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脈ありサインは使い物になるのか

恋愛において、相手が自分にどのくらい興味があるかの見極め方を「脈ありサイン」という。
心理学などの科学の分野でも、人が興味を持った時、体にどういう反応が見られるか、は研究されている。
それ故に「脈ありサイン」は、科学的に信憑性が高いものから、ある人の恋のきっかけという実用性の低いものまで、多岐にわたっている。

こうした脈ありサインをしっかり見抜ければ、意中の相手と晴れて恋人になることができる。これは疑いようのない事実である。一緒にいたいという気持ちをしっかりと汲み取ってくれる人は、自分の良き理解者だと思うからだ。
だが、ひねくれ者の私は、ある疑問が浮かんだ。

「脈ありサインは当事者でも分かるものなのか」

ということである。

科学的な見地や、個人的な経験則から、ある人が好きだということが分かる。これは第三者や当事者が後から「冷静に」その状況を分析したからに他ならない。だが、実際はどちらか、もしくはお互いに緊張している者同士で、その場で考えなければならない。そのような状況で相手を客観的に見ることなど出来るのだろうか。

私の結論は、それは無理ではないか、というものだ。そもそも、好きな人を前にして冷静でいられる人は、果たして本当にその人のことが好きなのだろうか。冷静さを欠くから恋愛なのではないか、と素人ながらに思ってしまう。つまり、脈ありサインは、付き合い始めて互いが冷静になった後に、付き合う決め手となったのはどこかと後から判断したものではないだろうか。

これらのサインを覚えておくことが無駄だと言いたいのではない。何を考えているかわからない、どう思われているんだろうか、などの不安定な心地よさと緊張感を楽しむことこそ、おそらく恋愛の本質なのだと思う。
(私にはその良さは分からないが…)

女性は特に、好きな人を前にすると、自分に告白して欲しくて脈ありサインを出すことがあるらしい。私からすれば、それらの多くは非常に気づきにくいのだが、気づかないのは気づかないで冷める原因にもなってしまうらしい。女心は難しい…
だが、気づかないのはサインが分かりにくいからだけではないだろう。気づいてほしい側がその方を好きが故に、冷静さを欠いていて、ろくに相手を見れていない可能性が大いにあるからだ。つまり、脈ありサインに気付けるというのは、相手に恋しきれていない。

恋と好きには雲泥の差がある。好きという感情は恋心を持たない私にもある。両親は好きだし、友達も心から好きである。お酒もポルノグラフィティも、全て私の好きなものの一部である。

だが、おそらく恋とは好きが形質転換したものだろう。一例として、友人のエピソードを紹介しよう。

彼はその子と付き合う前、こんなことを話していた。
「その子が家に来たがっているんだが、どう思う?」
本来は喜ばしいことのはずが、彼の中ではあまり嬉しいことではないようである。どうも話を聞いていくと、「家に転がり込まれることが嫌」なのだそう。私はその時に「一度呼んでみたらいい。それで自分の逆鱗に触れるような人なら、いつか別れてしまうだろう」的なことを言った。その後、彼はその人と付き合うことになったのだが、現在では半同棲中である。

この実例から私は、恋とは、ある対象が好きすぎて、自分の価値観が変化することも恐れない状態なんだと思う。巷では、浮気のラインはどこからか、という話題も恋愛トークでは人気である。みんな自分が捨てられることに怯えているんだろう。多くの回答では、身体的接触がランキングの上位を占めている。だが私の回答は「相手の考え方が自分の判断基準の一つとなった時」である。これはパッとわかるものではないので、非常にウケはわるい。頭を使ってまでこんなことを考えたりしたくないんだろう。
だが、本当に好きになると、人はミラーリングを自然に行うようになり、いつかその人の分身になる。こうなると、他の誰かのもとに行きたいとも思わなくなる。自分の空間にいても気を使い過ぎることがなくなるためには、恋愛でのトキメキは捨て去った方がいい。

こういうことを言えば、極論として「テキトーにあしらえばいいんですか」みたいな事を言う人もいるが、テキトーにあしらってくる友人に心地よさを感じるならば、あなたはそういう判断基準でいいのかもしれない。人間関係の継続には多少の努力は必要であり、それを手間と思わない人が友達であり、パートナーである。

したがって、今回の結論は2つある。
まずは、人は、本当に好きな人に対して「脈ありサイン」を当てはめて、あたかも好きであると思い込みたい生き物なのであるということだ。
それで結果的に上手くいったなら素晴らしいことだと思うし、そうでなくても落ち込む必要はない。なぜなら、恋してるならば、判断ミスは必ず起こるのである。それに、相手は恋した自分に興味を持たなかっただけであり、もし仮にそういう人と結ばれても、近い将来ほどけてしまうだろう。

そして、恋愛で求めてきたようなトキメキは、幸せな生活とは関係がない。自分にとって完璧な恋人が、必ずしも自分にとって完璧な生活上のパートナーになるわけではないからだ。そのミスが発覚するのは何十年後も先になるかもしれないのだが、それが致命的だと気づいたならば、その時別れてしまえばよい。今までの寂しさを一瞬でも紛らわせることができたのなら、その人はあなたにとって大切な人だったと思うし、別れるということは、その役目を全うし、卒業する時が多少早まっただけである。決して恥じることではないと思うのだ。、

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