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子供の論理。

子供の疑問・直感は結構正しい。

 先日、地上波で流れる成田節を聴くために初耳学を視聴した。成田先生が発言された内容自体は既に聞いたことのあるもので、特段目新しさはなかったが、予備校講師である林先生の、「偏差値が足りなくて目標の大学に行けなくても、人生は大して変わらない。」と本質を捉える発言には衝撃を受けた。

 私が学生の頃に感じていた、「こんな勉強、何の役に立つのだろう」と疑問を持ちながらも、周囲の大人は勉強して少しでも良い学校に進学することが、正義のような風潮があり、モヤモヤした学生時代を過ごしていた。

 しかし、成人を迎えて自分なりの答えを見つけた矢先に、それを覆してくれた大人、それも予備校講師という立場でありながら、勉強して少しでも良い学校に進学することが絶対ではないことを示していたことが衝撃的だったのである。

 良い大学の学歴も、大人からすれば学校成績と言う指標を高めるために、学生の立場で努力した証明として評価されているのが、現状の学歴社会であるが、それは良識あるまともな大人たちが創り出した、一般社会にとって重要な指標でしかない訳で、その一般社会に染まっていない子供からみれば、割とどうでも良いことだったりする。

 だからこそ、「こんな勉強、何の役に立つのだろう」と疑問を持つのである。世間一般に良い学校とされていても、そうでなくても、学校教育自体に有意差がないことが統計上明らかになった今、元から良い学校に入れる素質のある生徒が凄いのであって、テストで点数を稼ぐ行為自体は大して重要ではないと言う子供時代に言語化出来なかった直感は正しかった訳である。

もちろん、反論もあるだろう。

 高卒よりも大卒、Fランク大学よりも東大や京大の方が、人生における選択肢が豊富なのは事実である。仮に医者になりたければ大学の医学部を出て、研修医として勤めなければ話にならない。

 現に私も高卒で社会に出て苦労したから、通信で大卒資格を取得する方向に舵を切った。将来の選択肢を広げる意味では、テストで点数を稼ぐ必要がある。どれほど地頭が良くて高いIQを持ち合わせていても、テストの点数や資格による証明がなければ、他人から信じて貰えないのは嫌と言うほど経験している。

 それでも、初耳学で成田先生も発言されていたし、私も以前に記したように、学校成績は「何かを覚えてそれを再現する」ひとつの側面だけを切り取った、偏った評価でしかないのは紛れもない事実である。

疑問は何も教育だけではない。

 駅員時代、小学校低学年の社会科見学で来駅して、生徒の質疑応答に答える本来なら管理職がやるべき仕事を経験したことがある。2019年に子ども科学電話相談で似たようなラジオ企画があったらしいが、それよりも前の話である。

 内容としては、電車は一日何本あるのか。車種は何種類あるのか。最高時速はどれくらいか。運転士さんは何人くらい居るのか、どうしたら運転士になれるのかと言った初歩的な疑問から、新幹線はなぜ早いのか。なぜ電車が動くとガタンゴトンと音がするのか。山手線に終点はあるのかなどの業界人若しくはマニアであれば答えられるような質問が大半を占めていた。

 しかし中には、なぜレールの下に石を敷いているのか。駅の場所や名前はどうやって決めるのか。自動改札機の中はどうなっているのか。京急の歌う電車は普通の電車と何が違うのと言った、業界人でも小学生に分かるように返答するのは、仕組みなどを完全に理解していなければ難しいと感じるような、鋭い所を突いた質問もあり子供の知的好奇心に舌を巻いた。

 一般論として、大人は子供を下に見る傾向があるが、子供は良識あるまともな大人であればあるほど疑問にすら思わないような、ユニークな着眼点を持ち合わせている天才である。

 こうした疑問を常識や一般論で一蹴せず、大人でも分からないものは分からないと正直に伝えたり、同じ目線で一緒に調べてみたり、分かるまで噛み砕いて説明したりと、子供に対してどれだけ真摯に向き合えるかが、育児であったり、教育者の立場として重要なのは間違いないだろう。私は幼少期、身近にそうした大人との接点がなかったからこそ、林先生の一言に感銘を受けたのである。

お金に疑問を持った少年時代。

 小学校時代の同級生は、専業主婦家庭が多く、共働き世帯は少なかったように記憶している。私の家庭は後者だったが、親の年代的に、バブル期に高卒で就職して、社内恋愛で母親が寿退社。父親は年功序列賃金と終身雇用の恩恵を受けられた最後の世代がまだ多数派だった影響と思われる。

 逆に大学を出て就職時期が4年遅れたり、バブル入社組より若いと氷河期世代や失われた世代、ロスジェネと呼ばれる世代であり、こうした背景を持つ世帯が夫婦共働きだったのではないかと、今では推察している。

 そんな環境で多感な時期を過ごしたため、友人の家に遊びに行くと、生活レベルの違いを顕著に感じていた。当時の私には、同級生の大多数が、一馬力なのに自分の家よりも裕福そうな暮らしをしているのが不思議で、父にお金持ちと貧乏人はどこで差がつくのか、何が違うのかなど、好奇心の赴くまま質問攻めしたら、逆上して怒鳴られた経験から、その後、親とお金の話題をすることはなくなった。

 結果として、お金との付き合い方を両親から反面教師として学んだことで、自分で独自の金銭感覚を身につけることに繋がり、複利の恩恵を受ける側にまわっているのだから、皮肉が効いている。記憶力の良い方は、子供時代に疑問に感じたことを思い返して、自分なりの答えを探すと、案外本質的な答えが得られるのかも知れない。


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