イントレプレナーの憂鬱

今まで、事実上3回のイントレプレナー(社内起業家)として仕事をしてきた。プロジェクトマネジメントも数多く。

前例がないこと、前任者がいないこと、全社対象業務であることを持ってイントレプレナーと自称している。

何れも、自己完結にてやり遂げ、そして、その後社内組織化され、多くの従業員の業務へと繋がっている。

常に目線は経営者目線であったつもりであるが、その時々の未熟さ故に、経営者の満足を得るものであったのか否かはよくわかっていない。

イントレプレナーの常として、成果は会社に献上することは常識である。

会社のため、という大義に揺らぎがなかったこと、自らを利するプロセスを経なかったことより、何れの過去も達成感がある。

ただ、私の特徴的なキャリアとして、役割を終えると、次の井戸掘りが待っている、ということであろう。

2度あることは3度あるとはよく言ったものだ。

ところが、今は4度目のイントレプレナーに挑んでいる。

今回も大義は万全だ。

私の期待リターンとしては、「描く力」「まとめる力」「仕切る力」「継続学習する力」そして「やり遂げる力」を持っているという事実の積み重ねによる社内信用の醸成にある。

それが経済的価値に変わるかどうかは、「サラリーマンとは何ぞや」ということを紐解く必要がある。

ウォーレンバフェットは言う。

「高い壁があると、私は軽く飛び越えられる30cmの壁を選ぶんだ」と。

資本家の大家の言葉は重い。

Mr.Childrenの歌にある。

「高ければ高い壁の方が上ったとき気持ち良いもんだ」

私の戦いは、「終わりなき旅」でないことを祈る。

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