約束の未来~Re:set~②
第一章 リセットされた世界①
覚醒した私の目に映ったのは、古びた木目の天井だった。
ぼんやりと顔を横に向けると、不思議な光景が広がっていた。
小さな部屋のカーテンの隙間から漏れるのは、夏の強い日差しのようだ。
庭にある大きな木に止まり鳴く蝉の声が、騒がしい。
私の部屋だ、でも。
記憶の中のここは、十九歳までの私の部屋なのだ。
ガバリとベッドから起き上がると軽く眩暈がした。
この気だるい感覚が、夢ではないことを物語っている。
……、何が起きている?
いつもよりも眩暈が酷い。
部屋を出て、洗面台までの短い距離を壁を頼りに進む。
それから、鏡の中に映る私を覗き込んだ。
すぐに感じる違和感。
ここ数年は肩で切りそろえられていた髪の毛、それが胸の下まであることの意味。
二十歳まではこうしてずっと髪を伸ばしていた。
待って? ちょっと待ってよ?
鏡の中の私が、私を睨んでいる。
右の耳たぶを強いくらいに揉み潰し、眉間に皺を寄せて焦っていた。
「あんた、誰!?」
答えるわけのない鏡の中の私が、こちらに向かって同じように唇を動かしているだけ。
答えてもらえないことに、絶望を感じた。
シンと静まり返った家、母はきっと今日も既に保育園に行ったのだろう。
リビングテーブルの上には、朝ご飯にと母が置いてったトーストとメモ。
――冷蔵庫におかずがあるから、パンを焼いて食べてね! 帰りは十八時半には帰りたいな~! いってきます! お昼ご飯代置いておくね――
あの頃のように、母が得意な笑顔の自画像イラストが添えてある。
よく見たらメモの隣には懐かしい色の五百円玉が置かれていた。
なんで、こうなっている?
何もわからない。
覚えているのは、あの変な夢とアイツの顔だけ。
私を憐れんでいるような、あの碧の目を思い出すと、またイライラと耳たぶを引っ張ってしまった。
玄関のドアを開け一歩踏み出すと、ジリジリと肌が焦げてしまいそうな炎天下、夏の陽ざしがTシャツから伸びた腕をジリジリと灼け焦がす。
ご飯も食べずに向かったのはお隣の家だ。
蓮城という表札のかかる門扉、その先には古いヨーロッパ形式を思わせる厳かな洋館がたたずんでいる。
小さい頃は、時々遊びに来ていたけれど、二十五歳になった現在、もう十五年ほど、この家に立ち入ったことはない。
碧がいるかどうかはわからないけれど、インターホンを鳴らす。
急かすように一回、二回、三回と連打を早めていく。
出ろ! 出てよ、頼むから!! 早く!
インターホンからの返事はなく、もう一度押そうかと思ったその時、蓮城家のドアがギイっと開く音にハッとして顔を上げた。
「おはよう、紅」
玄関から出てきた彼の姿に言葉を失う。
Tシャツ、デニム姿の、碧の身長が、今の私と同じくらいだったことに、ショックを受けてしまったからだ。
「ねえ、紅。俺に聞きたいことが、あるんでしょ? 上がれば? 今、家には誰もいないし」
無表情のままの碧を睨みつけ、招かれたままに上がり込む。
昔来た時と変わらない、長い廊下のドアの先へと通される。
大きなベランダから光が降り注ぐ明るいリビング、エアコンが効きすぎているのか少し肌寒い。
「座って、お茶でも淹れるよ、温かい方がいいんじゃない? 鳥肌立ってる」
ソファーに座る私の二の腕の鳥肌を見て、クスリと笑った碧にイラつきが増す。
「そんなことより」
「わかってる、長くなるからさ。きっと、喉が渇く」
冷静沈着な碧は、ずっとこんな感じだった。
いつだって、今だって。
私が何を言いたいか、聞きたいか、全部わかった上で、落ち着けとばかりに温かいお茶を私の前に置いた。
「あれは夢ではなかった。そうよね? 碧、あんたは何者なの?」
真向かいに座った碧は、自分の分のお茶を一口飲んで、じっと私の目を見つめる。
碧の深い藍色の目に映る私は、取り乱しているようで、いつものように耳たぶを触っていたから、慌ててそれを止めた。
「どこから話そうか? 紅の生い立ち? それとも特殊能力のこと?」
ギクリとし、体中の血が全てドクドクと心臓に集まってしまったよう、手足が一気に冷え込む。
なぜ、碧が特殊能力のことを、知っているのか。
たとえ、私が使っていたところを、見られたとしても全部消えたはず。
二度目、三度目で上書きされた記憶の中で、失敗と共に消え去った、はずだったのに。
「気付いてたよ、俺だけはずっとね」
「え?」
動揺を隠しきれない私の目の前で、突然碧はTシャツを脱ぎだした。
「っ、な!!」
碧の白い肌をこんなにも間近で見たことがない私は、恥ずかしさのあまり慌てて目を反らした。
それなのに。
「紅、コレ見てよ」
コレ?
その言葉に顔を上げると、指差していたのは碧自身の右肩にある小さな痣。
似てる……、私の痣に。
私のとは色の違う碧の青い色の痣は、天秤のマークのようにも見えた。 『法の下の平等、すべての人間は平等』
裁判所のシンボルのような……。
「紅の肩にも同じような痣があるだろう? 赤い時計の短針と長針のような」
碧の言葉にハッとして右肩を抑えた。
なぜ、碧がそれを知っているの?
小さな痣だし、目立ってたわけじゃないのに。
「碧、どうして、あの法廷にいたの? あれってなに? 私が知ってる法廷なんかじゃなかった! ねえ、碧がいたのは偶然なんかじゃないでしょ、違う? ねえ!!」
今置かれているこの状況に焦っているのは私だけのようだ。
全部事情をわかっているらしい碧は、時折微笑みすら浮かべて、焦れる私を真正面から見据えていた。
「紅の持つ能力は『時間操作能力』。その中の一つ『時間を巻き戻す能力』だ。俺はそれを抑制する『時間制止能力』を持っている」
まさか!?
何を言っているの!?
疑う私の前で、碧はいきなりお茶の入ったカップを空中に向かって放り投げる。
「危ないっ!!」
この後に起きる惨事を予測し身構えた。
咄嗟に目を瞑ったけれど、いつまでも待っても、熱い紅茶がかかることも、派手にカップが砕け散る音も聞こえない。
「紅、目を開けて」
碧に促され、そっと目を開けた。
何も音がしなくなった静寂の中、カップは目の前で不自然に空中に停まっていた。
放られたカップから飛び散る飛沫が丸くいくつも浮かび、下へと零れ落ちるはずだったお茶が落ちないままで留まっている。
初めて見たその違和感のありすぎる光景に言葉が出ない。
「二メートルくらい離れてくれる?」
停まったカップのつまみを手に持った碧に促され、ソファーから立ち上がり、遠のくと。
次の瞬間、お茶はテーブルへと大半が落ち、まだTシャツを着ていなかった碧の肌にも飛び散る。
「ちょっと片づけるね、布巾を持ってくる。 紅はかかってない?」
「大丈夫……」
立ちすくんだまま今見た光景をうまく頭の中で処理しきれないまま、碧を待つ。
タオルで体を拭いてきた碧は、布巾であちこちに散らばったお茶を丁寧に拭きあげてから。
「ごめん、新しいの淹れてくる。冷めちゃったよね」
まるで何事もなかったかのように、またTシャツを着る碧に思考が追いつかない。
ねえ、碧。
あなたは私の仲間、なの?
https://note.com/ricco_peace597/n/n0b3d9d1708c2
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