本質を見極めるためには
最近、沖縄で高校生が眼球破裂し失明する事件があった。
その高校生は警察官に警棒のようなもので殴られたとしているが、警察側はまだ事実を明らかにしていない。
SNSで「高校生が警官に殴られ、眼球破裂した」との書き込みにより、若者達が集まって深夜に警察署で騒動を起こした。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/902732
私はそのニュースを見たときに、まず若者が騒動を起こしたことに驚いたし、すごいと思った。
事実確認をする前に騒動を起こしたことや、そのやり方は考える必要があったと思うが、嫌なことがあっても言うことすらしない、ましてや行動を起こすことなんて、という人が多い日本で、海外のデモのようなことをする若者達がいるのか!と。
まず行動を起こさないと意味がない。
行動内容だったり、ほんとにこの行動を起こしたことが正しかったかどうかなんて、後で考えたらいい。
ただ、今回のことに関しては、事実がまだ確認できていない段階での騒動は少し早かったんじゃないかと思う。
そのことを別のSNSに投稿したところ、思いのほか私の考えとは反対のコメントや騒動自体を批判しているコメントが多かった。
正直それは想定外だった。笑
↓実際にニュース画像と共に私がSNSに投稿した内容
↓具体性が少し欠けていたかと思い補足。
私の投稿にきたコメント内容
「騒動なんて起こして怖い。」
「今の時代のやり方じゃない。」
「田舎だから頭が悪いやり方。」
「暴走していたからその子が悪いんじゃない?」(暴走していたとのことも報道されていたが、実際していたかはまだ明らかになっていない)
「警察官がそういうことするはずないから、この子が悪いんじゃないの?」
「仲間意識が働いて、噂に尾ひれがついて騒動を起こしたんでしょうね」
などなど。
コメント内容で私の思ったこと太文字で並べてみる。
「騒動なんて起こして怖い。」→なんで騒動が怖いのか?
「今の時代のやり方じゃない。」→今の時代とはどんな時代なのか?同じく今の時代に生きるあなたならどういうやり方をする?
「田舎だから頭が悪いやり方。」
→田舎とはどういう定義か?頭の悪いやり方とは?なぜ田舎なら頭が悪いのか?
「暴走していたからその子が悪いんじゃない?」(暴走していたとのことも報道されていたが、実際していたかはまだ明らかになっていない)
→暴走していたという事実があったかどうかまだ明らかになったいないのになぜその子が悪いと言えるのか?
「警察官がそういうことするはずないから、この子が悪いんじゃないの?」
→警察官も同じ人であるし、警察官がこんなことを絶対しないとは限らない。それに警察官が何かしらの事件や事故を起こし、逮捕された事例は過去に沢山あるのにどうしてそう思うのか?そしてこの子の何が悪いのか?
「仲間意識が働いて、噂に尾ひれがついて騒動を起こしたんでしょうね」
→騒動を起こした若者全員が、事故にあった高校生の仲間だったとは一切報道されていないのに、なぜそういうことが言えるのか?なぜ仲間意識が働けば騒動を起こすと思っているのか?若者は仲間意識が働くと今回のような騒動を必ず起こすのか?
何が想定外だったか
思い込みの点で言うと、そもそも行動をしたこと自体がすごいという私の考えも思い込みだったなと思うと、それぞれのコメントを書いた人の気持ちもそうだったかもしれない。
ここまで読んでくれた方の中でも、すでに色んな意見が出ると思う。
ただ、私は事件に対して若者達が騒動を起こしたという事実に基づいて思ったことを書いたのだ。
しかし、自分の意見をいう際に事実に基づいているのかどうかということで言うと、そうじゃない人が多かったことが驚いた。
私の投稿したSNSでも、上記の太文字の部分を返信としてコメントすると、「こんなの考えすぎです」とか、「なんで批判するんだ」「普通考えたらわかるでしょ」と言われた。
考えすぎてもいないし、批判もしていないし、あなたにとっての普通が分からないから聞いている。
ただ、SNSで私の投稿にコメントをした人たちの内容の意味を確認するために質問をさせてもらっただけで、コメントの返信に関して私は私の感情を書いてないからだ。
それを批判や考えすぎと捉えるのも思い込みだと思う。
なぜはっきり報道も確認せず、自分の思い込みだけで意見が言えるのだろう。
SNSで「警官に殴られた」とだけが拡散され、それが事実かどうかも分からない状態で信じた若者達が騒動を起こしたのと同じく、誰かの投稿だけを見て、報道や投稿の意図を確認せず、思い込みで自分の意見を簡単に言ってしまうと、起こらなくてもいい事件が起こるのではないかと思う。
本質を見極めるためには
情報が溢れている世の中だからこそ、何が本質か見極めなければいけない。
そのためには、事実を確認しなければならない。
相手の意見の意図を確認しなければならない。
そして普段"自分"が何気なく思っている「普通」や「常識」を具体的に"自分"が知っておかなければならないなと改めて思った。
私も常に意識していないと、確認不足になったり、疑問を持つことを忘れたり、考えることを諦めたりしてしまう時がある。
今回のことで、より意識を再確認しなければと強く思った。
自分のことは自分が一番わからない。
人は一番思い込みの強い生き物らしい。
あなたの価値観はどういうものかを、考えて自覚するためには
常に何事にも疑問を持つべきだ。
それは私の母親が教えてくれた。
小さい時から何でもかんでも
「なんでこう思ったの?」「なぜこれをやったの?」「あなたはどう思う?」「あなたは何がしたい?」と
母親が常に疑問を聞かれて育てられた。
そして、わからない時は
「なんでを5回掘り下げて考えなさい。考えたら本質が見えてくるから」
と言われた。
正直その時は考えるのがめんどくさかったが、今になってだんだんその大切さが分かってきた。
本質を見極められる人とそうじゃない人の差は、これからどんどん広がるだろうし、特に若い人たちは考えなくなってきている。
それは日本の教育の問題でもあるだろう。
日本人はあまり「聞く」「聞かれる」ということをされないような気がする。
これについては、また今度。笑
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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