助走は"Do"なのか"Be"なのか
林伸次さんの記事です。
有料記事なので中身を詳しく書くのは控えますが、タイトルの通り、テーマはキャリアです。僕自身は専門家ではないのですが感じたことを書いてみたくなりました。
誰でも高く、あるいは、遠くへ跳びたい、飛びたいって思うことがありますよね。エイヤー!!って。
高く、遠く跳べるか、跳べるかを決めるものって何でしょう。
この曲の歌詞が頭に降りてきました。
助走。
助走があると高く、遠くへ跳べる可能性がアップするんだろう、って僕は思っています。キャリアにも当てはまるんじゃないか、と思ったのです。
突然、エイヤー!って決断するよりも、そこに向けて助走しておく。ちょっとずつでも続ける。
もちろん、助走していたから高く、遠く跳べるとは限らないでしょう。
助走していなくたって高く、遠く跳べることだってあるでしょう。
途中で躓いたり、実際に上手く飛ぶことができなかったり。また最初から、振り出しだ、ということも。そんな時、もう一度跳んでみたい、って思わせる、奮い立たせるのは、それまでに重ねてきた助走かもしれません。
助走を休まず続けていると、それがいつしか本当の走りになることもあるかも。
資産形成でも同じようなことが言えるな、って思いました。
No one wants to get rich slowly.
ゆっくりお金持ちになりたい人なんていないよ。
ってことで、さっさと、なるべく時間をかけず高く、遠くへたどり着きたい、そう考える人はとても多いと思います。でも、そうそう上手くはいかないものです。
やっぱり「助走」が必要なんだろう、って思っています。
「助走」が要るよね、というのは、一種のBS発想だと思いました。
一発勝負で遠くへ飛んでやるぞ! これはPL発想でしょう。
PL発想がイケてないなと思う理由の一つ、それは、仮に上手く遠くへ飛んだことができた場合です。
上手く飛べた、跳ぶことが出来た。でも、そこはおそらくゴールじゃない。まだまだ道は続いている。そこからまた始まるんだと思います。
資産運用でドーンと儲けられたけど、それがキャッシュになって戻った。それをどこへ再投資するのか。その判断を助けるのは助走をしていたか、し続けていたか、かもしれません。
この対談がとても読み応えありました。
”Do" と”Be"。
PL発想は”Do"、BS発想は”Be"
ちょっと単純化しすぎかもしれないけれど、そう思いました。
この対談を読んでいたら一つの問いが降りてきました。
「助走」って”Do"なの?”Be"なの?
「助走」に相当する行動、その一つ一つは”Do"でしょう。
たとえば、note の記事をつくる。投資信託を買い付ける。個々の行動は”Do"。
でも、これが毎日、毎月、続けばどうだろうか、と。
林さんはnoteを毎日発信されている、これはもう”Be"でしょ、って感じます。
僕もこの3年近く、毎日、noteをつくってきました。特にそれが苦しいわけでもなく、むしろ楽しい、面白い。自分自身”Do"ではなくて”Be"だと思っています。
投資信託を毎月買っていく行動も同じです。
これらの行動が「助走」か?というと、違うのかもしれません。
でも、投資信託を毎月買い足していく、というのは、いずれ遠く、高く跳びたいなあ、と20年近く前に思って始めたことであることは確かです。
「助走」をしていたら、その「助走」そのものが本当の走りになっているのかもしれません。助走をずっと続けている状態=”Be"だ、って。
自分自身の資産形成での感じ方も”Be"になっていることで変わったように思います。
数年前まで、これまで投資してきた金額に対してどれだけ増えているか、そこが気になっていました。そのタイミングで現金化したら幾らになるのか、と。
最近は、現在の時価ではなく、今関わりを持っている会社(投資信託を通じて株式を保有しています)がこれからも持続的に価値を創造、実現、提供し続けてくれるだろうか、という点に関心が向かいます。そこに関心を向けて自分で調べてみることが僕にとっての「助走」になっているように感じています。
上手く伝えられているか自信が無いのですが「助走」を続けていきたい、続けていこう、そんなことを思っています。
”Do", ”Be"”Do", ”Be"と繰り返し、考えていたらこの曲が降りてきました。
今日も「助走」を続けることが出来た!
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