無題

忘れ物、探し物「わたし」

長い弁解のような、
あとがきとのような、
エッセイのような。

今回のモノカキ企画
の文章を作成するにあたって。
いずれ忘れ物にしたい今のわたし。
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スプリングコートのポケットに、去年の忘れ物を見つけた。
物語の構想メモだった。

この頃の感性は、どこから来たのだろう。
今のわたしは・・・



新宿駅は、平日正午ごろでさえ、人で溢れている。
流れに逆らうことは叶わない。ただ、それに従って、順序を守り、共に流されていくことが最も早く目的地にたどり着く方法だ。

人の多さと同じくらいその場所は、言葉で溢れている。
たくさんの広告。記号。言葉。ことば。コトバ。

わたしは人に流されながら、そのたくさんの言葉の中から、
わたしの気持ちをぴったり代弁してくれる言葉はないか探してる。

本を読むときも、近頃わたしはその中に「わたし」を探してしまう。
大人とも子どもとも区別のつかない、宙ぶらりんの、どこか置いてきぼりに
されてしまったような、そんな気持ちを抱えたわたしみたいな誰かの言葉を。

特別な事件なんていらないんだ。
愛だの恋だの殺しだの、そんな大げさなものはいらない。


青虫は蛹になる時、その変化に戸惑いはないのだろうか。
蝶になって出て行くとき、怖くはないのだろうか。

誰に教わったわけでもないのに、みんなちゃんと、まるで普通のことのように大人になっていく。

女の子はいつから、女性に変わるのだろう。
誰に教わったわけでもないのに、どうして恋をするのだろう。


わたしはもう、たぶん子どもじゃないけれど、まだ大人でもない。


時の流れには逆らえず、ただ、それに従って、流されて・・・
けれどそれで必ずしも目的地にたどり着けるとは限らない。

そもそも、目的地とは何なのだろう?
今のわたしは、どこを流れているのだろう?
変な渦に巻き込まれ同じところをぐるぐるしてはいないだろうか?


この物語の構想メモを書いた頃のわたしから、
わたしは確実に変わってきている、と思う。

あの頃色鮮やかに頭の中に立ち上がってきた世界はもはや影を潜め
もっと現実的で、どこか掠れた心を描くことが多くなった。

人間の弱さ、愚かさ・・・ 綺麗なだけじゃない、前向きなだけじゃない姿、
不器用に生きてるところを描きたいと、より思うようになった。

それには、これまで頑なに避けてきた
「男女」というものを描くのも避けられないのではないかと考えている。

同年代、もはやわたしより下の世代の子たちにとっても
恋愛をすればそれはもう当然のことのように「そのこと」は語られる。

日常なのだ。フツウなのだ。

「酔った勢いで」なんて話だって、ヨクアルこととして受け入れるのが大人。そういう話題をナンデモナイ顔をして聞き流せるくらいには、
わたしも大人になった。

けれど。
受信と発信では全く違う。
ある程度発信していきたいと思う自分がいる反面、発信する自分に対する
嫌悪感に苛まれる。そういうことを描く自分が気持ち悪い。

恋愛のことを話せば「かわいいね」と言われてしまうほど、
正直、わたしは幼い。


わたしは人に流されながら、そのたくさんの言葉の中から、
わたしの気持ちをぴったり代弁してくれる言葉はないか探してる。

たくさんの広告、たくさんの小説、エッセイ・・・
その中にわたしを探している。


スプリングコートのポケットに、去年の忘れ物を見つけた。
今のわたしの言葉も、そのうちに「忘れ物」になるのだろうか。

そうならいい。そうでありたい。


わたしは綴る。
そのままを正直に綴る。


ハロー ハロー 言葉を探してるどこかにいるかもしれないわたし。

もしもあなたが、あなたを代弁してくれる言葉、つまり、
あなたみたいな誰かを探しているのなら。

同じような心を引きずって生きてるのは、自分だけじゃないと、
少数派ではあるけれど
フツウのことなのだと、ヨクアルことなのだと安心したいなら。


わたしはここにいます。
わたしの言葉は、ここに置いてあります。

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