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ルパン三世 「殺し屋はブルースを歌う」Ⅳ 一人の女と二人の男

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ライバルに対して背を向けるルパン。

このシーンは、ルパンのアニメの中でもルパンの底知れぬ怖さがよく表れていて、ゾッとするシーンだと思う。鬼畜な描写が多い漫画の中でも、このオチははっきりと記憶に残っている。


ルパンの怖さ、冷酷さが一番よく表れていて、男同士の駆け引き、挑発、女心

ルパンは彼らの心理を全て理解していて、支配していて

その賭けに打って出る大胆さと度胸。


プーンと不二子を挑発し、ルパンだけが望む結果を手に入れている。


ルパンは自分の手を汚すことなく、女に始末させ勝利を手にした。

怖い男だなと思うのです。


こんな怖い男を、不二子のように用心深く賢い女が、心の底から気を許し愛することは本当はないのでは、と思ったりする。


なぜならゲームを支配していたのはルパンで、その結果不二子は愛した男を殺すことになったわけで


プーンのように弱さのある男、女のために死ぬような愚かさと純粋さのある男の方が、女も純粋に愛せたのではないかと思うのです。


不二子に愛されるには、ルパンはあまりにも支配的で残酷で。

対してプーンは、ルパンよりも弱く愚かで。


ルパンの強さと賢さに救われる不二子だけども

プーンの弱さと愚かさはルパンにないもので

たとえそのために死んだとしても

だからこそ不二子の心のある部分を、ルパンが決して奪えない場所を、永遠に占め続けるだろうと思うわけです。


このドラマは、不二子の過去の男と今の男の対立という形で、ルパンの本性を暴いて見せていて

それは女という男たちの弱点でもある部分を通して描いているからこそ

その本質が他の勝負よりも露わになっている。


一人の女を通して、その女を失うという時に、どう豹変するか


プーンは不二子に縋り、不二子を失うぐらいなら共に死を選ぶことも厭わない程、自滅的な行動に出た。

ルパンは不二子を失うくらいなら、どんな手段を使ってでも、たとえそれが不二子に元恋人を殺させるという残酷さであっても、冷酷に相手を倒すことを選択した。


後年作者が「ルパンは今も燃えているか」でこのストーリーをリメイクしたのも、結末を変更したのも、ルパンがヒーロー化し善人化して行った時代の流れの中で、ルパンの冷酷さが際立ち過ぎていたのかもしれない。


この物語はもう一つの同時代の人気作・名作の「脱獄のチャンスは一度だけ」と共に、ルパン三世という男のある種の異常性や狂気を示す傑作となっていて、原作から薄めることなく注がれた原液のように、アニメ化というフィルターで何ら薄められることなく漫画の無軌道ぶりがそのまま発揮されている。

一見した所では、物語の深さをほとんどすくい切れないのは、PART5ととてもよく似ている。

けれど、それぞれのキャラの過去や交差する思いを一つずつ探ってみると、驚くほどドラマに満ちていて、一つ一つの行動に至るまでの人物たちの刹那に何度も思いを馳せてしまう。


作者のパンチ先生も案外この物語を思い返すことがあったのではないか、だからこそ、最後の最後で違うエンディングでリメイクしたのかな、と思ったりする。


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一人の女を争い合う闘いは、下手をすると女のヒロイズムを刺激し、とても嫌味な物語になってしまう。


昭和女なら「けんかを止めて~♪私のために~争わないで~♪」と古い歌謡曲のような物語になってもおかしくはなかった。

それがこの手の話を傑作にしたのは、女が死にかかっていたこと、その女がどちらかを撃つという結末(「殺し屋~」にしても「今燃え」にしても)だからこそだと思う。


少女漫画だったら、二人の男の争いを止めるために、女が傷を負う、犠牲になるという話にもなりがち。

そう考えると、片方の男を、自分のために争っている男を、命がけで自分を愛している男を、女自身が殺して決着を付ける話が、いかに昭和の女にとって稀有で奇特な物語かわかるはず。


この話が全く女の嫌味な話にならないのは、この話の結末が、恐らくそのテーマ自体が、女の過去との決別と自立の話になっているからではと思う。


また、不二子とプーンのように、お互い後を引いて心残りがあるような別れ方をした場合、元恋人が今の恋人との関係に入って来る、もしくはぶり返すようなことは一般人にもあり得る話で、プーンの話は極端なハードボイルドだけども、男女の色恋のもつれとして誰もが「あるかもしれない」と心から思える筋書きだからかもしれない。


これが他の回で飽きる程取り上げられているルパンや次元、五右エ門のような男共のとって付けたような過去女の話とは違って、「あるかもしれない」と心底思えてしまうのは、不二子が今まさにルパンと恋を始めようとしていたからで、新たな恋の始まりに、幸せいっぱいの時に、過去の清算の出来事がやって来るというのが、いかにも人生の妙を表していて、この物語を忘れがたい名作にしている。


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この話の結末の衝撃は何と言っても、負傷しお姫様抱っこされている不二子が銃を抜くという意外さ。

どこから銃を抜いたのか、現実的には恐らく不可能な態勢で、しかも瀕死の不二子が最後の力を振り絞って、ルパンを守るために銃を引いた。


傷つき抱きかかえられた不二子が牙を剥く。負傷した女という最弱な者が最後に敵を倒すという大どんでん返し。

まるで小さな子猫に引っかかれて致命傷を負うように、不二子を舐めたらどうなるかを、実は最もよく表した話でもある。


PART4「日本より愛をこめて」など、あえてそのことをテーマにした話よりもずっと不二子の真の怖さを伝えていて、作者のシンプルだけども核心を突いた話作りは、多くを語るような野暮なことをせずに、ただ人物たちの行動だけで伝えきっている。


この話は不二子だったけれども、弱者を舐めたらどうなるか。弱者や女性、少女に対して油断しがちな人間の心の隙を付いたトリックは、パンチ先生の漫画で似たような風刺が効いた話がよく出て来る。

たとえば、みすぼらしい宿屋の女主人が実は強欲な犯罪一家だったとか、セーラー服の女子高生が背中に刀を隠してたりとか。

人を見かけで判断してしまいがちな人間の心理。貧しい村人や少女のような油断しがちな相手が、実はこちらの命を狙う強者だったりするのは、原作漫画によくある話で、読むたびに人の業の深さを見せつけられ、弱者とは何かを考えさせられる。


「カリオストロの城」のモデルにもなった第11話の「7番目の橋が落ちるとき」では、敵が連れて来た得体の知れない少女を助けるためにルパンは奮闘するのだけども、あの少女が敵の味方でないという保証はなくて、これが原作漫画の世界なら、どうなっていたかなと思う。



ルパン三世の原作漫画をアニメ化した成功例として、また作品世界をさらに奥深く広げた白眉として、私は「殺し屋はブルースを歌う」以外にないのではと思っている。脚本、演出、全てにおいて、他の回とは比べ物にならないと思う。

過去のアニメシリーズでこの回だけを取り上げているのは、ほとんどこの回だけが考察に値する価値があると思っているのかもしれない。


たとえば「脱獄のチャンスは一度だけ」のような漫画をアニメ化した名作は他にもいくらでもあるし、アニメ用に作られたオリジナルの名作回も他にもたくさんあるだろう。


しかし、原作漫画から要素を引き出し、アニメオリジナルというわけでもなく、原作の余韻を残しながら、原作以上にルパンたちのドラマを押し広げた物語は、この回以外にないのではと思う。

だからきっと作者を唸らせ、そして最後に作者自らリメイクを望んだのもよくわかるのだ。

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