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なぜ夜を選ぶのか

今日はナイチンゲールの誕生日で
「看護の日」なので仕事の話をしよう

私は療養型の病院に勤めている
急性期とは違い
ドラマのような人命救助や緊急オペなどとは
程遠い世界にいる

簡単に言うと
急性期の病院に運ばれて
状態が落ち着いたものの自宅に帰ることはできない
そんな高齢者の方が来る病院で

認知症がひどくなった
体が動かせなくなった
家にみれる人がいないなど
自宅や施設に戻れない理由は様々だ

そして最期を看取ることが多い

訳あって30代半ばから専門学校へ通い
資格を取って働き始めたので
職歴としてはまだ10年に満たない(年がバレちゃうね)

それでもその間に何人の人を看取ったか

人の最期

どんなものを想像する?


いや、そんなこと
知らなくてもいいんだ
親戚や親、血の繋がる人の最期くらいでいい

夫の病気による収入激減から
夜勤回数を増やしてもらっている
と言っても
実際に夜勤がいつでもできるというスタッフは限られている
女性の多い職場だ
子育て中のスタッフには夜勤は無理
単にやれる人間が減ってしまったのも
タイミングが良かった

ここ数年、月に8回程夜勤をしている
日勤に出るよりも多い

その中で感じること

どうして最期の時に夜を選ぶのか

そう思うほど夜勤帯に亡くなる人が多い
療養型であるうちの病院では
夜勤は看護師1人と介護さん1人の
2人しかいない
当たり前だけど看護業務をするのは看護師1人となる

夜勤帯のお看取りでは
最終的な退院時の見送りをする人間が
私と事務的に鍵を開け閉めしてくれる当直男子のみ

人が何十年と生きてきて
生命の全ての動きを止めるその瞬間から
次の場所に送り出すその時まで
家族はもちろんいるが
その家族が最期の時に間に合わない場合もある

そんな時私1人がその人の最期を見届ける
そしてその後訪れた家族と
その人には縁もない当直の医師とともに確認を行う

外に出て葬儀屋さんに引き渡すその時
辺りは暗く誰もいない
私1人が深く頭を下げ見送る
その人を乗せた車が見えなくなるまで
深く深く頭を下げる
人1人が人生を終えたまさにその後を
私1人が見送る
そんな寂しいことがあるだろうか

これが昼間なら
病棟スタッフ、リハビリや主治医、相談員
たくさんの人に見送られるのに

どうして夜を選ぶのか

ある日の夜勤では
上の病棟で続けて2人がお看取りだった
私の病棟にも
そろそろだからと
呼んだ家族が付き添っている

それでも2人のお看取り時の対応を
時間差とはいえ看護師1人で行うのはさすがにきつい
これまで勤めてきても
1回の夜勤で2人看取った記憶は数回しかない

当直男子からそのことを聞き
できることがあれば、と
自分の病棟を介護さんにお願いし
1時間ほど手伝いに行った

他病棟なのでできることも限られる
それでももう1人いるのといないのでは
きっと違うだろうと
できることだけして自分の病棟に戻る

そして夜が明ける少し前
私の病棟でもお看取りになった
お見送りは私1人
その日も深く頭を下げ暗い中送り出す
その後は通常の業務に追われてしまい
思い出話のひとつでもしてあげられたらと思うのに
そんな時間さえ無い

一晩で3人

葬儀屋さんが今晩は他でも多いんです
とこぼした

全てを覆い尽くす黒い夜の引力に
弱い存在は飲み込まれてしまうのか
それとも
人知れず静かに旅立ちたいと思うのか

結局のところ
意思を持って最期を迎えられるわけでないと思うが
暗闇の中のお見送りは寂しい
真冬や雨の日の夜にはさらに寂しくなる

夜を選ぶその理由
その時が来たら分かるのかもしれない

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