約束の未来~Re:set~・終
エピローグ
「紅~!! 記章つけてる? 大丈夫?」
「大丈夫よ、なんでお母さんがそんなにオロオロしてるの」
当の本人よりも焦る母に笑っていたら。
「ねえ、記念写真撮らない?」
「いいよ」
もじもじと恥ずかしそうに提案してきた母と記念撮影、どうせまたリビングに飾られるんだろうな、恥ずかしい。
入学、卒業の度に撮影してきた母との記念写真。
その中の一枚、高校の入学時のは記念館で撮ったもの。
めちゃくちゃ恥ずかしかったのを覚えてる。
母の方がいい笑顔だもの。
縁側にカメラをタイマーでセットして二人並んで笑顔。
母は普段着、私はガチガチのリクルートスーツ。
もう少し良いものを買いなさいと母は進めてくれた。
でも今はこれで十分。
欲しくなったら、この先自分で稼いだお金で少しずつ揃えればいい。
それよりも初任給で、母と二人居酒屋にでも行ってみたいと思っているのは、まだ教えてあげない。
涙脆い母が泣いちゃうから。
「あれ?」
長いこと誰も住んでいなかったお隣さんのドアが開いていて、引っ越しトラックが止まっている。
「どなたか引っ越してくるみたいね」
私が高校生の頃だから、もう九年も昔。
仲のいいご夫婦が二人で暮らしていたけれど奥さんが病気で亡くなり、しばらくしてご主人も家を引き払い引っ越してしまった。
以来時々清掃が入ったりはしていたけれど、買い手がつかずずっと空き家だったのに。
なんだろう? 突然、ズキンと胸が疼く。
「あ、ホラ、もう時間よ、行かないと」
「うん行ってくる」
「緊張しないで、頑張るのよ」
「頑張るのは先輩、今日は法廷に慣れに行くの」
母の祈るような目に「いってらっしゃい」と見送られて駅までの道を少しだけ早足で背筋を伸ばして歩く。
駆け出しの弁護士、まだまだひよっこで勉強の日々。
大学卒業後、司法予備試験に合格、二十五歳となった今年晴れて名前だけは弁護士という肩書になったばかり。
弁護士を志したのはある時自分の倫理観が変わったことが起因する。
高校一年生の冬に私は高熱を出して寝込んだ。
それまで小さい頃からの夢は貧乏脱出のために裁判官になること。
でも高校生になり母の働く保育園でボランティアをして保育士もいいな、なんて思っていた頃だ。
一週間ほど続いた原因不明の高熱が治まり、それから少し私は変わった、と母は言う。
小さい頃から、日々のニュースを日課として見ていたのだけれど、見方がハッキリと変わったのは高熱後からだ。
どうしても納得できない判決を見るにつれて、本当にそれで良いのか?
もっと違った判決があってもいいのではないか、全てが悪ではないのではないか、と。
むくむくと湧いてきた想いが募って高ニの冬、母と担任に告げた。
「弁護士を目指したい」
うちのお財布事情もあるし、司法試験予備試験を受けようとも考えたけれど勉強不足は否めない。
先生や母も無理はせずにと、大学への道を進めてくれた。
母は、それぐらいの蓄えはしているから、と笑顔で。
そうして、まずは法学部のある国立大学を目指し、今に至る。
働いている法律事務所の先輩と待ち合わせた地方裁判所前。
そんなに大きな裁判でもないのに結構な数のマスコミが押し寄せているのに驚いた。
「一ノ瀬さん、おはよう」
マスコミに追いやられ端っこにいた先輩の木崎さんとようやく合流。
「おはようございます、木崎さん。本日は木崎さんのお力じっくりと見せていただきます、勉強させて下さい! よろしくお願いします!!」
頭を深く下げた私に慌てたように。
「プレッシャーかけないでよ、そんな難しい裁判じゃないんだから」
「でも」
と私の目が周囲のマスコミを見回したのを見て。
「ああ、ね? 派手だよね。何やらアメリカのハーバード大学を十八歳で卒業して日本の司法試験も軽くパスしちゃった天才くんの裁判長デビューらしいよ、まだ二十五歳だって」
「ええっ? すごすぎる!! 私と同い年って、……天才すぎますよね」
「ちょっと一ノ瀬さん、それ嫌味? 一ノ瀬さんだって十分天才でしょ、オレなんか二十九歳だよ記章もらえたの」
苦笑した木崎さんの胸にも私とお揃いの『自由と正義』を表す向日葵バッジ。
いついかなる場合にも、『自由と正義』を求め、『公正と平等』を期すという弁護士の理念。
それにしても騒がしい。
まるで芸能人でもやってくるみたいだ。
今回の裁判の事件に関わる資料のみ頂いていて、その他は全くわからぬままでやってきたけれど。
そんな有名人の裁判長デビューにお目にかかれるなんて、ラッキーだったかも。
面白い、勉強させてもらおう。
ワクワクした思いで木崎さんと共に裁判所に入ろうとした、その時だった。
突如カメラのフラッシュが激しくなる。
一台のタクシーに向かってそれは焚かれていて、それが裁判所前に横づけされると、尚一層マスコミたちがざわめき出す。
降りて来たのは本当に若く、でも一目で切れ者だというのがわかるスマートな身のこなしの男の人。
一見柔らかそうな笑顔を浮かべてるけど腹の底が見えない感じ、目線もそう、優しそうに見えながらも鋭くて。
大勢のマスコミに一礼して、その中を縫うようにこちらに向かってくる。
高身長で端正な甘いマスク。
「頭も良くてイケメンって何だよ、やってらんないよ」
ハハッと乾いた笑いを零した木崎さんの感想に同意。
神々しいまでのオーラを放っているように見えて、彼から目が離せなくなる。
立ち止まってしまった私たちを一瞥し、彼が足を止めた。
彼の視線が私に止まった刹那、右の肩が熱くなる。
私の肩にある時計模様の小さな赤い痣が、疼くように痛く熱く。
こんなことは今までになくて咄嗟に右肩を抑えたら。
彼がふっと微笑んだ。
微笑みながらこちらへと歩いてきた。
「本日はよろしくお願いいたします」
木崎さんと私に丁寧に頭を下げるから、こちらも改まって頭を下げた。
一瞬、時間が止まったような気がした。
全ての音が消え、私と彼だけが動いているような錯覚。
さっきまでの捉えようのない仮面の笑顔が外れて。
昔からの知り合いを見るように、親し気に目を細めて笑った彼は。
「一ノ瀬紅さん、お互いデビューの日ですね! 頑張りましょう」
遠い昔聞いたことのあるような心地よい声。
胸の奥が苦しくて、だけど心地よい疼き。
記憶の奥底で何かが、チカチカと光ってる気がした。
あれ? 私の名前? 知ってるんだ? デビューの日だってことも?
驚き目を見開いた私の耳に、またざわめきが戻ってくる。
後程法廷で、と去っていく彼の爽やかな残り香を私は嗅いだことがある気がする。
「蓮城 碧裁判長が今裁判所に入っていきます。二十五歳、史上最年少での裁判長デビューです」
れんじょう あお、初めて聞く名前なのに何だか懐かしい。
「一ノ瀬さん行くよ」
「あ、はいっ」
マスコミのフラッシュが眩くて一瞬目を閉じる。
瞼の裏、彼の笑顔が焼き付けられていた。
約束の未来~Re:set~・終
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