船曵竜平|合同会社reshack代表

1989年栃木県川治温泉に生まれる。 明治大学卒業後は大手生命保険会社に勤務。 7年間…

船曵竜平|合同会社reshack代表

1989年栃木県川治温泉に生まれる。 明治大学卒業後は大手生命保険会社に勤務。 7年間の会社員生活を経て、2021年5月から神保町の大和屋履物店の再建に携わる。 同店の経営サポートの傍ら、他の家族経営のお店の役に立ちたいという想いから、起業を決意。 合同会社reshack設立

最近の記事

ラーメンズ小林賢太郎さんから学ぶ仕事のこと|1|船曵竜平という職業

私の仕事のバイブル、いや人生のバイブルは小林賢太郎著『僕がコントや演劇のために考えていること』(幻冬舎単行本)です。職業はまったく違う小林賢太郎さんですが、仕事において大切にしていることに置き換えると、すごく共感できます。 私の仕事のこだわりについて、この本も紹介しながら、この本の構成に準えてご紹介させていただきます。決してパクりたいのではありません。敬意を込めてです。 ぜひ少しでも興味を持っていただけたら、この本を手に取っていただきたいです。きっと、皆さんの仕事にも応用

    • 大企業を辞めて、下駄屋を継いで気がついた私の #未来のためにできること

      「ファミリーベンチャー」という存在2021年、サラリーマンをしていた私は、ご縁があって東京神田のとある履物屋さんの経営に携わる機会を得ました。 意を決して30歳そこそこで脱サラし、全くの畑違い、しかも明治創業の個人商店の経営をどうにか立て直して改めて痛感したのは、家族経営の小さな商店が現代で直面する山積みの課題と、一方で、そんなお店だからこそ持っている人間的な継ながりの強さや、その価値でした。私たちの他にも、同じように困っている人たちがたくさんいるはず。 自分の経験を活か

      • 大企業を辞めて、下駄屋の経営を任された今、#天職だと感じた瞬間

        reshack|We matter little, unlike what we inherit.「ファミリーベンチャー」の未来のために 2021年、サラリーマンをしていた私は、ご縁があって東京神田のとある履物屋さんの経営に携わる機会を得た。 意を決して30歳そこそこで脱サラし、全くの畑違い、しかも明治創業の個人商店の経営をどうにか立て直して改めて痛感したのは、家族経営の小さな商店が現代で直面する山積みの課題と、一方で、そんなお店だからこそ持っている人間的な継ながりの強さ

        • 下駄屋を継ぐと決めてから、1年半の間にしていたこと vol.2

          経営者がたくさんいるお店私は会社員から経営者になることになった。一方で、経営者になるまでに1年半の猶予がある。そこで私は少しずつ知識を入れることから始めようと考えた。 なぜならば、仕事の生産性は「知識×スキル×スタンス」で成り立っていると思っているからだ。 仕事で結果を残したり、生産性を高めて多くの仕事を処理するためにはこれら3つを研鑽していく必要がある。特に、経営者となりお店の将来を担う立場となるからには自己研鑽に妥協はできない。 コロナ禍に突入し、在宅ワークがスター

        ラーメンズ小林賢太郎さんから学ぶ仕事のこと|1|船曵竜平という職業

          下駄屋を継ぐと決めてから、1年半の間にしていたこと vol.1

          私が下駄屋のためにできること私が下駄屋の後継ぎになることを決意したのは2019年12月。 そして、大和屋履物店のリニューアルオープンは2021年5月。この間には1年半もの月日が流れる。 もちろん、この間に誰も予測していなかった新型コロナウイルスの流行というものが発生する。一見この期間はそれが影響したかのように感じるかもしれないが、私たちの中では最初からこの日程で決まっていたのだ。 当初、東京オリンピックは2020年の夏に行われる予定だった。なにを始めるにも、この行事が終

          下駄屋を継ぐと決めてから、1年半の間にしていたこと vol.1

          大企業を辞めて、下駄屋の後継ぎになることを決意した日

          2019年12月、私は下駄屋になることを決意した。 2014年に入社した会社で働き始めて6年が経とうとしていたときのことだ。そのころはまだコロナという言葉も聞いたことがなかった。もちろんマスクもせず、ふつうにお酒が呑めた。そんな世の中だった。 12月は忘年会シーズン。奥さんの家族との忘年会が神保町の牛タン屋さんで開催された。お義母さん義叔母さんと私たち夫妻、4人で牛タンとお酒を愉しんでいた。そんなひとときで、私は下駄屋になることを決意することになる。 仕事が好きでたまら

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