結局、本で得た知識よりも人からの承認のほうが大きい
一人の一言によって、「私」というフィルターを通して観る世界が変わった。他者からの承認は計り知れない力がある。
自分のことを自分で支えるのに必死だった。
”仕事ができなくて職場に迷惑をかけている。私などいないほうがマシだ。私は生きている価値がない。だから死にたい”
と思っていた時期がある。
言葉にすると「いやいや、死ぬ必要ないでしょう」と思えるのは、自分を支えるためにいろんな知識を得て、いろんなことを自分に言い聞かせたからだ。
迷惑をかけてはいけないなんてことないし、仕事の生産性だけで人間の価値を決めるような窮屈な世界ではないと本から学んだ。
仕事を辞めてからは本当に素晴らしい日々を過ごしている。誰にも迷惑をかけない。散歩しているだけで景色が輝いて見える。好きにやる勉強は楽しい。友達とはより遊ぶようになった。
それでも時々虚しさは襲い掛かる。
ニートは誰の役にも立っていないとか、友人にとって私は代替できる友人のうちの一人でしかないのではないかとか、過去に交際していたとき彼にとっての私は「私」ではなく、代替可能な「彼女」にすぎなかったんだろうとか。
1ヶ月に1度くらい訪れる「生きている価値を認められない孤独感」を紛らわすかのように、私は頻繁に住む場所を変えた。
―――
住む場所を変えてから2回目、紅葉が美しい観光日和。一緒に街を回りませんかと元職場の人がいうので一緒に出掛けた。
あれだけ迷惑を掛けて職場を飛び出したのに仲良くしてくれるのは本当にありがたいことだ、と思った。
そして帰り際、貴方が好きだ、と言われた。
何度も否定しようとして揺らいでいた「生きている価値のない自分」というものは実際には存在していなかった。
私は仕事はできないし、職場では迷惑をかけっぱなしだったけど、仕事の評価や生産性だけが人の価値を決めるものではなかった。
他者からの直接の承認は計り知れない力がある。
私がいくら本で学び、自分を認めようと納得させてきてもグラグラと揺れていたそれが、一瞬で落ち着いてしまった。
その日以来、自分がどんな行動しても、「たぶん独りにはならないだろう」という見方ができるようになった。安心感があると挑戦するのもあまり怖くなくなる。
結局最後は人の助けが必要なんだなと思った。
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