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時は過ぎ、やがて巡りてを

しばらく離れて暮らしていたこともあり、その実感がまだわかないままですが、9月に母が亡くなって
やはりまだ実感がわかない、というのが正直な気持ちです。
これは時間が経つほどに、変化していくものなのかなーと何となく他人事のような気もしていて、人の感情に寄り添い想うがベースとなっているわたしも、自分に起きたことには、その感情が薄いのかも知れません。

そういえば、7年前に母方の祖母が亡くなった時のおかんのことを思い出していた。祖母とおかんの間には、仲良し母娘ーという感じがなくて(わたし視点なので本当のところはわからない)
遠くでお互いが暮らしていたということもあり、あまり交流もなく、どちらかというと、互いに興味を持たない感じだったように見ていた。
母娘って、こういうものかしら?といつも感じていた。

祖母が亡くなったすぐ後、おかんは体調を崩して、あの時は全然気づけなかったけど、見えないところの心労が溜まっていたのかな?と感じている。
家でも、いろんなことがあったし、おとんからの理解をまったく得られなかったあれこれに、もっと心労を重ねていたように思う。
誰も彼もあの頃、めちゃくちゃだったな、と。

わたしといえば、何かが限界を超えて自分の範囲を超えているのを感じて
ちょっと生きることをあきらめていた頃でした。
誰も彼も皆、大変だったね、と今だから思えたりする。
おかんの心労に気づけなかったわたしは、あらためてその人のベースにあるもの、こと、その目には見えないものについて考えるようになりました。

そういえば、両親から怒を感じることはしょっちゅうだったけど(爆)悲しみを感じることはあまりなかったように思っている。
二人とも、それぞれ自分の生まれた家や家族のことには、関心がない感じがしていて、わたしはそれがとても不思議だった。それで、それがわたし自身の大切にしたい心のベースを作り出したことでもあり、あぁ、こんな風に繋がっているのだな、と。

おかんは、自身の生まれの家族をどう思っていたのだろう?
ちょっとそんなことを聞いてみたかったなーと感じている。わたしの一部は、確実におかんの影響を受けているし、おとんの影響ももちろんなのだけど
それらを聞く術はもう、なくなってしまいました。

人は、持っていないものに憧れてそれを追い求める。
それが夢だったり、希望なのだけど。わたしもまたそれを、あらためて確信している。
人の、とてもシンプルなことのように感じている。

おかんの死は、だいぶ前に覚悟をしていたというか、心の準備はできていたので、その日がやってきて、自分のやるべきことをやり、静かに見送ることができました。
心の整理をして、一つずつ丁寧に準備をする時間を与えてもらえたと感じていて、だからこんなに静かなのだなーと。
また、もう少し経った時、違う感情を持ったりするのかも知れないけれど
流れにそって生きている、というのを実感している。

聞く人が聞けば少し不謹慎だと思うけど、こんな中でも、わたしは自身の星を詠んでいた。
こういうタイミングを詠むのは・・・と、他の人には話せないことだけど
自分の中でだけね。
準備の時間を、本当にたくさんもらえたというのを詠みとりました。
そして、どんな時も逃げずにめげずに、よくお仕えできた、と。

まだ、小学生の低学年の頃?だったように思うけど、わたしのやることは
お父さんとお母さんを見送ることっていうのを、カルマ?というのか
定められた何かのように、一種の呪いwwwのように、自分に言い聞かせていて。だから、自分の夢とか希望なんかは思ったこともなくてね。
そのあと、自分のあれこれに気づいて、狼煙をあげ(笑)闘い、その中で自身の望みを、夢を見つけ(思い出した)のだけど。

見送る、を終えられたので
後はもう自分のことだけやればいい、と。はじまりのところにいるようです。
お疲れ様でした(笑)そして、まだまだこの先をいこう。

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