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シュガードール

 小瓶を買った。手のひらに収まってしまうような、何の変哲もない小瓶である。ただ一つ、その中で小さな青年が暮らしていることを除けば。
 
 古い雑貨屋のおばあさんが「珍しいものが入ったんだ。」と店の隅を指差す。短く丸い爪が指す先は、店の中でも直接日光の当たらない暗い場所で、観葉植物などの雑貨が置いてある。いつもと違うのは、棚にいくつかの小瓶が並んでいることだ。小瓶の中には、た少年少女が眠っている。黒髪に小さな赤いピアスを付けた青年、緑の綺麗な髪に中性的な顔立ちの小人。そして、黒に青色のインナーカラーが入った髪、童顔に大きくてぱっちりした瞳が髪と同じ色の青を輝かすために開いて……、開いて?
 
「すいません、この子起きてますけど……」
「あぁ、起こしちまったかい。そんなら是非とも買って頂きたいものだねぇ」
「えぇ……?」
 
 シュガードールと呼ばれるこの少年少女たちはどうやら自らの意志で飼い主を選び、自らの意志で目を覚ましているらしい。確かに他の子たちは目を覚ましていないが、青の少年だけがその目をこちらに向けていた。おばあさんの説明によればシュガードールとはヨーロッパの一部の地域で使われているまじないの一種が魔法植物に付与されたもので、植物と人の間として生まれた存在。感情はあるが言葉は話せない。育てるために必要なものは水と角砂糖などの甘いものそして、
 
「愛情……ですか。」
 
感情を理解できるからこその特徴なのだろうか。水と甘いものがあっても自分の選んだ飼い主に愛されなければ徐々に萎れてその存在を消してしまうらしい。そして、この子はその飼い主に私を選んだようだった。
 
「なぜ、私は選ばれてしまったのでしょうか。」
「そりゃ……彼に聞かないと。」
 
おばあさんは首をかしげながら目線を動かす。目線の先は私の手の中にある。私は好奇心が旺盛な方だ。なぜ、自分が選ばれたのか知りたくなってしまった。小さい命に若干ビビりながらも早々にお金を払って店内を出た。手の中の瞳がこちらを見て得意げな顔をしていた、ような気がした。 

 私が仕事から家に帰ってきた時、彼は作業部屋のパソコンの隣、いつもの小瓶の中で寝ていた。知らない人が見れば可愛いマスコットのようにも見えるが、小さいからだが呼吸をするたびに上下していて、それが生き物であることを証明している。
 
彼が家に来てから分かったことがある。彼は周りのものによく興味を示すこと。触れようとする前に必ずこちらに確認を取るように、視線を向けてくること。角砂糖よりも蜂蜜のほうが好きなこと。感情が口よりも目に表れやすいこと。そして、
 
「あ、起きましたね。おはようございます。」
 
特に私の声によく反応しているということ。今も私の声に対してコクコクとうなずきながら眠い目を押さえ、答えてくれている。小瓶からそっと出してやれば、ヨタヨタと私の指目掛けて歩いてきている。正直、いやだいぶ可愛いな、これ。多分、口に入れても痛くないぐらいには可愛い。実際、普段の彼の食生活は水と砂糖だけなのだから、食べたら美味しいのではないだろうか、なんて思考が頭を回って目の前の彼が首をかしげていることに気づいた。ダメだ、なんて危険な思想をしていたのだと恐ろしくなった。自分の見たくない一面を見てしまったような気がして、心拍数の上がった体を落ち着けるように小さな彼の頭を指の腹で撫でた。私の指にしがみついた彼は相変わらず不思議そうな顔をしていた。小さい木のスプーンから琥珀色した蜂蜜がターコイズブルーの瞳に反射している。彼は好物を目の前にしてご機嫌なようだが一向に口を付けない。ただ、蜂蜜と私の目を交互に見るだけである。
 
「……食べてもいいんですよ。」
 
そう言いながら木のスプーンを少しだけ前に出し、傾けてあげるとその小さい舌でぺろぺろと蜂蜜を舐め始めた。そして、ほんの数分で頬袋の中いっぱいになり、ゆっくりと喉へ通っていく。美味しそうに食べている様子を見て、木のスプーンを蜂蜜の瓶に直すと彼はもっと、とでも言うかのようにこちらを向いておねだりの顔をしてくる。
 
「駄目です。あまり食べすぎはよくないですからね。」
 
彼は頬膨らまして不服そうな顔をした。けれども、それ以上何かを要求することはなくまた私の指にすり寄ってくる。蜂蜜の瓶を届かない所に避難させて、そのあごの下を猫のように撫でてやると細い首をこちらに向けてくる。言葉なしにここまで上手く甘えられることに少し感心しながら、シュガードールと呼ばれるものは皆さんこのような様子なのかと考えた。それとも彼だから?
 
「あなたは甘えるのがおじょうずですね。」
 
彼は少し目を見開いた後、少しだけ舌を出してこちらを見上げた。なんだかずるい。 

 そこからさらに数日が立ったある日、私が部屋でパソコンとにらみ合いながら事務作業をしている隣で、彼はきらきらしたビーズを転がして遊んでいた。つられて私もビーズを指の腹でころころと転がす。完全に仕事に飽きてしまって気が逸れている。そんな私の様子を見て彼は、こちらに寄って構えと言わんばかりに頭を突き出してきた。愛しい、それはもう愛しい。頭が体を動かすことを忘れるぐらい愛しい。あの日から、始めて彼を食べたいと思ってしまった日から、可愛いと思う時間は増え、愛おしさは増え、その分だけこの小さな命を口にしてしまいたいという狂気が増している。その度に自分に対して嫌悪感を抱き、そして彼に触れるのが怖くなってしまう。今も彼に向けて突き出した指の腹が彼の小さな頭に触れてはいない。触れてはいけない。彼はこの間のような不思議そうな顔はせず、ただまあるい目をこちらに向けて、しばらくしたあと、私が仕事をしていたパソコンのほうに寄ってキーボードの上を行ったり来たりしている。私に元気がないのだと思って励ましてくれているのだろうか。私はこんなにも醜いというのに。
 
「励ましてくれてありがとうございます。私は元気ですよ。」
 
無理に笑顔を作って声をかけるとしばらくじっとこちらを見た後、今まで一度も使っていなかった声で囁いた。
 
『ぼくのことどうしたいの』
 
思わず、息が詰まってしまった。彼は最初からすべて気付いていたのがろうか。しばらく何も言えずに見つめていると、彼はお気に入りの蜂蜜を食べているかのように口をもきゅもきゅと動かしてから笑った。その瞳から一滴の憎しみも感じられなかった。むしろ、まるでそうしてもいいよと言っているようで。
 
「これは愛故、あなたを愛しているからそうしたいのです。」
 
誰にも伝える気のない言い訳をしながら、手のひらを彼に向けて出した。都合のいい妄想をしてしまうぐらいだ。これで逃げだすようならここでおしまい、彼とはお別れ。そのぐらいのことをしていることは自覚していた。けれど、彼は始めて見せるような満面の笑みで私の手のひらに乗った。ここで口にしてしまえばもう彼には会えないのだろうな、そんな当たり前の事を考えてながら私はゆっくりと口元に寄せた。
 
「いいのですか。」
 
彼は私の唇を数回ぺしぺしと叩いた。私は彼が痛くないようにできるだけ大きく口を開けて中に入れた。はじめは感じていた彼の形が私の口内から次第に消えていく。お気に入りのクッキーがほろほろと溶けていくように、彼の手足の感覚がなくなっていく。あの蜂蜜よりも甘い彼が溶けていく。飲み込むような罪悪感さえも与えてくれない。甘い、甘い、幸せの味。
 
気が付けば彼はどこにもいなくなってしまった。安心する甘さが口の中に残ったまましょっぱい何かが口の中に入ってきた。幸せの味が変わってしまう。誰かが泣き叫んでいるようだった。幸せの香りが口から抜けていった。喉がじんじんと痛んだ。安心する、彼がここにいる、幸せの味がする。泣き叫んでいたのは私だった。
 

『愛してくれてありがとう。君が僕を人の形にしたんだよ。
今度は一口では食べれないね。』






  僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。ほのかな匂いを愛めずるだけでは、とても、がまんができません。突風の如く手折たおって、掌にのせて、花びらむしって、それから、もみくちゃにして、たまらなくなって泣いて、唇のあいだに押し込んで、ぐしゃぐしゃに噛んで、吐き出して、下駄でもって踏みにじって、それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。僕は、人間でないのかも知れない。僕はこのごろ、ほんとうに、そう思うよ。僕は、あの、サタンではないのか。殺生石。毒きのこ。まさか、吉田御殿とは言わない。だって、僕は、男だもの。 

太宰治 『秋風記』から一部引用


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