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元警察官の鍼灸師の自己紹介

自己紹介

奈良県学園前で肩凝り・神経症専門の鍼灸院をしております、川田代 信也(カワタシロ シンヤ)と申します。

妻とネコちゃん二匹(♂♀)、インドホシガメ♂とで暮らしています。子供はいません。

経歴と昔話

私は40歳まで大阪府警察で警察官として勤務しておりました。
階級は警部補まで上がりました。
一般的に係長といわれる役職ですが、自分的には充分頑張ったと思います。

仕事に不満は全くありませんでした。
むしろ、警察官であることに誇りをもっていました。
主に刑事部(盗犯係)で勤務していました。

しかし40歳の時に転機が訪れ
「もう一回違うことにチャレンジしたいな...」
と思い立ち、今に至ります。

私の父は鹿児島出身で、子供の頃からずっと
「お前は警察官になるんや」
と言われて育ちました。

父の言葉に疑問を持たなかったわけではありません。
しかし、中学を卒業と同時に実家を出て、大阪で料亭に弟子入りした料理人の父は、
「子供ができたら警察官にしたい」
とずっと思っていたそうです。

そんな父の希望を叶えてやりたい、という気持ちもありました。

高校卒業後、18で一度大阪の警察学校に入学しましたが、在学中に右脛骨骨折で全治六ヶ月の怪我をしました。

勤務外の怪我ということで、警察学校は条件付採用期間中だったこともあり、一度退職しました。

その後大学を卒業して24で再び大阪府警察学校に入校し、無事に卒業しました。

警察官になってから

卒業後は西成警察で交番勤務をしました。
その後大阪市内を転々と転勤し、退職に至ります。

その間は、刑事部や機動隊を経験しています。

巡査→巡査部長→警部補とそこそこ順調に昇任していき、結婚、新築マンション購入と順風満帆でした。

人生の転機

しかし歳を重ねるごとに
「オレ、ほんまにやりたかったことってなんやったんやろ?」
と考えることが増えてきました。

父の希望で警察官になり、自分もその仕事に誇りを持っていました。

それは間違いありません。

しかし、歳を重ねるごとに、先ほどの疑問が頭を掠める事が多くなってきました。

勤務中の夕方、ぼうっと外を眺めていた時にふと、
「そういや、昔鍼灸師になりたいって言うたら、親父とお袋にむちゃくちゃキレられたな...」
ということを思い出しました。

私は小学生の頃から
「警察官は柔道せなあかん!」
という父の勧めのもと、柔道をしていました。

その時に通っていた鍼灸院の先生が記憶に残っていて、高校卒業の進路を決める際、両親に
「鍼灸師になりたい」
と伝えると、二人から烈火の如く叱責され、取りつく島もなく却下された苦い経験があります。

当時は子供ですから、具体的に鍼灸師に憧れがあったわけではないのですが、自分なりに
「親のいいなりにばかりなるのはイヤだ」
という反骨の気持ちがあったのだと思います。

しかし、40を目前にして人生の折り返しに近づいた時
「誰かに雇われるのではなく、自分の力で生きていくには、鍼灸師がいい!」
と思い始めたのです。

妻の「あなたは何がしたい?」に後押しされて

その日帰宅後に、妻にその事を打ち明けると
「いいんじゃない?」
と承諾してくれたのです。

驚きました。

警察にいれば平均以上の安定した収入があるのに、それを手放そうとする自分に対して、妻は理由も聞かずに、
「やればいい」
と後押ししてくれたのです。

その後の展開は速かったです。

家を売る手続きをして、鍼灸の学校を見つけて、退職手続きをして...

あっと言う間でした。

そして、退職。

さぁ!新しい学生生活の始まりだ!
と思っていたところに、未曾有のコロナ禍が待ち受けていたのです...

続きはまた別の記事でご紹介します!

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