約束の未来~Re:set~⑦
第二章 間違い探しの日々②
中間テスト勉強、やるだけのことはやった。
学校に向かう途中、グルグルグルグルと頭の中で、数式と英単語が無限ループしてる。
今回のテスト範囲どころか、何なら中一までも遡って苦手な箇所をしらみつぶしにしたし、自信のない問題も、似たような例題を自分で作ってまで復習し尽くしたとは思う。
なのに――。
湧かない自信、それどころか、絶対に勝てないんじゃないかって不安になる元凶が私の顔を覗き込んできた。
「顔色、悪くない?」
見透かされたようでギクリとする。
「そう? ちょっと夕べ遅かったから」
焦っている自分なんて、碧にだけは絶対に見せたくない。
あくまでポーカーフェイス、法廷じゃお得意だったもの。
今までの人生は全て思うが儘だった。
勉強なんかしなくても、いつだって私は一位。
二位だったら、戻ればいい、何度だって戻って一位になればいい。
失敗を取り返す能力があるのは誰よりも有利。
正直周りの子たちが必死に勉強している様が滑稽だな、とすら思っていたこともある。
だって、どう頑張ってもあの頃の自分を上回る人はいなかったんだから。
けれど、今の私はまさに、自分が見下していた子達と同様に、必死なのだ。
努力なんて、私が最も無駄なものだと思っていた。
なのに、あの頃、かっこ悪いってバカにしていたものを、今は全部やっちゃってる気がする。
「碧は勉強してたの? 中間に向けて」
「当たり前じゃない?」
私の問いかけに涼しい顔をしたまま、苦笑する碧に驚いた。
「碧でも勉強するんだ」
「あのね、普通の人間は勉強しないとこんなに成績良くはならないよ? 紅じゃないんだから」
「だって碧は普通じゃ」
「普通だよ? あの能力以外は。 紅みたいに不正しなかったし」
うっ、言い返すことができない。
「あ、でも、紅のおかげで大分頭良くなったかも」
「は?」
「だって誰かさんが時間巻き戻すから、オレ何回もテスト受けさせられてたし」
何も言い返せずに悔しさで顔を歪めてしまうと、碧が不敵の笑みを浮かべる。
「でも、今日こそ負けないよ?」
「私も、負けるわけには行かないから!」
いいじゃない、受けて立つ!
『紅、頑張って!!』
出勤時にサムアップとウィンクしていった母の笑顔を思い出したら、絶対に負けられないや、って思ったんだ。
地獄の中間テスト期間を終え、何となくお腹周りが心細くなった気がして体重計に乗ったら二キロも減っていた。
思春期の女の子がダイエットもしていないのに、短期間でこんなに減るなんてよっぽどのことだ。
それくらいのストレス下の中、私はテストを無事に乗り越えたのだ。
約五問を除いて……。
自己採点で最初に数学で間違いを見つけた時は『まあ、一問ぐらいは』と、まだ余裕だった。
なのに、他の教科をチェックしていくと全教科で五問も。
英語に、二問の間違いを発見しちゃった時にはショックすぎて涙目だった。
それとなく碧にどうだったのか、と聞いたら 「紅はどうだったの?」と逆に聞かれてしまって。
「まあ、いつも通りじゃない?」
と、見栄を張るしかなかった。
大人なのに子供みたいな真似をしている自分が、最近とても増えてきている。
恥ずかしい、めちゃくちゃ恥ずかしい。
これで碧に負けていたら笑われるな、と結果がわかる今日は学校に行きたくなくて仕方なかったのに――。
「一ノ瀬、今回もよく頑張ったな! 蓮城と同率首位だぞ」
男子の方が先に成績表を渡されていたのだから、碧はもう知っていたのだろう。
成績表を貰って席につく間に碧を見たら、口元だけで笑ってる。
その顔見ると悔しさが滲んでくるんだけれども。
それよりも内心は。
『どうしよう、一位だって!』
取り慣れていたはずの一位がこんなに嬉しい日が来るなんて!
本音を言えば今すぐ母に電話をして、この成績を教えてあげたくもなる。
でも、会って直接伝えたいし。
そうだ、帰りに保育園に寄って行こう。
まあ、もういつも通りだし、母にとって今更私の一番なんか当たり前のことかもしれないけれど、でも、私にはそうじゃないんだ。
こんなに嬉しいってこと、私が誰かに聞いて欲しい。
自分の実力で勝ち取ったこの成績を。
だから、昇降口で碧と一緒になった瞬間に。
「今日はちょっと母の仕事場に行く用事があるから」
なんて馬鹿正直に言ってしまって。
ふうん、なんてちょっと楽しそうに笑っている碧から恥ずかしくなって早足で逃げた。
絶対気付いてる、あの人!!
私が成績を報告するために、母の元へ行こうとしているって。
フェンス越しに覗くと、園庭には子供たちがいっぱいで、夕方の涼しい時間のお外遊びのようだ。
母が仕事をしている姿は、用事があってここに訪れない限り、見ることがない。
小さい子たちがわらわらと、笑顔の母の後をついて歩いているのを見つけた。
一ノ瀬 知恵、ちえ先生は昔から割と人気の保母さんだ。
とにかく優しくて褒め上手だから、困ったことがあると皆ちえ先生のところにやってくる。
私の視線に気づいたのかふと顔を上げた、ちえ先生は笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
「おかえり、紅」
「ただいま、ちょっと近くを通りかかって」
……ああ、素直じゃない。
言い出せずにどうしたらいいか困っていると母の方から。
「どうだった? 今日、中間テスト成績発表だったんでしょ?」
「うん、えっと」
鞄から出した成績表をフェンスから通せるように丸めて母の方へ。
今までこんな風に渡したことなんかなかったからドキドキして、うまく丸められなくてアタフタしちゃったけれど。
それを受け取ってゆっくり眺めていた母が、目を細め笑顔になる。
「もう、本当にすごい!! すごすぎてお母さん毎回泣けてきちゃう、どうしてずっと一位を取り続けられるの? 二位でも三位でもいいのに、何でそんなに頑張れちゃうんだろう、紅ってば」
と、本当に涙浮かべだしちゃって、お母さんの周りにいる子供たちは「ちえ先生どうしたの? 痛くしたの? 大丈夫?」なんてざわついちゃってる。
「あ、そうだ。園長先生もいるから入り口からおいで、紅」
「え? や、あの、すぐ帰るし」
「いいじゃない、園長先生会いたがってるよ。それに、今ちょうどね、他の先生たちが手一杯で。お願い、手伝ってくれない?」
ふと見降ろすとフェンス超しにわらわらと集まっていた子供たちが笑顔で私を見上げていて。
「ちえ先生、このお姉ちゃん誰~?」
「え、っとね、コウ先生だよ」
「コウ先生? あそぼー、ブランコしよー」
「ええ? ボクとおすなばであそぼう? ねえ?」
多重放送状態であちこちからあそぼーコールだ。
「夕飯、今日作れないよ? いいの?」
「いいよ、帰りにどこかで食べよう」
母の誘いに頷いて、私は久しぶりに保育園へとお邪魔したのだった。
「紅ちゃん、疲れちゃったでしょう? 子供たちと遊んでくれてどうもありがとう」
汗だくになった私に麦茶を出してくれる園長先生。
そういえば、子供と遊ぶのって大変だったな、と思い出した。
小学校中学年頃から中一くらいまで、何度かここで子供たちの相手をしたことがある。
折り紙が得意な私は、子供たちのちょっとしたヒーローだった。
すごいね、と尊敬されるのが嬉しくて、来ていたような気もする。
母は、後数人お迎えの来ていない子たちとお絵かきをしていて。
私は職員室で園長先生とお話。
事務仕事で残る他の先生方のお邪魔をしないように小さな声で。
「あ、園長先生。この間は美味しいケーキ、ありがとうございました」
と頭を下げた。
「紅ちゃん、すごいねえ! ずっと学年一位なんでしょう?」
「え、ちょっと、やだ!! お母さんってば」
恥ずかしい、なんで、さっきの成績表を何故園長先生が持っているの?
きっと母がはしゃいで見せちゃったんだろう……。
「ちえ先生ね、いつも紅ちゃんの自慢ばっかりしてるの。うちの娘は頭がいい、何といっても美人だし。最近はそれだけじゃなくて家のことまでしっかりやってくれて、多分お料理なんか、私よりも上手になってきてる、ってね」
聞いている私は、真っ赤になっているだろう、頬が火照る。
もう、お母さんったらただの親ばかじゃん!!
「紅ちゃんが頑張っているから、私ももっと頑張らないとって。最近は前よりも忙しく頑張ってくれちゃってるの、ちえ先生」
私が頑張ってるから、その言葉に胸が痛む。
違う、私じゃない。今までの私は、何も頑張ってなんかいなかったよ。
いつも頑張っていたのは、お母さんの方なのに……。
「紅ちゃん?」
黙ってしまった私を園長先生が覗き込む。
何でもないです、と微笑んで首を横に振った。
「子供たちと遊ぶ紅ちゃんね、ちえ先生の若い頃そっくりだった」
「え!?」
誰からも母に似ているなんて言われたことがなかった。
「ちえ先生みたいに、子供たちよりも楽しそうに遊んでるんだもの」
園長先生のその言葉が今日の成績発表よりも嬉しい、なんてことは、母にも碧にも誰にも内緒だ。
母みたいにはなりたくない。
そう思っていたはずのに。
中学三年生の秋から冬、そして春にかけてなんて、あっという間だ。
特にこれといってイベントもない、いやあってはならない。
なぜなら、『受験生』だからだ。
一度目の人生、あの頃の私は、こんな風に夜遅くまで勉強なんかしていなかった。
図書館から借りてきた受験とは関係のない本を、他の受験生が勉強している時間に、読み耽っていた日々。
それに少しだけ優越感を覚えていた。
周りは皆、セカセカと学校でも家でも勉強しているんだろうなって、その張りつめた空気をどこか他人事のように冷めた目で上から見下ろす。
高みの見物、私は美味しいところだけをパクリと頂いた。
何の努力もせずに首位合格までして、自分の人生のレールを高みへと昇らせていく。
それは、とても楽な道だった、けれど――。
少しずつ自分の中にズレが生じている。
もしも特殊能力を封じられないままで、十年をリセットされていたら、私は何の躊躇もなく前と同じように自分が楽な方を選んでいただろう。
でも、知ってしまった。
誰かと関わって生きていく、ということを。
特殊能力を使えないでいるからこそ、気付けたのか。
いや、リセット前は、気付かないフリで生きていたのかもしれない。
例えば母との関係。
母は変わりなく、ずっとずっと私に優しい。
貧乏が嫌で、鬱陶しいほどの愛を向けられるのが重たかった。
いくら働いたって生活は楽にならず、本当は辛いのに何でそんなに頑張るのか。
母に描いていたその感情は、二度目の人生の中で少しずつ薄らいでいる。
貧乏なのも変わりはないし、家計に負担はかけたくないから前と同じように、公立高校を受験するつもりだ。
一度目はただ、育ててくれた義理だけでも返そう、と裁判官になった後は、援助をしていただけだった。
二度目も、やはり裁判官になることを望んではいても、義理や援助とは思わない。
母に楽をさせてやりたいという気持ちが芽生えてきてる。
友達ができたこと、これも想定外だ。
できるわけがないと思っていたのに、気付けば残りの中学校生活、ミズキたちは日々私の周りにいた。
それだけで学校というものが、ただの勉強を学ぶ場ではなくて、楽しいものであるような気もしてきて。
自分では気づかなかったけれど「紅ちゃんって笑うとかわいいんだよね」と言われて始めて『私笑ってるんだ!?』って驚いたりもした。
碧との関係性も一度目とは驚くほど変わっていた。
碧はこれを望んでいたのだろうか?
私と同じように不安な目をした人ごみの中で、碧だけが自信に満ち溢れているように見えた。
他の人から見たら、私も碧のように見えているのかもしれないけれど、それはいつものようにポーカフェイスを決め込んでいるからだ。
きっと大丈夫、やれるだけのことはやったし、自己採点でも合格ラインは超えていた。
トップ合格ができたかどうか、そればかりはわからない。
でも今はそんなことよりも受かっているかどうかが大事なのだ。
1227、1227、1227。
心の中で呟いた数字は、たくさんの数字の羅列の中で浮かび上がるように私の目に飛び込んでくる。
「や、った……」
誰にも聞こえないほどの呟きと、ちっちゃな握りこぶしでそっとガッツポーズ、心に湧き上がる感動を必死に抑え込んだ。
知らない人ばかりの中で体裁を崩さずにいるけれど、すぐ隣で泣くほど感動している人のように、私も飛び跳ねたい気分ではあれど、できない。
それは、合格発表に碧がいるからだ。
この小さなガッツポーズでさえ、碧には見られたくなかったというのに、どうしてこうタイミングが悪い?
私のそんな瞬間をじっと見ていなくてもいいだろう?
……時間よ、戻れ、ガッツポーズ取る前に。
と、念じたところで戻るわけないのはもう知っている。
人ごみの中でこっちを見ている碧が口角だけあげて笑っているのはとっても腹が立つ。
パッと踵を返して合格通知を受け取るために、職員玄関へと急ぎ足になる私に碧も並びかけてきて。
「おめでと、紅」
「ありがとう、……碧もおめでと」
「ねえ、さっきさ、ガッツポーズしてたよね?」
「誰と見間違えてるの? 私がするわけないでしょ」
ああ、今こそ拳を握りしめて、そのまま碧の整った顔面ど真ん中に打ち込みたい。
「また同じクラスになれるといいね? なれるかな?」
ニヤリと笑った碧の顔にその意味を思い出した。
そう、高校は入試の学力でクラス分けされることを忘れていた。
最初から読むにはこちらから↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?