区分とその所属コスト

 ご無沙汰しております。red_dashです。

 新年度にあたって、なんと新しく公的な研究費(科研費)を頂くことに成功しました。実験を継続するめどが経ち、最近は主にそちらに時間を当てています。
 投薬量の増加や障害年金の受給開始など、障害者としての暮らしにも変化が訪れています。変化が落ち着くまで、今しばし、執筆にはお時間をいただくことになるかもしれません。発達障害で私と類似の困難を持つ方、その周囲の方の参考になるように、そして何より私自身のために、少しずつでも書き足していきたいと思います。

 暮らしが少しずつ落ち着く過程で、研究者とは何か? 障害者とは何か? と考えるようになりました。考えるうちにこれらの問いは、区分とは何か? とひとまとめにして以下のように理解すると腹落ちするぞ、と感じたためにメモを残します。

 私たちは区分という名のファンタジーを纏って生きています。例えば、研究者。障害者。区分を纏うことで、時に何かになれる気がします。周囲はその区分にふさわしい行動をとることを期待しますし、自分でも、時には無意識に、区分にふさわしい行動を取りやすくなる傾向があるようです。
 しかし、区分はファンタジーに過ぎません。その区分にいる人が、必ずしもふさわしい行動を取るとは限らないし、取らなければならないとも限りません。あなたも、わたしも、一人の人間で選択の自由があります。
 一人の人間は、区分の一部になりたいと願い行動する限り、区分の一部には入れる可能性がありますが、区分それ自体になることはできません。区分という概念と一つになることもできません。私は研究を続けようとするかぎり、一人の研究者ではありますし、私の抱える障害を自覚して意識する限り、一人の障害者ではありますが、"研究者"でも"障害者"でもないのです。
 区分はファンタジーです。区分を実体と見なして、その概念と一つになろうとするのは、やめたほうが良いかもしれません。一方で、区分は便利なので上手に使いこなしたいものです。
 区分に所属するためには、そのための行動を必要とします。私は障害に由来して行動コストが高いため、たくさんの区分を同時に満たすことは困難かもしれません。そうでなくとも、複数の区分に所属する行動コストを満たすことは、比較的困難でしょう。
 一方で、コストを払わなくても私でいることはできます。私が私であることを認めてくれる人も、存外にいるものです。払えないコストにフォーカスするよりも、認めてくれる人との間にある幸せに目を向ける方が、より幸せを感じられるのかもしれません。

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