仲良しの同僚たちとランチをした。年次は二人とも私より少し上、ドイツ人とフランス人、ふたりともプロ独身(と勝手に私は思ってる)のメンズだ。大人になるまでアメリカに全くルーツを持たない中、アメリカにやってきて法曹資格とって弁護士として働く、comfort zoneをわざわざ抜け出す変わり者たち、そんな共通点からか、初めて出会ったころからやたらと話しやすかった。今は皆まあまあな中堅になってきて、我々の会話には中間管理職的な程よい哀愁も漂い始めている、良き仲間だ。

「年子産んで仕事復帰ってどんな感じ、実際?」
「育休はもう十分、仕事戻れて嬉しい。」

お国柄が出るのが面白いが、ドイツ人の彼はシニカルで落ち着いている。なんだか達観していて、少し世捨て人みたいな雰囲気すらある。一方フランス人の彼は絵に描いたような独身貴族だ。テストステロン強め。(笑)

「子育てって何がそんな大変なの?」と豪快にぶっこんでくるフランス人に、私はちょっと答えに窮した。人に頼りまくってたんだけどな、何が大変だったんだろうなーでもなんか私は最後の方もうゼーゼー言ってたなー。四六時中子供と向き合うのは性格的に全く向いてない上に、これまで培ってきたものが脳内から溶け出ていくような気分なんだもん。(笑)でも、自分は向いてないって自覚して環境を整えてるから、意外と広義の「子育て」には向いてるのかもしれないけど。

一方でフルタイム復帰してみて早速、「仕事だって大して向いてないよな」と気づくのも事実。結局どこまで行ってもビビりでガラスのハート、長くやってるから当たり前になっちゃってるだけで、こんなに重圧や不安と隣合わせて生きてるのって本当に幸せなのかと自問自答したりもする。育休中、それらから完全に解放されていたなあと思い出す。よく笑ってたし、色んなことをゆっくり考えてた。くだらないテレビを見て、脳みそオフって過ごした。ああいう時間、人生には必要なんだよな。でもそれが続くと、目に見える重圧や不安のないことによる目に見えない重圧や不安を強烈に感じるようになるのだ。

根本的にもっとケセラセラと生きられないもんかな。育児してたって仕事してたって、この性格じゃ早死にする。どこかで自分の思考と心の在り方を変えたい。そういう歳になってきている気がすごくする——話がずれた。

フランス男は続ける。

「ぶっちゃけ子供一人につきいくらかかるの?」

その彼にも彼女がいて、子供のこととかも考えているようだった。「結局さ、パートナーの税後の収入が、デイケアとかナニー代を十分上回らないとmake senseしないよね?」と。いやー、そうよ。経済的にはね。そうなのよ。と言ってしまったあとふと「あれ」と思う。違くないか?これって貴方は子供ができてもstatus quoでいられる前提で話をしている?

シングルペアレントとしてひとりで子供を面倒見る状況を想定してみよう。デイケア代ナニー代はそのまま貴方の収入から出ていくのだ。パートナーが少しでも負担してくれたら最高じゃないか。まさかこの独身貴族メンズは、子供は女が面倒を見れば良い、面倒見ないならアウトソースする分は君が稼ぎ出してくれと彼女に対して思ってるのか!とんでもないやつだ!
と思いかけてまたふと気づく。違う。前提が違うのだ。彼のstatus quoは既に、彼女のこともひっくるめて俺が面倒見る、なのだ。彼女の幸せな生活を俺が守る。そのうえで、子供の追加費用も乗ってくるとなるとしんどいな、そういうことなのではないか。

世の中の、一般的には十分すぎる金額を稼ぎ出す独身男性たちがなぜか、結婚や子を持つことの財政面を何故かひたすら憂うのは、「俺が家族を養う」「女に金の心配はさせない」という社会によって無意識に植え付けられた概念に疑問を持つこともなく、必死に生きているからか。なんか泣けてきた。でもありがとう。その心意気、昭和生まれにはやっぱり刺さる。

我が身を振り返り思う。「家事育児は大部分アウトソースね、必要経費は折半ね!自分のことは自分でやってね、私も勝手にやるから!でも誕生日やクリスマスプレゼントは待ってるね!私が仕事辞めたくなったら養ってねよろしくねー!」と、なかなかに身勝手だ。一方、「仕事しまくっていいよ~やめたかったらやめてもいいよ~料理は好きだから俺がやるし、掃除洗濯はそんなしなくたって気になんないよ~仲良く一緒にいられたらそれでいいよ~☺️」と、これが我が家の恵比須様のスタンスだ。

前世でどんな徳を積んだらこんな器の大きい夫に恵まれるのだろうかと感謝感激雨あられ…かと思えば、「何とかなるわ」精神でたまに全く何とかならない夫に対し、「ほらみたことか!」とブチ切れたりもする。日々は目まぐるしく過ぎる。朝「頼むからさっさと保育園に行け」と思い、日中は絶対営業時間中には片付かない仕事量に絶望しながら子供たちに会いたくてたまらず、夕方保育園から帰ってきた子供たちを抱きしめてエネルギーチャージして、その数時間後にはキーボードぶったたきながら「頼むからさっさと寝ろ」と思っている。(笑)

ここのところ久しぶりにファイヤードリルをくらって、週末も含め引きこもりで仕事をしていたのだけど、夫は涼しい顔でワンオペ週末をやってのけた。もちろん部屋はとっ散らかり、洗濯物は洗濯機を埋め尽くすほど溜まってたけど、子供たちは楽しそうで、私は独身のころと何ら変わらず仕事に没頭できた。美味しいご飯まで作って差し入れてくれたりして。それ以降私の夫大好き度はこっそり急上昇している。

食べていけるだけ稼いでいれば、それ以上は仕事って自己満の産物なのだろう。あえて選ぶ激務は、マゾヒスティックな趣味、もしくは自己肯定感醸成の道具に過ぎない。前者ならお好きにどうぞだけど、後者はヘルシーじゃないよね。さて私はどっちだろう。



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