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無理なく、をつづける

自身にとっての無理はどこなのか。
その境界線がわからなくなることがある。

風邪を引いたとき、振り返ってみると体調が悪いまま無理をしていたことに気がつくことがあるように、身体へのアプローチも似たことが起こる。

一般的なトレーニングだと「身体に負荷をかける」ことが良いことだとされている(筋肉の成長を促すなどの効果をもとめて)から、それに慣れている人にとって「無理をしない」ことは、「物足りなさ」や「やった感が得られない」から敬遠されやすい。
トレーニングの経験がない人にとっても、なにかしらの運動をするのであれば程度の差こそあれ、がんばる方へ意識や力がはたらくことがあると思う。

ただ、この「頑張り」というのもやっかいで、がんばることで無駄な力みや執着、身体の緊張を生み出してしまうことにつながる。かといって姿勢を保つときや身体を動かすときはある程度の力を入れる必要がある。
だから「がんばらないようにがんばる」というような相反するものを同居させることが求められるのだが、頭で理解しようとすると難度が上がる。というより頭では理解できないと現象だと思う。


「無理なく」を実践すると、物足りなさを感じるのは否めない。
でもそれは最初の方だけであって慣れてくると「無理」の境界線が広がっているのに気がつくと思う。そうなってくると今度は、境界線の間で身体を動かすことができるようになったり、その日の調子によって「挑戦しよう」とか「やめておこう」などの加減ができるようになる。

本人にとっての無理はつづけることができないだろうから、無理なくつづけられることを模索する、そのために試行錯誤する。その繰り返しだと思います。

時間はかかるんです。

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