五輪カラーのようにCMYKが重なりすぎてもはやモノクロに感じられる東京の夕暮れ.もはや何が見えないのかが見えない.
こばやしです.
僕にはフィジカルに一人でいる時間が何よりも大切な気がしていて,よく夕暮れ時に都心を散歩したりすることがよくあるんだけど,2021の2020東京五輪が見えない今日,昨日は昼夜五輪工事で月日が経つ東京ベイエリアの空気感を感じたくて,豊洲・有明と虎ノ門・丸の内へ自転車を進めてみた.路線バスやタクシーが何食わぬ顔でTOKYO 2020ラッピングで街中で風をきっているなか,どこかがおかしいと感じながら.
仮囲いの五輪キャラクターたちが道ゆく車に嚮後を尋ねるように.
目紛しく開発が進む周辺地に,来る一年後に希望を託すように,
ふとしたとき 五色に溢れる一年後が脳をよぎったり,
上を見上げればもやしのようによく伸びる物体と狭くなる空が見えるんだけど,換気塔に力強く貼られたポスターが排気と共に昇華してしまいそうな脆さを感じ,
もはや何を見ればいいのかが見えてこない街.雑踏感がどこかへ行ってしまった,ごくその瞬間を切り取られていてそれが信じがたいんだよね.
皮肉にも もうそこにいてはダメだ,という焦燥感.
ハードは徐々に正常に時を刻みつつあるなあと感じながら,
なんともこの時代に生きているのは奇跡だなあという感覚が日に日に上書きされてゆく.
丸の内で君には何が見えているんだい.
CMYKを弄る程度で2020を誰も知らなかったことになるのかなあ.そんな空気感を,徐々に正常な時を刻みつつある東京に感じている.
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