フランクル心理学から学ぶセミリタイアの生き方 〜私たちは人生から問われている存在〜
昨日せっかくフランクル博士の話題が出たので、もう少しフランクル心理学について書いてみたい。
今回の話は「私たちは人生から問われている存在」という話。
私たちは人生に期待し、勝手に落ち込む
人生に勝手に何かを期待し、その期待通りに物事が進んだ、進まなかったと言っては喜んだり、失望したりする。
特に期待通りにモノゴトが進まないとき、私たちは絶望を感じ、人生に意味はあるのかを問う。
逆に人生がうまく行ったときも、なにか虚しさを感じる時がある。達成の歓喜が一通り終わった後、少し変わったいつもの日常が現れる。自分が欲し、ここまで全てを駆けてやってきた後、得られたものはこれだったのか?これさえ達成すればバラ色の人生が訪れると思っていたのに、あるのは日常ではないか。
そこにも、期待通りにモノゴトが進まなかった人生に対して、人生に意味はあるのかを問う。
うまく行っても、うまく行かなくても、私たちは勝手に人生に何かを期待し、期待通りだった、期待とは違ったと人生を問う。
人生は問うものではなく、人生から問われているもの
フランクルはいう、人生を問うモノではなく、人生から問われているのだと。
うまく行かないときも、うまく行くときも、私たちが人生に期待をしても期待しなくても、人生は常に私たちに問うている。その問いに私たちが答えるのを温かく見守ってくれている。
人生は私たちにいつも聞いてくれているのだ、「さて、どうします?」と。
決して見放しはしない。
いつも聞いてくれている。
どんなときも見放すことはない
勝手に期待したときも
期待外れて絶望しているときも
うまく行って歓喜のときも
虚しさを覚えて生きる意味を問うているときも
人生は「さて、どうします?」と問うてくれる。
決して見放さない。
その問いの答え続ければいい
私たちはその人生からの問いに答え続ければいい。
自暴自棄も一つの答え。
自分を律して踏ん張るのも一つの答え。
いいとか悪いとか、苦しんだり、喜んだりしているのも、勝手にこちらが決めていること。
人生はいい悪いを超えて、ただ単に聞いている。
決して見放しはしない。
「さて、どうします?」と。
私たちは、その問いに自分なりに答え続ければいい。
私たちは、常に人生から問われている存在だから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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