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源氏物語に出てくる「夕顔」を栽培する

『源氏物語』の登場人物のひとり、夕顔の君が大好きで、夕顔の君をより深く理解するために、ユウガオを自分で栽培してみることにした。

1,夕顔の君について

夕顔の君は「夕顔の巻」のメインヒロインである。源氏がまだ紫の上と出会う前の17歳の時、夕顔の君が偶然通りかかった光源氏に和歌を送ったことが縁となり、お互いに身分を隠したまま逢瀬を重ねる。源氏が夕顔の君を、荒れ果てた何某の院に連れだし、そこで夕顔の君は正体不明の物の怪にとりつかれて急死する、という内容である。

源氏は、夕顔の君と別れたばかりの朝も、まもなく夕方になろうという昼も気が気でないほど待ち遠しくてたまらないというふうに、自分でも不思議に思うほど熱烈に夕顔の君に執心していた。源氏は、なぜ夕顔の君にそれほど心惹かれたのだろうか。また、夕顔の君とはどのような女性だったのだろうか。

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源氏が夕顔の君に惹かれた理由は大きく分けて2つあると考えている。

ひとつは、夕顔の君のおおらかな性格である。源氏は、その時関係を持っていた六条に住む高貴で気位の高い女性に息苦しさを感じていた。そんなとき、和歌を詠みかけてきた夕顔と偶然出会い、高貴な女性とは違う夕顔の君のおおらかで優しく親しみやすい性格に癒されていった。また、それまで高貴な女性との関係が多かった源氏は、中流以下の女性にも興味を持ち始めていた。粗末な家に住む女から意外にも上品な筆跡で教養を感じさせる和歌を詠みかけられたことが意外だったため、源氏は夕顔の君に関心を持ち始める。

2つめの理由は、夕顔の君の性格が源氏の好みの女性の性格に近かったことである。源氏は夕顔の死後に、しっかりした女性よりも、頼りなく、優しく、慎み深い女性が好きだと語っている。夕顔の君を形容するときに「らうたし(小さく弱い存在に対して愛しく思う、かわいい)」という言葉が使われているように、夕顔の弱々しく頼りない様子が、源氏の好みの女性像にあっていたようである。他に、夕顔の昔の愛人である頭の中将へのライバル意識もあったかもしれない。

源氏からみた夕顔の君は、慎み深くてか弱いところが可愛らしいおおらかな女性だったが、源氏が彼女に抱いていた印象と、実際の彼女自身の感情は食い違っていた。

夕顔の君の特徴は「ものづつみ(物事を包み隠して言わないこと)」という言葉でも表されている。夕顔の君は、源氏が自分に対して正体を明かさないのは本気ではないからではないかと悩んだり、粗末で貧しい住まいを源氏に見られて恥ずかしいと思ったりしているが、「ものづつみ」する性格なので、複雑な感情を源氏には決して悟らせない。また、夕顔の君の感情は読者に対しても直接語られることはなく、侍女右近の語りか、夕顔の詠んだ和歌から辛うじて読み取れる程度である。

夕顔の君については謎が多く、夕顔が源氏に対して送った「心あてにそれかとぞ見る白露の光そえたる夕顔の花」の解釈についても意見が分かれている。私は、高貴な源氏が花の名を問いかけたことに対して、女が夕顔の花であると答えた挨拶の歌である、という解釈を支持している。

夕顔の君の控えめで、はかなく美しい黄昏どきの幻のような人物像に夏が終わるときのような哀愁を感じて心が惹かれてしまう。

2,ユウガオという植物について

『源氏物語』が書かれた当時、ユウガオという植物は、名前に趣があると『枕草子』に書かれている程度で、特に和歌に詠まれる対象ではなく、卑しい身分の者が食用に栽培している植物だったらしい。

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ユウガオとはどのような植物なのだろうか。以下に図鑑の内容をまとめた。

ユウガオはウリ科でアフリカ原産のつる植物である。ヒョウタンやフクベもユウガオの変種である。果実の形には、長円筒形、扁平、西洋ナシ形などがある。栽培の歴史は非常に古く、紀元前12世紀の中国の遺跡から種子や果実の一部が出土している。日本では16世紀に中国から今栽培されている品種に近いものが伝わったが、縄文時代の遺跡からも出土している。干ぴょうを製造するために主に栃木県で栽培されている。また、スイカの台木としても広く利用されている。東北・北陸地方では、煮物や汁物として食べる風習もある。

平安時代のユウガオは、今栽培されているものとは違ったのだろうか。ここ山陰では、スーパーでユウガオの果実が売られているのは見たことがないし、干ぴょうも巻き寿司に入っているものくらいしか食べたことがない。栽培しているという話も聞かないので、この辺ではあまり食べないものだったのだろうか。それとも、昔は食べていたのだろうか。また、ユウガオの実の形には様々な種類があるらしいが、その違いはどこから来るのだろうか。図鑑で調べただけではよくわからないことが多かった。

3,スイカの台木に使われていたユウガオを栽培する

昨年も夕顔を栽培してみようと思って、ホームセンターで「白花夕顔」の種を買って育てていた。しかし後から、実は「白花夕顔」は源氏物語に出てくる夕顔の花とは全く別の植物で、ヒルガオ科のヨルガオという明治時代に渡来した北米原産の植物だったことがわかった!

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上の写真が昨年栽培したヨルガオの花である。花には甘くて怪しい芳香があった。ヨルガオもユウガオと同じく夕方になると咲き始めるが、朝になると花を閉じるだけで、また夕方になると同じ花を開かせる。ユウガオのように一晩で枯れてしまうわけではない。また、ユウガオのように大きな実をつけることもない。

ヨルガオも夕闇に映える白い花と甘く妖しい芳香を漂わせる魅惑的な印象の美しい花だったが、夕顔の君のような弱々しさやはかなさは感じなかった。私は源氏物語に登場する夕顔の君と会いたかったので、今年こそ本物の夕顔を栽培したいと思っていた。

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夕顔を買いに近所の種苗屋さんに行ってみたが、夕顔の種苗は売っていなかった。お店の人に相談すると、スイカの苗を支える台木として夕顔の苗がよく使われるらしく、そのときもお店にあるスイカの苗の中に、夕顔をまだ摘出していない苗がひとつだけあった。スイカを育てる場合は、夕顔の苗を早めに摘出した方がスイカの出来がよくなるらしいが、摘出しなければ夕顔もそのまま育つという話だったので、そのスイカの苗を購入して帰った。上の写真はスイカの苗だが、下の方の丸い葉っぱがユウガオの葉である。

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6月のはじめにスイカの苗の台木として植えたユウガオは、特に肥料もやっていないのにぐんぐん蔓を伸ばした。ユウガオの葉や蔓はカボチャやキュウリに似ていて「野菜」という見た目だった。少しもか弱さを感じさせることなく、大人の顔くらいの大きな葉をつけ始めたので、これが本当に夕顔の君のような可憐な花をつけるのだろうかと不安になった。

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8月のはじめに夕顔が初めて開花した。葉や茎のたくましさからは想像もできないくらい可愛らしい花が咲いた。ユウガオの花は真っ白で美しく、花びらも薄くて弱々しくて可憐だった。一晩で枯れてしまうはなかさも、まさに源氏物語に出てくる夕顔の君の印象と一致した。

「夕顔の巻」に、以下のように夕顔の君の容姿を描写する場面がある。

原文:白き袷、薄色のなよよかなるを重ねて、はなやかならぬ姿いとらうたげにあえかなる心地して、そこととりたててすぐれたることもなけれど、細やかにたをたをとして、ものうち言ひたるけはひあな心苦しと、ただいとらうたく見ゆ。(引用:「夕顔巻」日本古典文学集源氏物語1)
訳:女は、白い袷に薄紫の柔らかな表着を着重ねて、おとなしく目立たない その姿が、ほんとに愛らしく華奢な感じで、どこといって特にすぐれているわけではないのだけれども、細やかになよなよとしていて、何か一言ものを言う感じがなんとも痛々しく、ただもうまったくいじらしく見える。(引用:「夕顔巻」日本古典文学集源氏物語1)

白い袷に薄紫の柔らかな表着という服装からは、夕顔の白い花が夕闇に包まれている様子が思い浮かぶ。他の花に比べてどこと言って優れているわけでもなく、触ったら破れてしまいそうなほどなよなよとして華奢な感じ、その地味で弱々しい様子がなんとも愛おしく見えてくる。うちの庭に咲く夕顔の花が、夕顔の君のように思えてきて、愛おしくてたまらない気持ちになってしまった。

謡曲「半蔀」でも、シテは夕顔の君の亡霊なのか、夕顔の花の精なのかあいまいな存在であるが、源氏物語の夕顔の君は、本当に夕顔の花のような女性であったことが、栽培してみて初めて理解できた。

4,ユウガオの実

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8月の終わり、うちのユウガオに実がついた。あの花の可憐さからは想像もできないほど大きな実で、一週間で倍くらいの大きさになった。最大で30kgにもなるという。ユウガオはひとつの苗に3つか4つしか実をつけないらしい。ユウガオの花は夜しか咲かないうえに、一晩で枯れてしまうので受粉しにくく非効率的なのではないかと思っていた。しかし、それは、大きな実をつけるためのユウガオならではの工夫だということがわかった。

夕顔の花は一晩で枯れてしまうはかない花だが、大きくて立派な実をつける。そんなところも、玉鬘を産み残した夕顔の君のような植物だった。今回は実がひとつしかできなかったので、玉鬘の君だと思って大切に育てていこうと思う。

【参考】
牧野富太郎『新分類 牧野日本植物図鑑』北稜館 2017
本田正次監修『原色園芸植物大図鑑』北稜館 1984
相賀徹夫編『園芸植物大辞典5』小学館 1989
中野幸一編『源氏物語の鑑賞と基礎知識 No,8夕顔』1999
阿部秋他校注・訳『新編日本古典文学全集 源氏物語①』小学館 1994

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