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#118 買い物依存症の話

昔から、うすうす気づいていたことではあるが、本格的にメンタルダウンしたここ数年で確信したことがある。

わたしは買い物依存症だ。

上京したての頃は、服とか靴とか鞄。
それまでおしゃれに興味がなさすぎて、めちゃくちゃダサかったから、というのもある。

幸いなことに、無知すぎてブランドにはこだわれなかった(マルイで買えばおしゃれ、くらいな感覚だった)のは不幸中の幸いだったと思う。

カメラをはじめ、今でいうガジェットの類には相当散財した。

女性ウケとか初心者向けを狙った、どこかナメた商品よりも、本格的なものやマニアックなものを好んだ。

他にも観葉植物、腕時計、クラフトビール、電子タバコなど、その時々で必ず散財の対象がある。

ここ数年は、ポータブルオーディオが関心の的だ。
昔から好きな分野ではあったが、コロナ禍以降は在宅(わたしは家でもイヤホンで音楽を聴く人なので)の機会が増え、これまで以上にのめり込んだ。

こうして書き出すと、こだわり派なんだね、というだけのようにも見えるだろうが、その動機の奥底には自尊心をモノで満たすという、わたしの悪癖があるのだ。

そう、悪癖だと思っていた。
みっともない自分が、みっともなくなるために、モノの魅力を借りてしまうのだと思っていた。
しかし、ここ1,2年でもっと根源的な理由があることを確信した。

お買い物をするプロセスが、気持ちいい。

あれこれ検討している段階から脳内麻薬が出始め、買うべきものを絞り込んでいく作業の中でドバドバになっていくのを感じる。

もちろん、ここで止めることはできない。
検討を終えた品物は、ほぼ間違いなく購入する。
そしてほとんどの場合、手に入れた直後から脳内麻薬の供給が終了する。
そうなると、次に買うべきものの検討を始めねばならない。

一般的な考えでは、十分に検討して満足できる買い物ができたのに、さらに買い物を重ねようとは思わないだろう。

もし多少の不満がある買い物だったとしても、必要を満たしてさえいれば、とりあえずはこれでいいかと納得して使うものだと思う。

しかし、わたしは違う。
からだが次を求めてくる。

ここ1,2年で気づいたというのは、脳内麻薬ドバドバのときに、鬱を忘れるからだ。

普段はいかにもセロトニン足りてませんというような死相でまくりのこのわたしが、お買い物モードのときにはなんと、希死念慮がない。

さすがに体力まで増える訳ではないが、頭がぼうっとするあの感覚が消え、冴えてる気さえする。

買ったものを大切にできているなら、まだ良かったのかもしれないが、それもできない。

腕時計なんて、TPO別と私服の系統別に揃えていたのに、Apple Watchを買ったら秒速で興味を失ってホコリかぶりまくってたな。
もったいないから、宅配で買い取ってくれるところに全部送りつけた。

極貧時代の自分が見たら、なんて思うかな。

「あぁ、やっぱそうなるよね」としか思わんか。

子供の頃から、お年玉を全部使うタイプだったもんな、わたし。

 
 
 

あ、そうそう。
貧乏以外の理由で買い物依存が止まってたとき、少しだけあったよ。
 
すっごい好きな人と付き合えてたとき。
まあ、デート代で使ってたけどね。

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