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(続)最近出会ったもの①

赤瀬川原平『新解さんの謎』の続き。

前回はこの本の面白さに浸かってみたが、
今回は、読み終わって一息ついたうえで考えたことを記録する。

気付き直す、出会い直すことに感動したので、「出会い直し」をテーマに。




出会い直すこと① ー辞書

まともに辞書を引くのは、高校か、下手したら中学ぶりだった。
「引く」というか、今回は「読みにいった」という方が正確か。

辞書特有の匂いと、薄くて裏が透ける紙の感じと、文字が詰まったぎっしり感が懐かしくありつつ、
「新解さんを探す」という見方で、新明解と新しく出会い直せたような気がする。

今ではもう、何でもスマホでぱぱっと検索してしまうのに慣れて、辞書を開くことはない。億劫だし、そもそも手元にないからだ。

本棚から出して、ケースから出して、
頭文字のゾーンを見つけて
行ったり、行きすぎたりしながら目的地を探す。

書き出してみて、言葉の意味に辿り着くまでにこれだけの工程があることに、少し驚く。


出会い直すこと② ー言葉の意味

そんなことを考えていたら、そういえば言葉の意味は、辿り着くのに少し時間がかかるものだったと思い出した。

中学の現代文の授業では、文章を読み解くときに、なんとなくわかる気がするような言葉でも辞書を引かされた。
思っていたニュアンスと違うこともあったし、
言葉の定義を通して登場人物の台詞のもつ意味が浮かび上がってきて、辞書を引くことが読解を大いに助けてくれたことも多々あった。
そういえば。

言葉の意味は、自分の中で、意外と不安定な状態にある。
そして、その輪郭は見えているようでほとんど見えていない。

そんなことをよく最近思うけれど、中学の現代文の授業はこれを実感するひとつの場面だったのか。

「言葉は本当は違うものを同じものにしてしまう大きな力があるんじゃないでしょうか」
「置き換えによって切り捨てられる部分が大きくあります」

山極寿一・小川洋子『ゴリラの森、言葉の海』新潮社(2019)



出会い直すこと③ ー赤瀬川原平

書いているうちに、芋づる式に色々と出会い直してしまった。
何なら現代文を教えてくれた亡き恩師のことまで書きたくなってきたが、きっと別の機会で書けると思うので、今回はやめておく。

最後に、赤瀬川原平と出会い直せたことについてだけ少し。

中学生の頃は著者のことは全く意識していなかったが、研究会の先輩におすすめの本を聞いたことをきっかけに、こうして赤瀬川原平に出会い直すことができた。
「ああ、あなたでしたか」みたいな。嬉しい。


これから彼の別の本を読んでいったとき、
今度はどんな世界を見せてくれるのか、また赤瀬川原平自身のどんな一面が見れるのか、とても楽しみ。

拾い画。仲良くなりたかったなあ


おわりに

本当は『新解さんの謎』の他にもう一つ収録されている『紙がみの消息』にも触れたかったが、あまり書きすぎると次回のハードルが上がるから、今日はこの辺で終わりにする。


「出会い直し」とテーマを決めて書いてみて面白かったのは、
本を読んで出会い直したことに加えて、
書きながらもどんどん出会い直してしまうこと。


何かと飽きっぽいのでいつまで保つか分からないが、
これからも書くことは続けていきたい。

ということでおやすみなさい~。

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