楽観と悲観の境目について

「人生いろいろ」とは、よくぞ言われたものだと思う。

人それぞれ「生き方」そのものや人生自体が、まさにいろいろであり、一括りで表現しやすい言葉かと思う。

ただ、「心の持ちよう」については、人それぞれ色んな要素が入り混じっていることかと思うが、その要素となる変数についてはいくつかあげられるように思う。

「健康」「経済力」「家族」「将来性」、その他にもあるだろう。

その4つについて言及すれば、いずれも4本柱となっていて、どれかに不安があると、「悲観」が頭をもたげてくるように思う。

その逆もまた然りであり、どれも順調であると、「楽観」が頭をもたげてくる。

それぞれ4つについては、「強弱」のインパクトがあり、また相互の相関関係もある。

難しいのは、将来の「不確実性」が伴うこと、それに目を背けないことからくる「将来性」の判断が人それぞれ異なることがあるように思う。

圧倒的な「経済力」があり、「家族」と「健康」のバランスがとれていれば、将来の「不確実性」自体も受容できることだろう。または、現役世代を終えようとしている方も同様かもしれない

現役世代にとってみれば、圧倒的な「経済力」については、数億円レベルの資産がないと安心できないように思われ、そういう意味では、大多数の人は、「不確実性」からくる「将来性」を乗り越えなければならないと思われる。

換言すれば、心が「凪」の状況に思えても、どこか心底で「ざわつき」がある、という感じだろう。

「健康」と「家族」の「将来性」もほぼ同様だと思う。

「ディスラプション」は、「市場の暴力」かもしれないし、「文明の利器」として人を活かす改革かもしれない。

環境の変化を感じ取るにつれ、心底の「ざわつき」とうまく付き合っていかないといけない。

ただ、上述は、飽く迄も「心の持ちよう」での言及であり、「生き方」次第で「ディスラプション」を乗り越えていかなければならない。

これを踏まえて、「人生いろいろ」というのは、「言葉の暴力」に近いものだと思う。

私の歯は、既に噛み締めすぎて、上も下も擦り減り過ぎている。

自戒も込めて、「他人に優しく」「自分に優しく」、そして、「ディスラプション」を乗り越えていきたい。


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