私が誰も推さない理由

国木田です。

今日のテーマはちょっと人によってはぶっ飛んで突き刺さるやつ。

私は誰も推さない。
その理由についての話。

まず、推すと応援はちょっと違う。
応援のより深い行動が推し活、みたいなところがある。
応援くらいならするかもしれない。できる範囲と、気のすむ範囲で。

こんな質問はどうだろう。
あなたが”推し”と呼ぶものに対して何かをして、得られるものはあるか?
そりゃ、相手は得るものが多いだろう。
人気、知名度の上昇。金銭面、精神面の充足などなど。

だが、あなたが得られるものは、一時的な心の余裕、安息。
それだけではないだろうか。
その誰かが有名になろうが、人気者になろうが、あなた自身は何も変わらない。
これにあなたは気づけただろうか。

こんな言葉がある。
推しは推せるときに推せ。

これこそ沼の入り口である。
永遠などあるわけないだろう。当たり前だ。
ただ、それはあなたも私も同じ。
人生は一度きりだ。そのために何をするのか。

自分には夢がある。
一般人としてではなく、小説家としてその生涯を全うすること。

そのために必要なものを選び、不要をそぎ落としていく。
技を磨くことが、その近道。
そのためにお金は使う。全部研究費みたいなものだ。

今思えば、道はとっくに決まっていたのかもしれない。
覚えとくと言われてすっぽかされた誕生日。
所詮、人ってそんなもんよ。

不要に金突っ込んで灰になるか、己のために金を使ってwikiに自分の功績を載せるか。

私なら後者を選ぶ。あなたは好きにしたらいい。
別に止める権利も義務もない、言いたいことを言っただけなのだから。

んじゃ、今回はこの辺で。

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