約束の未来~Re:set~⑫
第三章 新しい自分③
その夜、不思議なくらい碧は笑っていた。
うちの母さんの話を聞いては笑い、私の話を聞いては笑い、なんだか変だなって思った。
まるで笑顔の仮面でも付けてるみたいだ、って。
だって昼間の笑顔はこんなんじゃなくて、逆に心配になる、から。
「ご馳走様、紅。本当に美味しかったよ」
玄関で靴を履く碧を見ながら首を捻る。
「お母さん、碧のこと送ってくる、ついでに参考書も借りてくる」
「は?」
「いってきます~!」
何か言いたげな碧に続いて家を出た。
送ると言ったって隣、ほんの数十歩でついてしまう距離だけど。
「碧、何があった?」
青白い月明かりの下で見上げた碧はいつもよりも顔色が悪い。
「何もないよ」
ポーカーフェイスだ、さっきのような嘘くさい笑顔で誤魔化している。
でも私にはわかるよ、何年一緒にいると思っているの?
「嘘つかないでよ、何かあるんでしょ? 心配事」
「もし、あったとして、それは紅には関係ないし」
「あるよ」
「ない」
「あるんだってば!! 気になるでしょう? そんな泣きそうな顔して笑ってるんだもん、泣けばいいじゃん、私の前でくらい」
私だって、昔はきっとそんな時があった。
うまくいかなくて泣きそうなのに平気な振りをして時を巻き戻す。
だけど碧はそれをできないんだもの、できないから耐えるんだもん。
それにね、こんな碧を昔一度見かけた気がするの。
どうしてだった? 一体、どこで?
あれは何でだったのだろう?
曖昧になりつつある記憶を取り戻そうとしても、思い出せないでいるから歯がゆい。
「紅、ありがとう。心配してくれてたんだ」
ふっと寂しそうに笑った碧が私の頭を撫でた。
まるで子供扱いするようなその仕草に払いのけようかと思った瞬間。
「ちょっとだけ、ごめん」
一瞬で私の視界は碧が着ている水色のTシャツでいっぱいになって。
そして、碧の匂いの中に包み込まれた。
待って? これって? と碧の腕の中でもがこうとして気付く。
私の肩に顔を埋めた碧の涙の熱さに。
碧の背中に恐る恐る腕を回して、その背中を優しく撫でた。
保育園で泣いている子供をあやす時はこうしてるし。
私が子供の頃泣いたら母さんがこうしてくれたから。
いくらでも泣いていいよ、と気持ちを込めたのに。
「何か、子供みたいじゃない? 紅に慰められてる」
人の肩に顔を埋めたまま、泣き声でクスクスと笑う。
「大きい子供だよね」
「紅が泣けばいいって言ったんだよ?」
「だから、ハイ。責任取ってます」
「何、それ、すっごい上から目線」
碧はそう言って、大きなため息をつき顔をこすった後で、私は解放された。
「ちょっと付き合ってよ、紅」
「え?」
「公園行こうよ」
え? なんで、公園?!
「俺の話、聞いてくれるんじゃないの?」
「……、わかった、聞く。聞いてあげる」
全部受け止めてやろうじゃん。
昔迷惑をかけた分、今回は返そう、ちゃんと。
任せて、と意気込む私に碧は軽く微笑んで先を歩き出す。
二つ並んだ公園のブランコに腰かけると碧が途中で買ってくれたペットボトルの蓋を開けて私にくれた。
握力のない私はペットボトルの蓋を開けるのが苦手だってこと。
知っているのは母さんと幼馴染みの碧くらいだろう。
「人間ってさ、面倒なんだよね」
思わず飲んでいた水を噴き出しそうになる。
「っ、なに、突然」
「ん~、だってさ、……めちゃくちゃ繊細だし、喜怒哀楽もハッキリしているし、愛情も深いし、ね。もうちょっと時空界はドライなんだよ?」
そうなんだ、と頷く私に。
「それにさ、寿命が短い、すぐに病気になったり、怪我をしたり……、なのに医療はまだ未発達」
「っ!! 碧、もしかして」
「そう、もうすぐ死ぬんだって、うちの母さん」
ねえ、碧……どうしてそんな風に微笑んでいられるの?
涙いっぱいの瞳の方が碧の心を写し出しているというのに。
「もしも私の特殊能力があったなら」
「あったとしても、さ。病気は仕方ない、言ったでしょ、医療は未発達だって。それに人間の寿命には関わってはいけない」
言いたいことはわかってる。
それは禁忌であり、私の父はそれを犯したから時空界から追放されたってことも。
「だったら、碧の言っている時空界の医療で何とか」
「あのねえ、紅。母さんは心臓が悪いんだよ? 突然そんなとこ連れてったらもっと寿命が縮まっちゃうよ、そしてそれだって禁忌だ」
バカだな、紅は、と笑ってるけれど。
何か私にできることはない? 碧の力になりたい、のに。
自分の無力さにグッと下唇を噛みしめた私を見て碧が苦笑する。
「わかってたことだよ、覚悟はしてた」
「それって、もしかして……、ねえ前の時も」
おばさんが亡くなっていた、そんな大事なことを忘れてしまっていたなんて。
「覚悟はしてたんだけど実を言うと希望は持っていたのも確か。言ったでしょ、前の人生と今の人生では若干変わってるって」
碧は覚えていた、覚えていて一人でずっと。
その希望を抱えて生きてきたのだ。
「早く相談しなさいよ」
「できないよ、せっかく紅が全うな人生を歩みだしているってのに。予知でしかないこの先を教えてあげることはできない」
何よ、それ。
「そうじゃないよ、それを教えろって言ってるんじゃなくて。この夏、碧はずっとおかしかった。お医者さんから聞かされたからでしょう? その時に言ってよ、バカ! 私に言いなよ、全部聞くってば! あんたのことなら、全部!」
頬を膨らませた刺激のせいだ。
落ちてくるものを一瞬碧に見られて俯いた。
俯いてそのままブンブンと勢いよくブランコを漕ぐ私に。
「また紅に愚痴るけど、いい?」
諦めたように微笑んだ碧に向かって。
「いいに決まってんじゃん!!」
つっけんどんにそう言い放った。
その秋、小雨が降りしきる冬のように寒い日の朝。
碧のお母さんは眠るように亡くなった。
その雨は葬儀が終わっても尚おばさんの涙のように、しとしとと悲し気に降り続いていた。
私は母と二人、お通夜や葬儀に出席した。
棺の中に横たわるおばさんは、本当に眠っているようなお顔だったから、「おばさん」と声をかけそうになって。
……、目を覚ますことはもう無いのだと、花を添えながら感じる体温の無くなった身体にようやっと現実を思い知らされる。
葬儀が終わり隣の家が静かになった後で、碧と碧のお父さんに食べて欲しくて多めに作ったシチューを届けに向かう。
きっと家政婦さんが来てくれてるかもしれないけれど、何か温かいものを差し入れたくて、母と二人で作ったのだ。
家には少し痩せて寂しそうな顔をしたお父さんしかいなくて、碧はさっきどこか出かけた、とだけ。
何となくあの公園にいるような気がして、そのまま走った。
小雨だからと傘も持ってなかったけれど、これぐらいなら平気。
それよりも早く、早く、碧に会わなくちゃ。
公園の隅に一人、空を見上げ、雨を浴びるようにして立っていた碧を見て、デジャヴのように、昔見たあの光景を思い出した。
同じだ、あの日の碧がいる。
私はあの日、一度目のあの時、同じように碧を探しに来て声をかけられずに、碧を置き去りにした。
でも――。
駆け寄った私はポケットに入ってたハンカチで碧の顔をゴシゴシと拭いた。
突然現れた私がそんなことするもんだから、碧は面食らったような顔をして、それから、ふっと微笑んで。
「ありがと、紅」
抱き寄せられたその腕の中で、私も碧と同じように泣いた。
抱きしめあって時々声を上げながら悲しみを分け合った。
時折夢に現れるのは、一度目の人生のこと。
細かなことはハッキリと思い出せないのに、二十五歳だった私の煌びやかな生活だけは繊細に色付きの夢を見るのだ。
無駄に高い服を着て、人を見下ろせる高層マンションに住み、たいして食べもしないくせに高い食材を買っていた。
周囲は私をチヤホヤし、私は自分に見合う男なのかを見定めていた。
そんなの、誰もいなかったけれど。
誰も、いやすべての人を私が見下していたからだけど。
目覚めた時の虚無感。
一度目の人生で私が目指したものは何だったのだろう。
何を手に入れたのだろうか。
初七日まで碧は学校を休んで、憔悴したお父さんに寄り添っていると言う。
行き帰りの宵の行動を碧は心配してくれたけれど、扱いにも慣れては来たので大丈夫だろう。
「碧くん、元気?」
「元気なわけないでしょ、頼むから碧にそんなこと言わないでね」
「わかってるよ、だから紅ちゃんに聞くんでしょ。で、今日はどこに行くの? 保育園?」
「方向で気付いてるくせに」
ケラケラと明るく笑う宵にため息をついた。
来るな、と言ったってどうせついて来るし。
保育園側は宵の登場に大歓迎なわけだ。
ほら、今日だって。
「ヨイ先生だー!!」
ねえねえ、コウ先生だっているよ、と寂しくなった私の手を引っ張るのはメイちゃん。
恥ずかしがり屋さんのメイちゃんは折り紙が大好きでいつも私を見ると嬉しそうに近づいてきて、こうして私の手を握る。
宵はとっくに園庭で皆に囲まれて鬼ごっこ。
私はメイちゃんやおとなしい数人の子と折り紙遊び。
素直じゃない私の寂しさを癒してくれる、この時間が私は好きだ。
「コウ先生、できたよ、あげる!」
メイちゃん力作のヨットを貰ったので。
「じゃあ、メイちゃんにはこれをあげよう!」
折り紙で作ったハートリング贈呈。
ちょっとブカブカだけれども。
「かわいい、ありがとう、コウ先生」
小さな指にはめて喜ぶ、メイちゃんの笑顔を見ているだけで元気になりそう。
「ズルイ、メイちゃんだけ!! あたしにも作って、コウ先生!」
「あたしにも!!」
「ボク、風船がいい」
今日も私の折り紙は、宵よりは人気が少なくても大盛況なのだ。
「紅、キリの良いところで上がってね、母さん今日はちょっと遅くなりそう」
ミニ運動会が今月末にあり、それに向けての作業が急ピッチで行われている真っ最中。
一緒に残ってあげたいけれど、母も園長先生もそれはダメだと言う。
二学期が始まってから私の勉強の妨げになるからと、保育園にいる時間は十八時半までと決められてしまっているのだ。
「紅ちゃん、帰ろ」
丁度良い時間を見計らったかのように、子供たちの手洗いうがいを手伝ってた宵がやってきて連れ立って園を後にした。
だけど、いつもこの去り際の時間が一番大変なのだ。
「コウ先生、また来てくれる?」
メイちゃんは私が帰る時はいつも泣きべそで母がそんなメイちゃんを抱っこしてようやく、またね、と別れることができるのだけれども。
あんなに好かれると私も寂しくなるんだよな、バイバイが。
俯き歩き始めた私の顔を横から覗き込む宵の顔が笑ってる。
「メイちゃん、可愛いね」
「うん」
「紅ちゃんも、可愛いよね」
「は?」
「いつも帰りたくないって顔、してる。寂しそう」
私が、寂しい?
足を止めた宵に私も立ち止まると。
「オレならずっと一緒にいてあげられるのに」
私の頬に手を伸ばした宵の瞳が紫色がかって揺れている。
その色があまりにもキレイで私は魅入られてしまったように身動きできなくなった。
寂しい、どうして? わかってる……。
「寂しいのはオレじゃ埋めてあげられない?」
微笑んだ宵はそっと私の額に、キスを、した。
躊躇する間もなく私は宵を引っ叩いて走っていた。
「えー? 待ってよ、紅ちゃん」
宵のそんな声が聞こえてきたけれど、待てるか!!
ゴシゴシと額を擦りながら家に向かって走る。
信じられない、何考えてるの?
私も私だ、あんなのに一瞬でも見惚れてしまった、不覚にも。
あれが宵だった、気をつけなくちゃいけないやつ。
人の心の隙間に無遠慮に、けれどスッと入り込む危険なやつ。
しばらく走って、もう追っては来ないだろうと歩き出す。
心臓がドックドックと落ち着かない。
落ち着けようとしても落ち着かないのだ。
「紅?」
自分を呼ぶ声にビクンとしてしまうのは別に後ろめたいわけじゃない。
自分以外はいないと思っていた夜道で、急に声をかけられたからビックリしただけだ。
それが碧だったからってわけじゃない。
「今、保育園の帰り?」
「そうっ、碧は?!」
碧の恰好を見たらわかる、手に持っているのは買い物袋だもの。
白々しい質問をしてしまったのが恥ずかしい。
「ん? 明日の朝ご飯のパンを買いに。 アイツは?」
いつも隣にいるはずの宵の姿を捜す碧に。
「さっき別れた」
別れたというか巻いてきたが正解だ。
動揺を悟られないように目を反らしたというのに。
「……紅、隙見せるなって言ったでしょ?」
「え?」
大きなため息をついた碧に急に手を引かれ止められた。
碧の目が冷たく私を見下ろしている。
「……黒臭い、すっごい臭い。このにおい、本当に嫌だ」
向かい合った碧が私の額をじっと見つめて、ゴシゴシとさっき宵にキスされた場所を擦って。
まるで上書きするように、同じ場所をペロリと舐めた!?
「うん、一先ず消毒しとく」
満足げに笑った碧に無表情のままで。
私は今夜二度目の猛ダッシュをしたのだった。
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