見出し画像

サッカーほど危険なスポーツはない。【ペレVol.2】

あのペレが導いたイエローカード、そしてレッドカード!Vol.2

1958年第6回スウェーデン大会、1962年第7回チリ大会とブラジル連覇で迎えた1966年第8回イングランド大会。
ここでサッカー界の歴史を変える世紀の悪質ファールが、この時25歳の選手生活のピークと言ってもいい ”キングペレ”へ仕掛けられるのである。

ファーストラウンドグループ3  
ポルトガル
ハンガリー
ブラジル
ブルガリア

ファーストラウンドの対ブルガリア戦(7月12日) 前半14分、ペレは素晴らしい右足FKを決めて先制した。
7月11日、ウェンブリーでの大会開幕試合となったイングランドーウルグアイが0-0だったため、1966年W杯の最初のゴールは、このペレのFKだった。
後半にガリンシャがまたFKを決めて2-0で勝ったが、その後ペレに対するツェチェフの厳しいタックル”悪質ファール”で傷つき、第2戦を休まなくてはならなくなった。

第3戦の対ポルトガル戦でペレは復帰したが、ベストの状態からは程遠かった。
そしてブラジルの3連覇の夢を打ち砕く世紀の悪質ファールが….。
ポルトガルのマランエスによって、ペレは幾度も倒され、膝が崩壊し抱き抱えられながら退場。
Vol.1で述べたように、この時代は選手交代は無く、怪我による退場でもそのまま数的不利で戦ったのだ。※注1

このペレに対する、選手生命に関わる連日の悪質ファールを機に、1970年第9回メキシコ大会では、悪質なファールに対するイエローカードとレッドカードを制定。
負傷者が出た際の選手交代も、ルールに加わったのだ。

そして”キングペレ”に対する悪質ファールが激減し、やはりと言うべきか、ペレはこのメキシコ大会では怪我による欠場はなく、ブラジルは3度目の優勝を成し遂げ、 大会のカップ「ジュール・リメ」を永久保持するのである。

もし1966年イングランド大会で、ペレに対する”悪質ファール”が無かったら、ブラジルはワールドカップ4連覇だったかもしれないのだ!

追悼 
2022.12.29”キング・ペレ”永眠
私事で恐縮ですが、 1993年(平成5年)、日本のプロサッカーリーグである Jリーグが開幕した5月15日、セレモニーのスペシャルゲストとして来日していた”キング・ペレ”と2日間を共に過ごせた事は最高の幸せです。
こころより冥福を…。

※注1:文中の選手交代のルールに関しては、あくまでもワールドカップ でのルールであり、他では下記のケースも存在した。
・1953年~1968年までは2人までで、しかも負傷した場合のみ。
・ 1968年~負傷関係なく2人まで交代可。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?