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白像① はじまりはパルコの屋上で

大学4年生の冬、私は美術モデルになった。
人前で素っ裸になり、ポーズをとり、15分ないし20分間ただ石像のように固まるという、あの美術モデルだ。


人生から与えられている課題が「『自分』になること」だとすれば、
あの冬、私は間違いなく「自分」というものにまた一歩近づいたと言えるだろう。

小学生の頃から、美術の成績は可もなく不可もなくという感じだった。好きか嫌いかと聞かれれば「好き」だったはずだが、美術的な行為自体は今も変わらず「苦手」だ。

思春期の自我が形成されていないうちから自由な創造力を発揮するのはかなり難しい。クラスというものがあり、友達の目があり、先生の評価がある以上、「みんなと同じものを、みんなと同じようにつくる」ことが最善であるように感じてしまうからだ。そこで我が道をいくような作品をつくる者は「変な奴」と後ろ指をさされてしまう。少なくとも、田舎に住んでいた私の美術環境ではそうだった。

その風潮にうまく馴染めなかったのは、私の中に表現したいものがあったからではない。むしろ全くなかったからだ。周りを無視してでもつくらざるを得ないものがなかった。何をもとにどうつくれば良いかわからず、ただ周りの見様見真似で「周りが褒められるようなもの」をつくらねばならない、と思っていたのだ。そういう他人まかせなスタンスは他にもおよび、勉強や部活、恋愛にも尾を引いた。勉強は常に誰かと比べて追いつけ追い越せで常に四苦八苦していたし、高校の頃は大好きだった恋人に浮気をされるという個人的な大事件も起きた。何より、そんな自分が大嫌いだった。まさに「自分になれていない」ということだったのだろう。もちろん、この頃は美術モデルの存在など知るよしもなかった。

ようやく自分になりはじめたのは大学に入学してからのことだ。そしてそれは大学4年生になった頃から猛スピードで進みだした。

どういうわけか、4年生になった瞬間に自分を諦められるようになったのだ。コロナの自粛期間を通して、「自分は自分にしかなれない」ということを悟ったのだろう。

器用な作業は自分に向いてない、アーティストのように何かを0→1でつくることより1を100書くことのほうが向いている、高身長であってもファッションモデルにはなれない。自分に抱いていたそんな淡い期待をすべて捨て去った(余談だが、自己肯定感と自己諦念感は比例すると思う)。それと同時に、性や自分の身体への恥じらいや抵抗感も綺麗さっぱりなくなった。誰かに褒められたいわけでもなく、モテたいわけでもない。ただ欲望——「したいときに、したいことをする」——のまま動く、それまでの自分にとってはもっとも難しいことを簡単にできるようになっていた。

そして私の場合、「自分になること」と性や自分の身体への恥じらいや抵抗感を取り払うことは同義のことだったように思う。押し殺していた欲望に気づいて素直に動けるようになってから、大げさでなく道が開いた。自分の「不完全」な身体を受け入れ、自分で自分を愛せるようになっていた。

私が私になったはじまりの場所は、パルコの屋上だった。

自分になる過程で、悩んだ挙句に就活を放棄した私は、当時最も仲が良かった友人とアンチ就活同盟を組み、就活を放棄してZINEをつくっていた。11月も暮れの土曜日、吉祥寺パルコの屋上でZINEのコミケのようなイベントに出店することになった。

販売会も終わりに差しかかった頃、とある女性が訪れた。
私より20cmほど低い小柄な体型で、ベリーショートに小麦色のすっぴん肌がよく似合う年齢不詳の女性。天真爛漫な20代に見える時もあれば、笑った時にできる目の横の薄いシワが30〜40代にもみえ、年齢の特定を不可能にした。

彼女は私たちがつくったZINEをまじまじと読み、

「わかります、私も学生の時はそうでした。特に私は3.11が起こった春に就活をしていましたから」

とキラキラな目で話しかけてくれた。

聞くと彼女は学生の頃、劇団で女優をしていたらしい。
そのまま演劇の道に進むか、就活をするかで迷っていたところに起きた3.11。社会が不安と混迷に大きく揺さぶられる中で、従来の就活をを疑問に思うようになったそうだ。

「社会が大きく変わるかもしれないのに、今までと同じやりかたで生きていけないんじゃないかと思って。それで大学を卒業してからコロナが始まるまで、『美術モデル』をやってたんですよ」

「『ビジュツモデル』?」
思わずそう聞き返してしまった。私の人生で初めて耳にした言葉、「美術モデル」。

「そう。裸になって、デッサンのモデルになるんです。その空間にいる人みんながこちらを見て、私の身体を描く。みんな集中してるから、その空間はキャンバスに鉛筆を滑らせる音しか聞こえない。けっこー楽しいですよ。」

そういえばずいぶん前に、『マツコの知らない世界』というTV番組で美術モデルの特集をしているのを観たことがあった。たしかあのVTRでは、スッポンポンになった女性が真ん中の台に座り、その周りを囲うようにおじさんやおばさんやお兄さんたちが黙々と鉛筆を走らせているシーンが流れていたはずだ。

微かな記憶を辿りに「ビジュツモデル」のイメージを膨らませていると、お姉さんはこう言った。

「よかったら、美術モデルになりませんか? 紹介じゃないとなれないんだけど、あなたは背も高いから重宝されそう。もし興味があったら、私が事務所を紹介しますよ。ここまで背が高い人って、なかなかいないから。」

「やりたいです!!!」

即答した。見知らぬ人の前で裸になることへの抵抗感よりも、「この波に乗らねば」という直感がすぐに働き、気づいた時にはもう連絡先を交換していた。
ちょうどそれまで続けていた漢方のアルバイトをもうすぐやめるというタイミングだったというのもある。聞くと美術モデルの時給はかなり高いらしい。卒業後に入る会社もないし、飲食店で働くより効率的だと思ったのも即決した理由だった。

「あ、本当?! この後詳細を送りますけど、もし嫌だったら本当にやめていいですからね。どうか無理はなさらず。」

私が二つ返事をしたことが意外だったのか、驚いた顔をしてこちらを見つめてきた。本気を伝えるためにちょうど新しい仕事を探していたのだと私が話すと、彼女は「こいつはマジだ」とでも言うようにハッとしてスマホをポケットから取り出した。

気づけば長いこと立ち話をしていたようだ。
空はすみれ色と淡い夕日の色が混ざり、彼女の小麦色の肌は寒さでぴちぴち弾けるように赤くなっていた。

この時、人生から何かに招かれていることを、強く静かに予感した。詐欺でもいい、たどり着いたところが全てだ——ZINEの売り上げはそっちのけでパルコの屋上を後にした。


撤収作業をしていたときの写真。息をのむほど美しいとはこのこと



それからモデルの事務所を訪れ、最初の仕事をするまでに1ヶ月も経たなかったと思う。

予感は的中した。美術モデルの世界は実に楽しく、おもしろく、そしてへんてこだ。ここの世界にいると、女と男は良い意味でやはり全く違う生き物であるということを思い知らされる。なぜ男は女の裸体を描くのか(女の描き手ももちろんたくさんいるがメインは男)、なぜ美術では女のヌードを描くことが「練習」になるのか。私もまだ研究中だが、どうやらそこには西洋由来の美術史と、2つの性をもつ生き物の本能(と思わされているかもしれないもの)が複雑に絡みあった理由が隠されているらしい。

この赤裸々な連載では、あまり知られていない美術モデルのおもしろさを発信していく一方、「自分になる」過程を考察する場として続けていきたいと思う。

登録から初仕事のエピソードはまた次回。

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