自分の「動詞」はなんだろう?
GUCCIのスーツケースと、あきやさんのシンボル的に見ていたトートバッグとの組み合わせのパーフェクトさに揺すぶられているRhinoです。そもそも同じブランドなんだからもちろん!なわけだけど、なんか良いなあ、組み合わせでよりらしさが増すなんてすごいなあ、いいなあと眺めていました。
スーツケースを買った話もふむふむと読んだのですが、この揺さぶられない「動詞」がある、という話が面白かったです。
この「自分で決めちゃうから✌」というのが、私の中で「あー、なるほどー」x∞ みたいに響いております。
たぶん、ちょっと違うかもしれないけど思い出したことを少々。
学生のころ、別に職業にしようとは思っていなかったけど割りとまじめに楽器を習っていて、プロのCDを色々聞いて、この音もいいなあ、この音は自分とは違う方向だけどいいなあ等とどんな音を目指そうか…などと楽しく考えていました。
ある日、非常に腕の良い後輩(お父様がプロの方だったので、経験年数がスゴイ)と話をしていて、なにげなくどんな音が好きなのかと聞いたら、「え?自分の音は自分の音じゃないですか?」とあきれた顔で言われたのです。今考えてみれば彼なりの思いがあってなのかもしれないし(お父様と比べられるとか)、別にこちらを非難したつもりはなかったのかもしれないのだけど、その時「あー、私はこのことについて自分の芯がない」と思ったのです。まあ才能もあるわけではなかったのだけど、ちょっと自分にがっかりしたのをよく覚えています。
では私の動詞は?
現在の私の職業(研究するお仕事)から考えると、たぶん「問いを立てる」というのが一般的な回答なんだろうなあと思います。動詞じゃないと思うかもだけど、英語だとたぶん該当する動詞があるよね?
では自分の「問いを立てる」ことに揺らぎがないか?…うーん、おおむねそうかもなあ、色々気が多いけど(笑)。あまり他人に相談しないし、話すと きは自分の中の問いの整理のためが多いし。
あと、上の楽器の話ではないけれど、他人がどのような問いを立てているか、とかどんな仕事をしているかにあんまり興味がない(職業的には🙅ですけど)。自分の中にあるなんの根拠もない基準が割とはっきりしてるのはその通りかもしれないです。
職業人としての自分の向き不向きはよくわからないけれど、さらに解像度をあげて考えるのなら、割と揺らがないのは「観察すること」それも360度グルグル回して見る。あーでもないこーでもないと見る。これかなあ。
仮のコンセプトとして考えている「面白がり屋の旅人」はこの動詞にフィットするかわからないけど、職業の要素は旅人じゃなくて面白がり屋なところが、我ながら変なのと思ったのでした。
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