パンチ

ルパン三世 モンキー・パンチとルパン Ⅳ ルパンの執念

先生はルパンに人生の教訓的なことは何もないと仰ってたというけど
ルパンに救われている人ってたくさんいると思うんですよね
教訓どころかもっと深いテーマを持っているからルパンは

原作の主人公たちはある種の定めの下に過酷な世界で生きていて
常に死と隣り合わせで裏切りや嘘は当たり前なのに仲間たちとの絆は揺るがない愛情も友情も人一倍強い
普通は悪党の世界は疑心暗鬼になって仲間割れして自滅するのが世の常だったりするのにね

それは薄っぺらい努力や感動の教訓的な世界よりもずっとシビアで稀有なことだと思うのです
なにせ最後仲間全員で心中するラストですからね


なんかやっぱりね、ルパンは戦後を背負っているなと思うのです
生きるか死ぬかの状況で仲間と一緒に心中って玉砕じゃないですか
あの時代戦地で兵士たちが強奪や強〇、殺人を繰り返していたし
悪いヤツほど財産を強奪して戦後にそれを元に大儲けした
でも死線を超えた戦友の絆は誰よりも強い

普通の人だってルパンたちのような悪党だった時代があったわけで
だから戦後にルパンというアイコンが生まれたし、そういう狂気を人間は秘めている
やっぱりいろいろ考えますよね。先生は戦前生まれの戦中派だから

もう半世紀前の作品だからというのもあるけど、時代をを全く感じさせないのに、でも確かに存在するしこりとして、ルパンたちはなぜ悪党なのだろうか、義賊ではないのだろうかという疑問を常に投げかける


それは日本が平和になったからで、もしそうじゃなかったら?
日本がいまだにメキシコやフィリピンみたいな国だったら?
悪がはびこる国だったら、悪には悪を、という世界が日常になっていたかもしれない
ルパンたちはそういう世界を生きている
戦後しばらくはそういう時代だった


信じ込まされていた正義や信念が崩れ裏切られ、一切の虚無に覆われた敗戦後の日本
その代わりにやって来た欧米の新しい価値観と豊かな生活
ルパンはその変遷期に誕生した
マモーがルパンに虚無を見たのは嘘じゃない
正義ではなく悪に生きる主人公たちは
正義や国に裏切られた時代から生まれた申し子


昭和は戦後を引きずった作品が文学でも映画でも手塚作品のような漫画でもたくさんあった
二十一世紀になっても大衆に愛されているメジャー作品ってもうルパンぐらいなのでは
時代に合わせてマイナーチェンジして来たおかげでずっと続けてられた
そういう点でルパンは時代劇だし古典だし、それだけ尊いし価値がある
忠臣蔵とか新選組とかに近い


ルパンはお宝を絶対諦めない、死地においてもあきらめない執念がすごいし
横井正一みたいなとっつあんの執念もすごい
教訓的なことはなくてもこの死に物狂いの執念って結構ルパンの世界を貫いてるなあと思うし
ファンに勇気を与えているなと思う

いうなれば戦場とかは努力でなんとかなる世界じゃないから
現実でも努力でなんとかなることは限られていて、それよりも死に物狂いで生き抜いてやるという執念の方が
生きる上で大事だったりするのかなと思う


マモーの映画の砂漠を歩くあの有名なシーン
あのシーンが心に残るのは、パート5で舞台をアフリカに移して半ば強引に?あのシーンのオマージュをやったのは
あのシーンがルパンたちの生き様を象徴しているからかなとも思う
とっつあんとあれをやったのはナイスアイディアだと思う


砂漠は死と隣り合わせの土地だから
生きようと思わないと生きていけない
ルパンととっつあんの執念深さを脚本家がよくわかっているし
引きこもりの現代っ子のアミを砂漠で蘇生させたのも
ルパンたちの生への執念がそうさせたとも言える
だからやっぱりルパンは今の時代でも、今の時代だからこそ必要とされていると思う


だからパート5で「ルパンは死にたがりや」という言葉が出て来たのは
自分は疑問だったし、その逆だと思ったよね
ルパンはどちらかというと快楽主義者で、危険なシーンでも自分の力を信じて挑戦する人間賛歌だと思うんだけど

でもそういう疑問をルパンに投げかけて、ルパンのミステリアスな部分に迫り、不二子に「ルパンを死なせない」という愛情表現をさせたのは見事だったし、さらに「だから不二子?俺は死なないってことだ」とルパンに否定させたのは、二人の愛情のボルテージを高める上手い仕掛けだった



今思うとパート5は総括として、ルパンとは何か、というのをAIを使ってやらせるという
結構一味の関係ばかり気を取られてしまうけど、そのアイディアはかなり斬新というか思想が入ってて
そんな答えの出ない試みを、答えが出てしまっても困る試みをやったら
「GREEN VS RED」みたいなことになりかねないのに
あれだけ面白くまとめて本当勇気ある選択だったと思う



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