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オーナーママを引退した理由

今回はホステスだったときのお話

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最近で有名なのは「名古屋のエンリケさん」が日本一のキャバ嬢なんて呼ばれて月収3000万!なんて夢のある話を耳にしますが、私はどちらかと言うと底辺ホステス!最高日給40万くらいだったかな?

ホステスをはじめて10年目に、私の夜職人生はピリオド迎え引退を迎えます。理由は単純明快!【大好きな人と過ごすため】ただこれだけで、今まで築き上げたものを手放しました。

過去にいたお店は

・ショットバー
・スナック
・ラウンジ
・ガールズバー
・キャバクラ
・ニューハーフショーパブ

お店によってはNo1になったこともあるし、最後は小さいけれど自分のお店をかまえてママとしてホステス人生を謳歌していました。

私が経営者になって一番きつかったのは、経営不振でも従業員の問題でもなく家族の問題でした。オープンから半年で母親が脳梗塞になり数ヶ月入院介護をすることになったのです。

そこで!

私は右腕と呼べる人をまだ育てていなかったことが、ホステス引退を決める決め手になります。右腕がいないということは…?すべて自分でしないといけないということです。ママと言う立場から出勤はもちろん従業員の管理まで、当時はネイルサロンも経営していたので入院介護とは言え、若干26歳の私には従業員の生活と親の生活すべてを守りきる体力と気力は持ち合わせていなかったんです。

経営者だから自由がきく分責任が伴うんですよね。
入院介護をやりきった月に、私は引退と閉業を決定します。
完全閉業ではなく、オーナー替えという形をとったため従業員たちには負担をかけることとなりましたがお店自体は存続していく形となりました。

さて、引退を決めたワケに大事な人との生活と言いましたが、これは母の入院介護の時に人って簡単に人生壊れるんだなと思ったから!

人生は一度しかなくて、一回きりで今私のしたいことはなんだろう?
そう思ったときに旦那くん(仮)を脅して一緒に暮らしたい!笑
そっちがだめなら、もう一度無心で工場かなんかで働きたい!この時ギリギリ借金こそなかったものの、ほとんど現場に出れていなかったお店の売上は激減し、運転資金や貯金まで介護費用が食い込んでいたこともあり、引退するなら某自動車関連会社の期間工とかで働いて再スタートを切るのもありだな思っていました。

結局私の押し勝ちで、田舎へ移住して一緒に暮らしだすのですが、もし母が脳梗塞にならなければ今の選択肢は出てこなかっただろうし、なんとなくママを続けて水商売を続けていたと思います。

今したいことを優先するために私は最後にあった貯金をすべて使って移住。
そして派遣社員として工場・大手企業で事務・WEBライターを本格的に開始して今は会社員をしながらWEBライターをさせていただいています。

移住から約2年かけて仕事も落ち着いて、日々が幸せだなと思いながら過ごせる今が本当に好きです。お金や人脈もないところからの再スタートだったけれど、やりたいことするってこんなに幸せ感じるんだな。

当たり前にあったはずの物はアッという間に壊れてなくなると気づいて自分のために歩みだす勇気を出した私を褒めてあげたい!

これが私の引退までの超絶簡単にまとめた物語でした。

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