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思い出の海に会いに行けない

 眠りと目覚めの間は、浮いているような気がする。視覚が機能する前に、全く別の場所にいたような気がする。そんな時は自分と布団がこすれる音で起きる。二度目の起床である。
 耳が音を拾って、目が壁を捉えて、体が起きた。起きた後もしばらく布団の中にいた。スマホの電源をつけて、タイムラインを更新しても少しも変化がない。ブルーライトに目を傷つけられて、涙が出てきた。まくらにシミができたのと同時にスマホが振動した。母からである。

『元気?』
『体調どうですか。』

 母は今、家にはいない。和歌山にしらす丼を食べに行った。連絡は送ってこないが、父も一緒にいるだろう。本当なら僕もそこにいるはずだった。本当なら僕も家族とともに、思い出の海へ向かっているはずだった。朝を思い出す。僕はまだ泣いていた。

 6時ごろに母が「行くわよ」と僕を起こした。一度目の起床である。目が覚めた時点で、何かがおかしいと感じていた。腰と首を誰かに抑えられているような気がした。重い。頭がうまく働かず、部屋からリビングまで歩いただけで疲れてしまった。ソファーに座り込んで深めのため息をついた。「しんどいの?」と母が僕に聞いた。僕はわからなかった。体温計で熱を測っても平熱で、どこかが悪いということではない。なぜか動けない。動くことにすごく体力を使う。いつもはこんなことないのに。しばらく動けずにいた僕に対して母が「今日、やめとく?」と声をかけた。今回の外出は、両親が計画していたものだった。僕はたまたま都合がついただけだったので、母の発言はそこまでおかしくなかった。しかし、そこから僕の様子はさらに異常だった。行くか、行かないかを迫られて、僕は泣いた。僕自身もなぜそうなったのかわからなかった。いまだにわかっていない。それでも、続けてしばらく泣いていた。母は「え、なんなん?」と動揺していたが、僕にも「わからへん」と泣きながら、口だけで笑うことしかできなかった。

 眠りと目覚めの間は、浮いているような気がする。視覚が機能する前は、全く別の場所にいたような気がする。そのときは、大学に行くためのアラームが流れる音で起きた。
 泣いているのに、理由がわからない。このことは、あの日から一週間がたった今でも疑問に思っている。初めての体験であった。
 僕は、両親が優しいことは、重々知ってるから、帰りにしらすも買ってきてくれるだろうと思っていた。それに、思い出の海も大阪から和歌山なのだから、いつでも行ける場所である。あのときのことを『疲れていたんだな』で終わらせていいものなのだろうか。いまだに疑問に思っている。

 大学から海が見える。思い出の海とは異なるが、ここから見ても、充分にきれいである。あのとき、なぜ僕は泣いていたのだろうか。


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