悟りについて❶

こんにちはー!

突然ですが、悟りとは、どういうものかご存知ですか?
一応、辞書では「迷いの世界を超え、真理を体得すること」と書かれています。

「迷いの世界」って何だろう?

ここでいう迷いの世界は、私の解釈では、人が人として認知できる現実界の全ての現象を指します。
人は、全ての行動において思考と感情を紐づけようとします。
この思考と感情は、一つの行動において、本来であれば決まっている行動という結果に対し、いくつもの道筋をたてて選択しようとします。
この選択こそが迷いであり、常に迷いながら生きているということです。
しかし、選択のない行動も我々は普段からしています。
この選択ない行動は、別名潜在意識と呼ばれるものです。
それは、心臓を動かしたり、日常の迷いのない行動、寝ている時に見る夢など。
この潜在意識と言われる意識とは別に顕在意識と言うものがあります。
顕在意識とは、日常で我々が選択をしているもの、その全てです。
例えば、歩くと言う動作においては、まず左足をあげて、感覚は60cmくらいで左足を下ろしたと同時に右足に意識を向けて・・・と言う感じに常に歩行に意識を向けている人は少ないでしょう。
この例で言うと、左足を上げて・・・と言う段階で、思考における選択をしています。
歩くと言う行為に対して、左足を上げるかどうか、それが思考における選択です。
大半の人が、歩行に対しては潜在意識の領域で行い、歩行中に何か別のことを考えています。
この何か別のことを考えることこそ、顕在意識の領域になります。
そして、我々は意識のある状態で思考を止めることができません。
即ち、この顕在意識の領域こそが迷いの世界となります。

我々は、普段から顕在意識と潜在意識を両方使い、日々行動しています。
しかし、顕在意識のみに負荷をかける状態があります。それこそが「悩み」
悩みとは、顕在意識で思考における選択によって答えの得られないものです。
答えが得られないが故、行動に移せないということです。

悩みというと、一見ネガティブ視されがちですが、実際は答えが得られず行動に移せない状態というものなので、悩み自体にポジティブもネガティブもありません。
それこそ、自分の願望実現に向けて色々と夢を描くという段階も悩みそのものです。

特にネガティブ視された悩みを解決するために人は、神に縋ったり、心理学や脳科学、スピリチュアルや宗教を頼りにします。
しかし、どれだけ探しても答えは見つからない。
つまり、悩みの本質を理解できないが故、さまざまな方法論を試し、余計に悩みを抱えるという負のループが起きています
そこで、悩みの多い人こそ真理を体得することが必要となるのですね。

真理の世界とは?

次に真理の世界についてお話ししましょう。
真理の世界という言葉や、悟りという言葉に対して、そんなに簡単に手に入るものじゃない!と、スピリチュアルや宗教の人は言います。
本当でしょうか?
ここからは誰を批判するわけではないので、あくまで僕個人の戯言だと思って読み進めてくださいね。

今の社会では、豊かさを手に入れるために手っ取り早い手段がお金持ちになるということです。
それに関しては否定しませんし、むしろ僕は心の底から、いくらでも欲しいと思っています。

この世でお金を稼ぐ手段として、シンプルなものを、複雑にするという手段があります。
材料自体はシンプルだけど、手間暇かけて複雑なレシピを考え、付加価値というものをつけていくのが、僕の仕事である飲食店です。
Tシャツを一枚売るにしても、無地のTシャツなら原価そのものかも知れませんが、有名なブランド名が入るだけで付加価値がつき、原価の何倍もの価格で売れたりしますよね。
というか、本だって作家さんが本当に伝えたいことはせいぜい千文字くらいなのに、やたらと長い前置きや例え話を使って付加価値をつけていますよね。

つまり、付加価値というものを使えばお金を手にすることができる訳です。

それでは、宗教の付加価値とは何でしょう。
本来教えを説くだけならば、公園で人を集めればいいでしょうし、むしろ教えを書いた紙を配るだけで良さそうです。
しかし、立派な宗教施設を建てたり、常に新しい教えがあるかのように新聞を配ったり。
その付加価値とは何でしょうか?
答えは「神妙さ」です。
神妙とは、人智を超えた不思議なことと辞書に書いてあります。
つまり、いかにも崇拝の対象となるような像を作り、いかにも凄そうな人が教壇に立ち、教えを振る舞う事が付加価値そのもので、教えの元となる真理自体はどの宗教もほぼ一緒です。

そして、どんなビジネスでも付加価値だけでは存続ができません。ブームに乗っかってタピオカ屋さんを始めても、ブームが去れば何も残らないでしょう。そこでビジネスとしてリピーターを獲得するということが大切になってきます。
飲食店では、お客さんに気に入ってもらえる様、味はもちろん、盛り付けや皿のチョイス、笑顔の接客や新商品を定期的に出したりといった、一度来たお客さんがもう一度来たくなる様な飲食店になることを目指しています。
一説によると、全体の2割の顧客が8割の売り上げを作っていると・・・つまり、リピーターが最も重要ということです。

例えば卑怯な整骨院はどうでしょう?
とても愛想がよく、お店の作りもお金がかかっていて清潔感に溢れている様な整骨院があって、多くの人が通い、中には顔馴染み同士で会話が盛り上がっています。
お客さんに話を聞くと「もう30年もお世話になっているのよ。」
・・・
もう30年も通われていて、まだ治らないんですか!?

つまり、こちらの整骨院さんは、もう一度来たくなる様な接客とお店作りで、リピーターを集めるビジネスをしています。
しかし、お客さんが本当に望んでいることは、痛みからの解放ですよね?
僕が通う整骨院さんは古い作りで、行列こそできるものの、窓口で診察券を出すお客さんよりも新規さんが多いようなところです。
僕が通うと言っても、数年に一度、ぎっくり腰で仕事に支障をきたす時に行って、その後通っても3回くらい、あとはすっきり治ってしまうので、何年も通うなんてことはありません。

「整骨院+マッサージのお店」という名前なら納得できますが、お客さんが求めるものと、整骨院が求めるリピーター獲得をごちゃごちゃにしたようなビジネスは、どうかと思いますよね。
整骨院を始め、病院や歯科など、治癒系のビジネスが最も儲かる手法は「生かさず殺さず」です。笑
治してしまうと、リピートによる収益は無く、かといって全く治さないと、評判が悪くなり・・・もう一度来てもらえる程度に治すことが一番儲かりますねんってお話しでした。

と、まぁ今ではこんな治癒家さんも少なくはなったと思いますが、果たしてこれが宗教となるとどうでしょう?
本来「真理」とはとってもシンプルなものです。先程もお話ししましたが、ここに神妙さという付加価値をつけたものが、宗教法人です。
その付加価値の中でも、最も卑怯な付加価値が、原因となった事象と、その答えが自分の外にあるという教えです。
「あなたが苦しいのは、動物を食べたからだ」
「あなたが苦しいのは、前世のあなたのカルマがのしかかっているからです」
「あなたが苦しいのは、神を冒涜したからだ」
「あなたが苦しいのは、あなたのことをよく思わない人の生霊のせいだ」
「あなたが苦しいのは、神が今、あなたに試練を与えているのです」

これらは全て自分の外に答えを導き出した結果で出てくる教えです。

確かに、何の知恵も持たず、ただ今苦しんでいる人を救う上で、方便としてこの様な言葉を使うことは悪いとは言いません。
しかし、その言葉によって救われ、さらに、その言葉で他の誰かを救おうとする人は、その過ちにすら気付きようがないのです。

答えが外にあるという解釈で、真理を語ると必ず他と比べる対象が生まれます。
宗教に階級があるのもこのためですし、特定の神を崇めようものなら、そこには必ず悪と呼ばれる対象的な存在があります。

本当の真理というものは、そこに教えとか、こうなるべきといった道筋は存在しません。
ただ、この世界を、そしてあなた自身を構成するシステムが存在するという、ただそれだけのことなのです。

それでは次回、真理そのものの、至ってシンプルなシステムについてお話ししたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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