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動画の感想 なぜ最前列で鑑賞するのか

映画を観る機会が増えました。
アマプラを利用するようになって、デジタル技術とネットの発展でテレビドラマと劇場公開映画との境界線がどんどんあいまいになっていくのがわかりました。
先日北千住の芸術センターの映写室の前を通り、この数日のプログラム「グリーンブック」はブルーレイ上映と知りました。
ドラマ版「薔薇の名前」全8話を見て、ふと検索してみるとチネチッタに緑の幌をかぶった修道院の外観セットが、グーグルのストリートビューで確認できるらしい。緑の部分に背景を合成するんですと。
ドラマは面白く観た反面、2時間の映画が3倍の尺に伸びて、何か深まったか、といわれれば「?」。どうもドラマ用にアクションシーンが付加されたようで、より「見やすく」しようとしたものみたい。不思議と異世界感が薄まってしまいました。
図書館塔は、映画の方は明快にピラネージの牢獄を模していて、映画作りのメッセージが強かったと。ドラマは考証的に適切なのかもしれませんが、地味になり、写本の顔料工房のようなところでレンズ加工の作業みたいなシーンがもっとあってもよかったのではないかしら。

以前、角川武蔵野ミュージアムの威容が「薔薇の名前」の修道院みたいだと、写真投稿したところ、あるパティシエからショーン・コネリー主演の映画ですよね、と反応。素晴らしい教養のあるパティシエだと思います。当然お菓子もコーヒーも素晴らしかった。

また別な話。久しぶりに耳にした映画タイトル「やられたらやりかえせ」に驚き。今の仕事場の職員から。わたしが地元を話題にしたところ、その方から飛び出しました。ドキュメンタリ映画好きなんだとか。大林、丸千葉も経験済み。映画好きで大学卒業後横浜日劇に閉館まで勤務した、とのこと。ご縁を感じるキャリアでした。
それでも、「やられたらやりかえせ」とはねえ。周囲の友人知人の間で、良否を分ける判断の似ている人が少なそうです。
とはいえ久しぶりの「映画談議」に少し興奮しました。わたしは「The Song of Names」(邦題「天才ヴァイオリニストと消えた旋律」)という映画を話題に。
興奮が冷めなかったのか、家のPCで検索して、82歳の淀川長治とおすぎの対談動画を2時間楽しみました。毒にも薬にもならないトーク、しかし、それでちょうど好い加減、毒か薬かよりはるかに素晴らしい。ずっと昔は、観た映画を言葉で解説するだけで評論家といえない、みたいな悪口がありました。でも映像表現を的確に伝達する手練手管を動画で鑑賞していると、なんとも爽快の極み。
偉い人が80過ぎたら、あのような話の引き出し方で止めどもなくしゃべり続ける、企画も聴き手も素晴らしいなあ。
淀川長治のことをよおくわかっているなあ。淀川の晩年は思いのほか、幸せだったのじゃないだろうか。
番組の最後にしめのお言葉。

この吹きつける風を一身に浴びたくて、映画館では最前列に座ります。

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