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正直に生きた方が何かと安上がり。

航空は仕組みを、鉄道は個人を責める。

 やっちゃいました!ミスが許されない鉄道員の職業柄、内容にもよるがミスに対するペナルティは基本的に重い。遅刻をしただけでキャリアパスに影響が出る程度にシビアで、寝坊したから適当に理由をつけて半休なんて、事業会社のダメリーマンが駆使する技を使おうものなら村八分である。

 そんな風土故に各社の現場では、多かれ少なかれ隠蔽や過小報告があることは想像に難くない。実際に尼崎の列車事故の際にも、事故調査委員会がそれを指摘している位だ。

 それにも関わらず、私は逃げも隠れもせず、馬鹿正直に申告する。中堅やベテランからは上手くやれよと囁かれるが、苦し紛れに隠蔽して体裁を整えるよりも、正直に生きた方が長い人生で考えたときにコスパが良いと思うのが私の指針である。

 「失敗の科学」の作中には、なぜ航空業界では事故が少なく、医療業界は統計上、10人に1人が医療ミスをしているのかを、組織文化の背景を交えて解説している。詳しくは本書に譲るとして、鉄道業界は同じ交通産業であり、素晴らしい見本でもある、航空業界の涙ぐましい根本的な改善のノウハウをマネすることなく、医療業界と同じ道を辿っているように感じてしまう。

 失敗したくない大の大人が、失敗してしまうような環境が現場にあり、それが発覚する度に、個人の責任として押し付け、根本的な原因究明をせずに放置して、同じことを繰り返す。

 これは紛れもなく組織や上層部の怠慢であり、航空業界の多くは失敗から何かを学習する姿勢に徹しているからこそ、巨大な鉄の塊を重力に逆らいながら飛行しても、安全に目的地まで到着することができる。それが叶わなかった搭乗者や乗客の命を血肉化して、現在の安全輸送が成り立っているのである。

墓場まで持っていくコスパの悪さ。

 これを尼崎の列車事故に当てはめるなら、例の魔のカーブを速度超過で通過することで、余裕時間のないダイヤの遅れを取り戻す手口は、超過具合の多寡は別にしても、現場では横行していたものと思われる。

 というのも、例の事故で運転再開した翌日に、当該区間を通過した特急列車は速度超過で緊急停止し、皮肉にも運転再開の条件に渋々盛り込んだ保安装置(ATS-P)の、速度照査機能が正常に動作していることを報道陣の前で証明することとなったからである。

 当時から技術的に、速度超過で減速あるいは非常停止する設備に改修する形で、制限速度を遵守させる仕組みは実現可能だったが、なにより恐怖政治体質で懲罰(日勤教育)を恐れたがために、みんながみんな隠蔽して問題意識も改善意見も表出しなかったのだろう。

 それにより運悪く経年の浅い23歳の運転士が、直前のオーバーランによる遅れを取り戻すべく、最高速度で運転していた中で、ミスを過少申告して貰うために車掌の無線報告に気を取られ、殆ど減速することなく魔のカーブに進入してあの惨状となった。

 同業他社の過ちがあるからこそ、私は未来の現場で同じ悲劇を繰り返さないためには、短期的には痛みを伴ってもミスを申告し、根本的な改善を図るほうが、長期目線で利用者にとっても組織にとってプラスになると考え、墓場まで持っていく行為は、いささかコスパが悪いと感じてしまう。

 しかし、そんな私とは裏腹に、組織は全ての責任を個人に押し付け、根本から解決する気がないため、見限ったのは当然の報いである。

正直な納税は一番の社会還元。

 お金に関しても同様に考えており、若年層に冷酷な日本社会では昨今、お金を持っている高齢者から騙し取る詐欺が、強盗にシフトしている感が否めず、罪を犯してでもお金を得ようとする程度に追い込まれてしまう、社会構造そのものに欠陥があるように思えてならない。

 既得権益に恵まれた上流階級に位置する方々は、今の成功は自分が努力したことにより掴み取った当然の対価であり、持たざる者は然るべき努力をしていないのだから、貧相であることが自業自得であると、どこかで思っていないだろうか。

 そんな自己責任論的な潜在意識が、公共施設からホームレスの追い出すことを当然と思い、その意識が加速すると、年功序列、終身雇用の旨みがなくなった職に就くのにも、学歴至上主義で学士が必須故に、借金を背負って社会に出ては、返済に追われる貧乏な若者が量産される。

 そんな社会の形成に加担している自覚があるだろうか。定職についても生活苦な人が居る中で、何かしらの事由で安定した職に就けなかった、いわゆるレールから外れてしまった人が挽回できる機会は日本社会に殆どない。

 そうなると不遇な弱者の一部は、社会がキツく当たるなら、最後に一発やり返して、スッキリしてから自害すれば良いと、失うものがないが故に、犯罪にも躊躇しない無敵の人が誕生するのである。

 失うものがない人からすれば、犯罪を犯して捕まらなければ、それで飯が食えるし、仮に捕まっても刑務所は、健康で文化的な最低限度の生活が保障されているからリスクにならない。

 そんな世の中を加速させないためにも、社会的に成功している人や事業者は、節税で経費を積み増したり、グレーゾーンな税逃れにより、私利私欲に溺れることなく、ノブレス・オブリージュを忘れず、社会還元だと思って正直に税務申告をする。

 行政機関が徴収した税の使い道が、妥当か否かを見守る必要はあるものの、この方が社会的弱者の居場所を確保でき、日本の治安が悪化しない意味で安上がりだと思わないだろうか。

 上場株式の譲渡所得や、暗号資産の雑所得は、年間20万円以下であれば確定申告不要とされているが、あくまでも所得税の話で、住民税は申告が必要であることはあまり知られていない。

 私は仮想通貨で儲けが出た時に、20万円に抑えて住民税部分だけ申告しようと役場に申し出たが、前例がないため結局、確定申告をする羽目になった。

 当時は20万円に抑えた意味ねぇじゃん。とボヤいたものの、正確に納めた税金が、弱者のためになっていると思えるようになった今では、節税ありきでとるに足らない行動をすることがなくなった。

 税金が適切に使われているかを注視する必要はあるものの、納税が一番の社会還元であり、税務署や誰かを欺き続けるよりも、正直に生きた方が結果として安上がりなのは間違いないのだから。


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